Tの家はここから近い。
俺が箱を見つめながら歩いていると、NとUが自転車に乗って走ってくるのが見えた。
「おい、Tが死んだんだ」
「知ってるよ」
「チッ、なんで」
二人は苛立ったようにいった。
俺はそのあと、二人にぼこぼこにされた。
話し方が気に喰わない、汚い手でさわるな、などと難癖をつくられて殴られたり水をかけられたりした。
彼らもTの唐突な死に戸惑っていたんだと思う。
俺もそうだった。
あとから聞いた話ではTの体には外傷一つなかったらしい。
持病があったわけでもなかったので、状況証拠から自殺、ということで片付いたそうだ。
彼女のいったことはこういうことだったのか。
しかし呪うといっても死に至らしめようとは微塵も考えていなかった。
だがその動揺は、次第に過激さを増すNとUの暴力によって、ざまぁみろという気持ちに変わっていき、こいつらにも同じ目にあわせてやるという思いに変わっていた。
俺は隙を狙って逃げた。二人は追いかけてくる。
森へ逃げ込んだ。
俺は体力も二人に比べてなかったのですぐにつかまってしまった。
できるかぎりの抵抗をする。
二人もそれでますます熱がはいり、つかみ合いの喧嘩に発展した。
俺は二人の髪の毛を引っ張る。
彼らも俺の髪の毛を引っ張った。
痛みが頭部に走るのを我慢して、俺は何とか二人の髪の毛を数本握った。
ちょうどNとUの髪の毛を採取できるチャンスだったのだ。
ひりひりする己の頭をなでながら俺は尚も殴られ続けた。
ふと、突然Nの動きが止まった。
物音を聞き分けるように耳をすませている。
その様子に俺とUの手も止まる。
直後、Nは人がかわったようにその場にうずくまった。
震えているのがわかった。
Nは呆然と前だけを直視し、しきりに瞬きをしていた。
呼吸が荒くなっている。
虚ろな目をUに向けるが、すぐさま元の位置におさまる。
「どうした?」Uが声をかけた。
Nは何度かあごを突きだしてどこかを示していた。
「あそこの茂み……」
「茂み?」UはNが凝視する先を見た。
俺も気になって二人の視線を追う。
確かに茂みがあるが、いくつもあってどれのことをいっているのかわからなかった。
Uは適当に見当をつけたらしくいった。「茂みがどうかしたのか?」
「その後ろに……しゃがんだ」
「しゃがんだって? 誰が?」
Uは答えなかった。
尻餅をつき、首を左右に振り始めた。
「もしかして誰かに見つかったのか? なら早く逃げるぞ!」
Uは繰り返しいった。
だが、Nは固まって動く気配はない。
茂みをずっと見つめていたが、特に変化は見られなかった。
Uが走りだそうとした直後、
「動くな!」Nが叫んだ。
UはびっくりしてNを見た。
「まだいる!」
「な、なぁ、一体誰がいるっていうんだ」
「静かにしろ。お前にはいわなかったけど昨日から何かに見られている気がしてたんだ」
「そんなの俺は感じないぞ。気のせいだろ」
「いいや、確かだ。同じ気配がする」
Uは尖り声をあげた。
「お前は誰に怯えてるんだよ! 何もないだろ!?」
茂みは音を立てない。隙間には暗闇があるだけだ。
しかしNは吸い込まれるように生い茂る葉の塊を見据えていた。
「N! お前は何を見てるんだ!?」
「目だよ!」
Nが腹底から声を張り上げた為、一瞬だったが、辺りに低く響いた。
俺は身の毛もよだつ思いがした。
Uも固まっている。
「そんなのどこにも……」
すると、どこからともなく、
「うっうぅ」
という、うめき声が響いてきた。
Uが怯えているのがわかる。
「何なんだよこれ!」俺もよくわからない。
祖母のいっていた鬼が本当に出たのか。
がざがざがざ! 茂みが揺れた。
「やっぱりいるんだ! 俺を狙ってるんだ! 絶対に茂みの後ろにいるんだ!」
「誰が!?」Uが問いただす。
Nが走り出した。
Uも慌てて、そのあとを追った。
俺は傷の痛みと恐怖とで立つこともままならなくて、尻餅をついていた。
そういえば、昔この森には祠があり、怪異が閉じ込められていたと祖母から聞いたことがあった。
茂みは静かになった。
それから葉っぱをかき分けて誰かが出てくるということもなかった。
俺は全身に汗をかきながら、手に絡みついた二人の髪の毛を箱の中に押し込んだ。
家に帰りついたのは夕方だった。箱をベットの上に放り投げ、俺は夕飯も食べることなく、泥沼に沈むように眠りに落ちていた。
次の日、やたらと外が騒がしいと思って外にでると、家の前を幾人もの人が歩いていた。
俺はとある夫婦の会話を耳にした。
「立て続けに子供が亡くなるなんてこりゃ祟りだよ」
「こら、滅多なことをいうもんじゃない」
俺もそのあとをついていくと、Nの家が見えた。
パトカーが何台も群がりそれらを囲むように人だかりができていた。
瞬間悟った。
Nが死んだ。俺は言葉にできなかった。ただ茫然とそこにいるだけだった。
「おい!」
Uが俺の肩をつかんだ。
「Nのやつ、もしかしたら昨日の奴に」
ひどく脅えていた。だが俺はこいつと話す気もおきず、踵をかえした。
「おいお前も体験しただろ! 次は俺たちが同じ目にあうかもしれないんだぞ」
俺は無視して歩き続けた。Uが追いかけてきて腕を掴む。
「俺は死にたくない」俺は我慢できずにいった。
「そんなの知らない、少なくともお前は俺にそんなこという資格なんてない」
俺はまた殴られるかと覚悟したが、Uは下を向いたまま動かなかった。
俺は足早に家に戻った。塀の入り口が見えたところで俺は止まった。
黒い犬がいた。昨日よりも近い。改めてその大きさに鳥肌がたった。
じっとこちらを見ている。
俺はなるべく目を合わせないように裏口から入ろうかと考えていると、その犬が笑ったように見えた。
いま思えば錯覚だったのかもしれないが、そのように見えたのだ。
すると、家のほうから祖母の悲鳴があがった。
俺は即座に駆けだそうとする。
黒い犬は俺が動き出したと同時に、お尻をむけて歩き出した。
俺は横目でそれを見ながら、家に駆けこむ。
何か事故があったのかもしれない。最悪救急車を呼ぶ必要も念頭においた。
「ばあちゃん!」俺は玄関を開けて叫んだ。
だが、誰の返事もなかった。居間の扉を開けた。もぬけのからだった。
俺は訊き間違いかなと息を吐きだした直後、真横から知らない老婆が四つん這いで出てきた。
鳥肌とともに飛び上がった。
しかしよく見れば、祖母だった。
背中をさらけだした状態の祖母を見たことがなかったので判別できなかったのだ。
俺は今更ながらそのあともぴんぴんしていた祖母の手足と腰の頑丈さに感心するばかりだ。
現在は他界し享年九十歳の全てがつまった骨壷はお寺に納骨してある。
そして首だけが動き、見開かれた眼が俺を捉えた。震えながら、
「また邪気が来ておった! しかも闇を必要としないモノじゃ……」と呟いた。
祖母は震えながら、奥の部屋に向かって、また戻ってくると、俺にお札を渡した。
「身を守ってくれる札だ。持っておけ」
俺も不気味な現象を体験していたので、幾分心強く感じた。
その晩、俺はベットに横たわって、これまでのことを思い返していた。
あの少女にもう一度会って、この箱を返そうと思った。
俺の手にはよほど手におえないとわかったからだ。
それに森で感じた気配、ただならぬモノがうろついていることは確かだ。
あれがTとNを殺したのだろうか。
俺はその箱が異形のモノを操っているように思えて手元においておくのが怖くなった。
だが、俺は現在この箱の持ち主だ。呪いを受けているのはUたち。
だったらあの変なものは俺のところにはこないということになる。
俺は息をはいて目を瞑った。今日もすぐに眠れると思った。
その時だった。
「コンコン」
突如、窓が叩かれた。
誰だ。ここは二階のはずだ。
俺の背筋に悪寒が走る。
Uが石でも投げているのかと思ったが、確かに人間の拳でノックした音だった。
窓にはカーテンがしかれていて、向こう側は見えない。
俺は確かめる気にもなれず、布団をかぶった。
「うっうぅ」
うめき声が聞こえた。
昨日茂みからした声と同じだった。俺はさらに強く瞼を閉じる。
ドンドンドンドン!
ノックが激しくなった。
俺はますます震えて、耳を塞いだ。
何故俺のところへ? 箱は俺が持っていて、呪った相手はUたちだ。
髪の毛もいれた。瞬間、俺はここで思い至った。
昨日、喧嘩の最中、俺の髪の毛も引っ張られた。
そのとき、痛みに堪えかねて頭をなでたとき、一緒に自分の髪も手について、そのまま箱に入れた可能性があったのだ。
あの時、えらく動転していたからちゃんと確認していなかった。
俺は血の気がひいた。
しばらくするとうめき声もノックの音も止んだ。
俺は一先ず安心して、汗だくになりながらも、箱を持った。
蓋を開けようとするが開かなかった。息を飲む。
「まずい」
俺も呪われてしまった。
少女に取り消してもらわなければならない。この箱を持っていたのだから、その対処法ももしかしたら知っているかもしれないからだ。
最悪祖母にいって怒られるのを覚悟に、お寺へ相談しにいくしかないだろう。
「うぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!」
俺は飛び上がった。窓の外から大音量で不気味なうめき声が俺の部屋中に響いた。
俺はお札を何枚も壁に張った。今まで忘れていたことを悔やんだ。
再び布団に潜り込むと、ただ朝がくるのを待った。
そしていつのまにか、俺は眠ってしまっていた。
朝、思い切ってカーテンを開けた。
そこには何もなく、田んぼの景色が広がっているだけだった。
お札は剥がれ落ちていた。
よく見ると、お札の表面が真っ黒に塗りつぶされていた。
俺はこの日、部屋から一歩も出ることなく夕方まで過ごした。
Uが死んだという知らせはない。俺のところに奴が来ていたからだと思った。
お札のおかげで助かったのだ。
あの少女に会うには、最初のように逢魔時がいいと思った。
森に入ること自体恐ろしかったが、自分の命がかかっていると思うと気にならなかった。
そして十六時をまわったころ、俺は忍び足で家を抜け出し、森へ入った。
だが、いくら探せど、彼女は見つからなかった。
粘土が大木に打ちつけられているのが残っていて、俺はすぐさまそれを壊した。
俺はいい加減歩き疲れて森を出た。
落ち込みながら歩く俺は、入り口で再び黒い犬を見た。
呼吸をしている様子はない。
やはり鳥肌が立つ。俺は下を向いて進む。
家に入る前に、俺は少しだけ振り返ってみた。
犬はすでにそこにはいなかった。
このままでは本当に殺されると思い、俺は意を決して祖母に相談しようと思った。
まだお札もあるから時間もあるだろう。
居間に行くと、祖母が蹲っていた。
「どうしたのばあちゃん」
「……」
祖母は無言だった。
「俺、助けてほしいことがあるんだ!」
「む、無理じゃ、ワシにはどうにもならん。お前も逃げろ。邪気が消えんのじゃ。鬼もおる。お札はまだあるじゃろう? だからそれを持って逃げろ」
祖母はそれを繰り返しいうだけで、俺の話に耳を傾けていなかった。
逃げられることならそうしたいが、呪詛返しのように奴らは必ず追ってくるだろう。
呪いを絶たなければ意味はない。時刻は十八時になる。じきに日が落ちて夜になる。
そうすればまた奴がやってくる。
今日はUのところへ行くのだろうか。だが、一匹だけとも限らない。
俺はとにかく今夜は奴が簡単に入れないようなところで寝ようと思った。
俺の部屋だと幾分心細かった。