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【長編洒落怖】鬼伝説の山

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「……」
「お願いだ!」
「ダメ。だめったらダメよ聞かないわ」
「この少年にはお前の好く邪悪はもはや影をひそめ始めている」
「いじめられていたあなたならわかるでしょ。都合のいいことなんてないの。思い通りになることなんてないのよ」
「諦めて死ねっていうのか」
「呪うというのは、人を侮蔑するのと同等かそれ以上に穢れていて、とっても楽しいことなのよ」
「私はここだ」
彼女は男を見た。
「迷子は帰りなさいな」
「呼び出されたのだ。わかっているだろう。だから願いは聞き届けなければならない」
「そう」
直後、茂みが音を立てた。その茂みから立ち上がるようにして現れたのは、あの跳ねる化け物だった。俺はその禍々しい姿に怖気づいて、悲鳴をあげた。
「ちょうど獲物が揃っているんですもの。ね、クロボウ」
彼女は嬉しそうだった。俺は足が動かなかった。
現れたクロボウ(名称がわからなかったので勝手に命名)が飛び跳ねてくる。
男が手を伸ばした。瞬間、俺の視界が真っ暗になった。

瞼を持ち上げるとさっきと別の場所だった。
「ここは……」
「場所を変えた」
俺は頭痛がしてこめかみを押さえる。
「交渉は決裂、か。こうなったら呪いから逃げ続けるしかない」
俺は呟いた。
「無駄だ。あれは影さえあればどこででも現れ、お前を殺すだろう。この世には必ず影がやってくるんだ。逃げ場はない」
「もし呪いが解けなかったら、寿命の件はなしですよね」
「目ではなかったのか」
「寿命です」
「まぁ、焦るな。方法は考える」
するとUが目を覚ました。
「俺、どうして……」
「もう、だめかもしれない」俺はそういった。
「どうしたんだ急に。何が?」
「俺たちは殺される」
「はぁ!? あ、あの化け物に?! そんなのごめんだ! どうにかするっていったじゃないか」
「俺にいわないでくれよ。文句ならこいつに」俺は男を指差した。
「どこ指差してたんだよ誰もいないじゃないか!」
Uには見えていないことを思い出し俺はだらりと腕を下げた。
「元はといえば俺が悪いんだよな」
と、俺はUたちに呪いをかけたこと、だからあの化け物が襲ってきて、TもNも殺された。
俺の不手際でその化け物に狙われることになったことを全て話した。

「なんだよそれテメェ! だから冷静にいられたんだな!」
Uはドスの利いた声をあげた。俺の頬に鈍痛が走った。
Uの拳はなおも飛んできた。俺は血の混じった唾を吐いた。
俺も口を開いた。
「でも俺が呪う理由をつくったのはお前たちだろ! これでおあいこだ! それに俺も呪われたんだ」
Uは舌打ちして、その場にへたり込んだ。
「俺はまだ死にたくない」
「俺だって」
「おいひらめいたぞ」
俺は首をもたげた。男は人差し指をたてていた。
「……本当に成功するんですよね」
「誤算はない」
「……一人事とか、やめろよな」俺はため息をついた。「……そうだな」

俺はしょんべんといって、男を連れ、Uの呑気だな、との嫌味を背中で受け止めながら、茂みの奥へいった。
「で、方法っていうのは?」
「お前たちだけで、あれから逃げるのだ」
「あの化け物から?!」
「その通りだ」
「そんなことしたって呪いが解かれないじゃないですか」
「解くことはできる、うまくことが運べばな」
「その間に何かしてくれるんですね」
俺は男の真意を汲み取った気がして少し音量が上がった。
「いや。私は少し休む」
「っ!?」
「迷っている時間はないぞ」
と、男の指差す先に、クロボウが迫っていた。
Uの叫び声が上がった。俺はUのところへ駆けより、共に走り出した。

「くそっどうしろってんだ」
俺とUは後ろを垣間見つつ逃走する。
Uが先頭を切り、一歩遅れて俺が続く。
後ろから恐怖の圧迫感に押され、俺は無我夢中だった。
クロボウは身体を曲げながら跳ねてくる。
飛躍力がだんだん上がっているように思われた。
Uが茂みに飛び込んだ。俺はその反対の茂みに飛び込んだ。
がくがくと震えながら顔を上げると、茂みを壁として見た葉っぱの隙間から、クロボウが跳ねていくのが垣間見えた。
Uの方にも俺の方にもこなかった。
ただまっすぐに進んでいっただけだった。
俺とUは立ち上がって、クロボウが跳ね去っていった方向を見据える。
「何とか撒けたのか」
Uが呟いた瞬間だった。
Uのずっと後方から瞬間移動したように、クロボウが猛スピードで跳ねてきた。
女々しい声をあげて、俺たちは茂みをかき分けながら走った。
俺は何度も転びそうになった。
突き出た枝や大きな石、捨てられたゴミなど足をとられるものはそこかしこにあった。
案の定、Uが何かに引っかかったらしく、横転した。
「うぬぬうぬぬぬんうぬんぬ」
と狂ったようなうめきをあげたクロボウは容赦なく迫ってくる。
俺は一度止まった足を再度動かそうとした。Uを見捨てようとしたのだ
今思えばよくUのために一度でも足を止められたものだと感心する。

その僅かな逡巡の最中、
俺の視界に黒衣の男の姿が見えた。
森林に立ち尽くす男はただならぬオーラを発していた。
俺は男の力を借りようと思った。
何故、Uを助けようと思ったのかはわからない。
ただ咄嗟に身体が動いたのだ。
クロボウとの距離はまだ開いている。俺は男に見えるようにUの前に進み出た。
「おい!」
Uが手を伸ばしてきた。
進行方向にUの手が現れて、気が動転する最中、
俺にとってそれは確実に邪魔なものだった。
俺はUの手を押しのけた。
その時、クロボウから腕のような触手が伸びた。
それはUの手のあった場所を滑空して、再び主の体躯へ戻る。
Uは俺が突き飛ばしたことで尻餅をつき、クロボウの手から逃れる形になった。
俺はただ男に助けてくれと合図しようと思っただけだった。しかしUはそれをクロボウから助けた行為だと捉えたらしい。
「すまん。助かった」
とUは息も絶え絶えにいった。
すると、クロボウの眼間に木が一本倒れ込んだ。
枯れた樹ではなくさっきまで地に根を張っていた頑丈な樹だ。
男の力だ、と思った。俺はUの手を掴んで走り出した。


そして俺たちは当てもなく突き進む。
しばらく全力で走り続けた。
ランダムに曲がり、獣道さえも通った。俺たちは岩陰になっているところで一旦止まった。
息を整える。
クロボウの姿はなかった。男が完全に追い祓ったとも思ったが油断はできない。
顔を真っ赤にした俺たちは岩の奥に隠れた。そうしなければ安心できなかった。
「もう追って来てないんだろ」
「わからない。また来るかもしれない」
「どうするんだよ、もう日が暮れる。早く森を出ないと」
「シッ!」
俺は枝の折れる音を聞いた。クロボウだ。
Uも口を噤む。岩の隙間から向こう側が見えた。
と、黒い影が重なった。距離があって全体像が見える。
頭部らしき箇所を身体ごとくねらせて、左右に巡らせている。
俺たちを探しているのだ。
俺が覗いていた隙間と頭部の前面が合わさったとき、動きが止まった。
「見つかった」俺は悟った。
刹那、クロボウが跳ねてくる。「出ろ!」
俺は叫んで、岩から飛び出した。Uも続く。
だが岩と岩の間は狭く、俺とUの体がぶつかりあって、とうとう俺は倒れ伏せてしまった。
この時の恐怖ったらない。今までで一番恐ろしい瞬間だった。
ちびっていても仕方なかっただろう。
クロボウからあの手が伸びてきた。
起き上がろうとしていた俺の足を掴みそうになった時、
「あぶねぇ!」とUが俺に体当たりして、俺は無事触手から逃れることができた。

クロボウはまた、そのまままっすぐに跳ねていく。
小回りが苦手らしい。
俺に覆いかぶさったUはその場に尻餅をついていった。
「早く帰りたい」
まったく同じ心境だ。
「ごめん、助かった」――俺は咄嗟に口を噤んだ。
だがすでに遅かった。
絶対にいうことがないと確信していたことを今口にした。
俺はこのときすぐには気づかなかった。
Uの表情は悲痛なものに変わり出していた。
見れば、Uの足先が痛々しいことになっていたのだ。夏ということもありUはサンダルだった。
Uの親指の爪の間に枝が突き刺さっていた。
枝の侵入によって爪が上に盛り上がっている。
血は溢れ出て他の指まで染めていた。見ている俺の足までじんじんしてきた。
Uが歯を食いしばりながら、悲痛な唸り声と共に枝を抜く。
すぐさまTシャツを破り、親指に巻きつけた。
血が浸みてとたんに赤くなった。
「うぬぬうぬぬぬぬうぬぬ」
クロボウだった。このときほどタイミングの悪さを呪ったことはない。
Uがクロボウの手につかまれた。
そのまま引きづられる。
俺はとっさにUの腕を掴んだ。
引き戻そうとするが、尋常ではない力がUを持っていく。
このままではUの手足が千切れるとさえ感じたほどだ。

Uが涙ごえで叫んだときだった。
上空から唐突に岩が落下してきた。
見事に下敷きになったクロボウの手が緩み、Uが解放される。
男の力だろう。
そんな芸当ができるのにいつもギリギリで助けることに俺は苛立ちが募った。
Uを起こそうと思ったが、動けない様子だった。
「やばい腰が抜けて、動かない。それに足も痛い」俺は逡巡した。
Uは歯を食いしばっていた。
「お願いだ。蹴り飛ばしてくれ。そうすれば勢いづくかもしれない」
俺は、前方のわめくクロボウの姿を一瞥して、息を飲むと、Uのいう通りにした。
そして何とか走り出したUと共に逃げ出した。

しばらくして見つけた穴倉に、俺たちは逃げ込んだ。
熊のものだろうか、広さは十分で深さも申し分ない。
俺たちは息を殺して体力回復に努めていると、ふいにUがいった。
「蹴り飛ばされるって結構痛いんだな」
俺はびっくりしたが「だろ」と返した。
「尻、腫れてるかも」
「擦り傷もいっぱいだ」
俺は自分の腕を見た。沈黙が続いたあと、Uが頬をかきながらいった。
「呪われて当然、だな」
俺は何もいわない。

「今更許してくれなんていわない。
でも本気でお前を嫌っていたわけじゃなかったんだ。遊び半分だった。
それに、お前が化け物を呼んだから冷静でいられたことはわかったけど
、だけど、お前も呪われていて、あの化け物に追われてる状況なのに、
堂々としてて俺を助けてくれた。こんなに勇気のある奴だって思わなかった。スゲェよ」
震えあがっていたUからは俺の姿がそう見えていたらしい。
事実冷静に捉えていたところもあったが、やはり恐怖に包まれて吐きそうな程だったのだが、
「……そうか」
と俺は呟いた。
俺の中の憎しみは完全に消えたわけではなかった。
だが、これまで協力して逃げてきた経緯と、呪いを犯した罪悪感とが積み重なって、
Uへの怒りは弱まっていた。

穴倉の外は、さっきまでクロボウに追われていた時の木々の騒々しさとはうって変わり、
闇に溶け込んむ静寂が満ちていた。
俺は続けた。
「呪いなんてするもんじゃないな。お前たちも人間だから、内心で俺が気にくわないこともいっぱいあったんだろう。こんなことに巻き込んだのは俺のせいだ。でもそれが俺を虐めた報いだと思ってほしい……死んだ奴には頭も上がらないけれど。ただ一生その罪は背負うと思う」
「あぁ、俺も身に染みたよ。怖さも痛みも――」
俺たちはそのあと特に言葉を交わさなかった。お互い疲れ果て、穴倉の外に気を配るのに精一杯だった。クロボウが跳ねてくる音を聞き取ろうとして数分後、俺たちは照明が切れたように眠りに落ちていた。
眼が覚めると、生暖かい空気が満ちていた。
俺は面前に箱が落ちているのが見えた。
そして、驚いたことに蓋が空いていた。
もう夜明けらしく、微かな太陽の光が木々の間隙をぬって、俺の目にあたった。
穴倉の外に、男が立っていた。
「呪いは解けた」
「え?」
俺は意味が飲みこめなかった。
「特別に真実を教えてやろう」

そういって男は一方的に説明を始めた。
「呪いを止める方法は、相手に対しての怨念を消すことだ。お前の怨念は髪の毛を通して、箱に力を与え、呪いを発生させた。
故にお前の怨念が消えれば、髪の毛から箱に流れる怨念も止まり、呪いが消滅する。私はお前たちの確執を拭いさる状況をつくっていたのだ。
だからあれを完全に消さずにお前たちを追わせた」
「じゃあ……」
俺ははっとして周囲を見回そうとした。
「奴はもういない。この次元にはな」
突如透き通るような声が降ってきた。
「どこにいっても、完全なものなんてないのね」
わたしが男の隣に立っていた。
そして穴倉に歩み寄ってしゃがむと、箱を掴んだ。
「渡したこの箱、わたし呪いは返してもらうわ。あげたつもりはないからね」
わたしは端正な顔で微笑んだ。
「もらったつもりもないよ。それにもういらない」
そのとき見えた彼女の腕に傷はなかった。
Uはまだ眠っていた。
彼女はいった。

「これで最後になっちゃったのは残念だけど、あなた的に考えると命拾いしたのは運がよかったね。
あぁ、でも代償で寿命削れちゃうんだっけ」
「いいんだ。それが人を呪った代償だから」
「私に対してもな」男が抜かりなくいった。
「そうですね、助かりました」
すると、いつのまにか、わたしは消えていた。
俺はもう追われなくていい安心感に脱力して、大きく息を吐き吸い込んだ。
そのとき、焦げ臭いにおいが混じっていることに俺は目を見開いた。
慌てて穴倉から出ると、眼前に広がる木々が炎に包まれていた。
ついさっきまで何の異変もなかったはずだ。
なのに――ぱちぱちと音を立て、見慣れた植物が無残に焼かれていく。
男は燃え上がる様を見やりながらいった。
「ヘルハウンドか、そういえば奴も来ていたんだったな。どうやらここにある道を絶つつもりらしい。お前もさっさと退け。
奴の粛正に巻き込まれたくなければな。といってもお前は、時がくれば再びその姿を目にするだろうが。
では私も、帰還しよう」
男は俺の額に指を突いた。
次の瞬間、俺の身体から何かが抜き取られる感覚が走った。
やや間をおいて、俺が目をあけると男は忽然と消えていた。
何だかやるせなかったが、俺はUを抱えて森の外へ脱出した。
煙を避けながらで多少時間はかかったが、遠くで祖母の姿が見えて俺はほっと息をついた。

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