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【師匠シリーズ】人形

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252 :人形  ◆oJUBn2VTGE:2008/02/12(火) 01:04:31 ID:FukvotX90
「その人形。あなたの先祖の家業だった写真屋の、これは商売道具のはずだ。
だから実のところ、一見して左前に見えてはおかしいんだ。
衣服だけでなく刀などの道具立ても左右逆にしつらえて撮るように、膝に抱く人形だって持ち主に合せるべきだ。
市松人形はもともと女性や子どもの着せ替え人形なんだ、合せ方を逆にして着せるなんて容易いはず。
同じ目的でずっと使う人形ならばなおさらそうすべきだ。
しかし、この写真に残されている姿はそうではない。
何故だかわかるかい。
それは」
師匠は憂いを帯びたような声で、しかし俺にだけわかる歓喜の音程をその底に隠して続けた。
「真ん中に写ったものが早死にするという噂のためにこの人形を真ん中に据えるってことと同じ目的のためだ。
写真にまつわる穢れをすべて人形に集中させるため、徹底した忌み被せが行われている。
つまりわざわざ死者の服である左前で写真に写るように、この人形だけは右前のままにされているのさ」
吐き気がした。
師匠につれまわされて今まで見聞きしてきた様々なオカルト的なモノ。
それらに接する時、しばしば腹の底から滲み出すような吐き気を覚えることがあった。
しかしそれは大抵の場合、霊的なものというよりも人間の悪意に触れた時だったことを思い出す。
「付喪神っていう思想が日本の風土にはあるけど、古くから人間の身代わりとなるような人形の扱いには特に注意が払われていた。
しかしこいつは酷いね。
その人形に蓄積された穢れの行き着く先を誤っていれば、どういうことになるのか想像もつかない」
柱時計の音だけが聞こえる。
静かになった部屋に、畳を擦る音をさせて師匠が俯いたままの礼子さんに近づいた。

253 :人形  ◆oJUBn2VTGE:2008/02/12(火) 01:06:24 ID:FukvotX90
「あなたが魅入られた原因は、実にはっきりしている。
なくなったはずの人形がこの世に影響を及ぼす依り代としたもの。
それは真ん中で写ったものの寿命が縮まるという噂と同じくらいポピュラーで、江戸末期から明治にかけて日本人の潜在意識に棲み続けた言葉。
“写真に写し撮られたものは、魂を抜かれる”という例のあれだ」
師匠は俺の手からもぎ取った写真の人形のあたりを手のひらで覆い隠すようにして続けた。
「あなたがおばあちゃんから貰ったというこの写真こそが元凶だよ。人形の形骸は滅んでも、魂は抜かれてここに写し込まれている」
そう言いながら礼子さんの顔を上げさせた。
目は涙で濡れているが、その光に狂気の色はないように思えた。
「これは僕が貰う。いいね」
礼子さんは震えながら何度も頷いた。
師匠は呆然とするみかっちさんにも同じように声を掛け、「あの絵は置かない方がいい。あれも僕が貰う」と宣告する。
そうして最後に俺に笑い掛け、「おまえからは特に貰うものはないな」と言って俺の背中を思い切りバンと叩いた。
いきなりだったのでむせ込んだが、その背中の痛みが俺の体を硬直させていた”嫌な感じ”を一瞬忘れさせた。
引き上げようと、師匠は静かに告げた。
その後、礼子さんは糸が切れたようにぐったりと客間のソファーに横たわった。
その顔はしかし、気力と共に憑き物が取れた様に穏やかに見えた。
俺たちは礼子さんに心を残しつつもその大きな家を辞去した。


254 :人形  ◆oJUBn2VTGE:2008/02/12(火) 01:07:29 ID:FukvotX90
みかっちさんが青ざめた顔で、それでも殊勝にハンドルを握り元来た道を逆に辿っていった。
「あんた何者なのよ」
小さな交差点で一時停止しながら掠れたような声でそう言って、横の師匠を覗き見る。
彼女の中で、『gekoちゃんの彼氏』以外の位置づけが生まれたのは間違いないようだ。
その位置づけがどうあるべきか、迷っているのだ。
それは俺にしても、出会った頃からの課題だった。
「さあ」と気の無い返事だけして師匠は窓の外に目をやった。
車は街なかの駐車場に着いて、俺たちはグループ展の行われているギャラリーに舞い戻った。
「ちょっと待ってて」と言ってみかっちさんは店内に消えていった。
と、1分も経たない内に「絵がない」と喚きながら飛び出して来た。
俺たちも慌てて中に入る。
「どこにもないのよ」
そう言って閑散としたギャラリーの壁に両手を広げて見せた。
確かにない。
奥の、照明が少し暗い所に飾ってあったはずの人形の絵がどこにも見当たらない。
「ねえ、私の人形の絵は? どこかに置いた?」
とみかっちさんは受付にいた二人の、同年齢と思しき女性に声を掛ける。
「人形の絵? 知らない」と二人とも顔を見合わせた。
「あったでしょ、4号の」
畳み掛けるみかっちさんの必死さが相手には伝わらず、二人とも戸惑っているばかりだ。
俺と師匠も絵があったはずのあたりに立って周囲を見回す。
人形の絵の隣はなんの絵だったか。
瓶とリンゴの絵だったか、2足の靴の絵だったか……どうしても思い出せない。
しかし、壁に飾られた作品が並んでいる様子を見ると、他の絵が入り込む隙間など無いように思える。

255 :人形 ラスト  ◆oJUBn2VTGE:2008/02/12(火) 01:08:41 ID:FukvotX90
薄ら寒くなって来た。
やがてみかっちさんが傍に来て、「搬入の時のリストにもないって、どうなってんの」と打ちひしがれたように肩を落とす。
「なんかダメ、あたし。あの人形がらみだと、全然記憶があいまい。何がホントなのか全然わかんなくなってきた」
それは俺も同じだ。
つい数時間前にこの目で見たはずの絵が、その存在が、忽然と消えてしまっている。
「ねえ、このへんから変な声がしたり、黒い髪の毛がいっぱい落ちてたりしたよね」とみかっちさんは再び仲間の方へ声を掛けるが、「えー、なにそれ知らない。あんたなに変ことばっかり言ってんの」と返された。
「その髪の毛は一人で掃除したのか」
納得いかない様子ながらも、師匠の言葉に頷く。
そんなみかっちさんは兎も角、俺たちまで幻を見ていたというのか。
師匠にその存在を否定されてから、あの人形の痕跡が消えていく。
俺は目の前の空間が歪んで行く様な違和感に包まれていた。
まるでこの世を侵食しようとした異物が己に関わるすべてを絡めとりながら闇に消えていくようだった。
「まさか」
と俺は師匠が脇に抱える布を見た。
木枠に納められたあの写真をグルグルに巻いている布だ。
これまで、どうにかなっているようだと、それこそ頭がどうにかなりそうだった。
「これは、見ない方がいいな」
師匠は強張った表情でしっかりとそれを抱え込んだ。
そのあと師匠がそれを処分したのかどうかは知らない。

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