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【師匠シリーズ】人形

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238 :人形  ◆oJUBn2VTGE:2008/02/12(火) 00:43:43 ID:FukvotX90
そうして俺たちは3人でその女性、礼子さんの家に向かうことになったのだった。
喫茶店から出るとき、師匠は俺に耳打ちをした。
「面白くなってきたな」
俺は、少し胃が痛くなってきた。
みかっちさんの車に乗って、走ること15分あまり。
街の中心からさほど離れていない住宅地に礼子さんの家はあった。
2階建てで、広い庭のある結構大きな家だった。
チャイムを鳴らすと、ほどなくして黒い髪の女性が出てきて「あ、いらっしゃい」と言った。
案内された客間に腰を据えると、用意されていたのか紅茶がすぐに出てきた。
スコーンとかいうお菓子も添えられている。
「いま家族はみんな出てるから、くつろいでくださいね」
言葉遣いも上品だ。
こういうのはあまり落ち着かない。
「大学のお友だちですって? ミカちゃんが男の人をつれてくるのは珍しいね」
俺たちはなにをしに来たことになっているのか、少し不安だったが、「ああ、写真ね。今持ってくる」と言ってスカートを翻しながら部屋から出て行った様子に安堵する。
みかっちさんが小声で、
「とりあえず、古い写真マニアっぽい設定になってるから」
やっぱり胃が痛くなった。
戻ってきた礼子さんは「死んだ祖母の形見なんです」と言いながら、木枠に納められた写真をテーブルに置いた。
色あせた白黒の古い写真をイメージしていた俺は、首を傾げる。
ガラスカバーの下にあるそれは、妙に金属的で紙のようには見えなかったからだ。
しかしそこには着物姿の3人の女性が並んで映っている。
モノクロームの写りのせいか、年齢は良く分からないが若いようにも見えた。
椅子に腰掛け、何故かみんな一様に目を正面から逸らしている。
そして真ん中の女性が膝元に抱く人形には、確かに見覚えがあった。
あの絵の人形だ。

241 :人形  ◆oJUBn2VTGE:2008/02/12(火) 00:46:33 ID:FukvotX90
「私の祖母の家は、明治から続く写真屋だったそうです。この写真はそのころの家族を撮ったもので、たぶんこの中に私のひいひいおばあちゃんがいるそうです」
礼子さんはうっとりとした表情で装飾された木の枠を撫でながら、「真ん中の人かな」と言った。
師匠は、食い入るような目つきで顔を近づけて見ている。
おお、マニアっぽくていいぞ、と思っていると彼は急に目を閉じ、深いため息をついた。
「これは銀板写真だね」
目をゆっくりと開いた師匠の言葉に、礼子さんは軽く首を傾げた。
わからないようだ。
俺もなんのことかわからない。
「写真のもっとも古い技術で、日本には江戸時代の末期に入ってきている。
銀メッキを施した銅板の上に露光して撮影するんだ。
露光には長くて20分も時間がかかるから、像がぶれないように長時間同じ姿勢でいるためにこうして椅子に座り……」
と言いながら師匠は着物の女性の髷を結った頭部を指さす。
頭の上になにか棒のような器具が出ている。
「こういう、首押さえという道具で固定して撮る。
ただ、この銀板写真も次世代の技術である湿板写真の発明によってあっという間に廃れてしまう。
長崎の上野彦馬とか下田の下岡蓮杖なんかはその湿板写真を広めた職業写真家の草分けだね。
明治に入ると乾板写真がそれにとって代わり、日本中に写真ブームが広がる。
その中で出てきたのが、写真に撮られると魂を抜かれるだとか、真ん中に写った人間は早死にするだとかいう噂。
それからそこにいないはずの人影が写った”幽霊写真”。
今の心霊写真の元祖は明治初期にはすでに生まれていて、そのころからその真偽が論争の的になっている」
ほー、という感心したような吐息が女性陣から漏れる。

243 :人形  ◆oJUBn2VTGE:2008/02/12(火) 00:49:37 ID:FukvotX90
本当に古い写真マニアだったのかこの人は。
いや、というよりは、やはり心霊写真好きが高じてというのが本当のところだろう。
「というわけで、銀板写真は明治の写真屋の技術ではないんだ。
だからこれは商売道具で撮影したものではなく、回顧的もしくは技術的興味で撮られた写真だろう。
像も鮮明だから、露光時間が短縮された改良銀板写真技術のようだね」
やはり感じたとおり、材質は紙ではなかった。
銅版なのか。
俺はしげしげと3人の女性を見つめる。
100年も前の写真かと思うと、不思議な気持ちだ。
本当に写真は時間を閉じ込めるんだな、と良くわからない感傷を抱いた。
「魂を抜かれるって、聞いたことがありますね。真ん中で写っちゃいけないとかも」
礼子さんの言葉に師匠は頷きかける。
「うん。
それは当時の日本人にとっては切実な問題だったんだ。
鏡ではなく、まるで己から切り離されたように自分を平面に写し込むこの未知の技法を、どこか忌まわしいもののように感じていたんだろう。
この写真の女の人たちが目を背けているのも、その頃の俗習だね。
視線を写されるのは不吉だとされていたらしい」
本来の目的を忘れて師匠の話に耳を傾けていると、そこから少し口調が変わった。
「この、真ん中の女性が抱いている人形もそうだ」
みかっちさんの肩も緊張したように、わずかに反応する。
「真ん中の人間の寿命が縮むというのは明治時代、日本中に広がっていた噂でね。
今で言うミーム、いや都市伝説かな。
そんな噂を真に受けて不安がる女性客に、写真屋が手渡すのがこれだよ」
師匠は女性の膝の人形を指さす。
「人形を入れれば、全部で4人。
真ん中はなくなる。
それに椅子に斜めに腰掛けることで、人間ではなく膝の上の人形が正確に写真の中心にくるような配置になっている。
つまり寿命が縮む役の身代わりということだ。
そうした写真の持つ不吉さを、人形に全部被せていたんだ」


244 :人形  ◆oJUBn2VTGE:2008/02/12(火) 00:52:39 ID:FukvotX90
ゾクゾクしはじめた。
身代わり人形だったのだ。
“穢れ”の被り役としての。
恐らく、写真屋は同じ人形を使い続けただろう。
その頃、写真を撮るような客は上流階級に属している者ばかりのはずだ。
そんな客に、使い捨ての安っぽい人形を持たせる訳にもいくまい。
つまり、こういう、上質な市松人形のようなものが、ずっとその役目を負い続けるのだ。
意思を持たないものに、悪意を被せ続ける……
そのイメージに俺はぞっとした。
何年何十年という時間の中で穢れは、悪意は集積し、この人形の内に汚濁のように溜まっていく。
そして……
シーンと静まる家の中が、やけに寒く感じられた。
「ちょっと、なんでそういうこと言うのよ」
礼子さんの口から鋭く尖った言葉が迸った。
「この子は私のひいひいおばあちゃんの大切な人形よ。そんな道具なんかじゃない。だってずっと大事にされて今の私にまで受け継がれたんだから。見ればわかるわ」
そう捲くし立てて礼子さんは凄い勢いで部屋の出口へ向かった。
唖然として見送るしかない俺の横で、師匠は叫んだ。
「そんなものが実在すればね」
一瞬、礼子さんの頭がガクンと揺れた気がしたが、彼女はそのまま部屋を飛び出していった。
「どういうこと?」
とみかっちさんが訝しそうに眉を寄せる。
「まあ見てな」

246 :人形  ◆oJUBn2VTGE:2008/02/12(火) 00:54:52 ID:FukvotX90
師匠は余裕の表情で革張りのソファに深く体を沈めた。
俺は写真にもう一度目を落とし、人形を良く観察する。
色こそついていないが、やはりあの絵と全く同じ人形のようだ。
髪型や表情、帯や着物の柄も同じに見える。
師匠はこの写真からなにかわかったのだろうか。
やがて静まり返っていた家の中に、女性の悲鳴が響き渡った。
全員腰を上げ、客間を出る。
スリッパの音がバラバラと床を叩いた。
みかっちさんが先導して1階の奥の部屋へ足を踏み入れると、広々とした和室に礼子さんの後姿が見えた。
「いないのよ。あの子が」
屈み込み、取り乱した声で畳を爪で引っ掻いている。
和箪笥など古い調度品が並ぶ中、奥に床脇棚があり、その上に空のガラスケースが置かれていた。
ガラスケースの中には薄紫色の座布団のような台座だけがぽつんと残されていて、丁度あの人形が納まる大きさのように思えた。
「誰なの。どこへやったの」と呻く様に繰り返している礼子さんに、みかっちさんが駆け寄り「落ち着いて」と背中をさする。
次の瞬間、バン、という大きな音がして横を見ると、師匠が後ろ手で壁を叩いた格好のまま険しい顔つきで女性二人を睨んでいる。
「落ち着くのは、キミもだ」
そう言いながら床脇棚に近づき、ガラスケースを持ち上げる。
台座を触り、その指を二人に見せ付けた。
「この埃は、少なくとも何年かここに人形なんか置かれていなかったことの証だ。
あの絵を見た時からおかしいと思っていたが、写真を見て確信した。
人形なんかこの家にはないじゃないかと」

247 :人形  ◆oJUBn2VTGE:2008/02/12(火) 00:56:09 ID:FukvotX90
礼子さんが怯えたような顔で、頭を抱える。
みかっちさんも目の焦点が合っていない。
「先日の温泉旅行、その人形がバッグから出てくるところを見たのは彼女の他にキミだけだ。それは本当にあの人形だったのか?」
師匠の詰問に、みかっちさんはうろたえて「え、だって」と口ごもった。
そして「あれ? あれ?」と両手で自分の頭を挟むように繰り返す。
「人形を絵に描いたと言ったが、具体的にどこでどうやって描いたか、今説明できるか」
「え? うそ? あれ?」
みかっちさんは今にも崩れ落ちそうに小刻みに震えながら、なにも答えられなかった。
「あの写真持ってきて」との師匠の耳打ちにすかさず従い、ほどなく俺は3人の前に写真を掲げた。
「僕はその人形を描いたという絵の着物の襟元を見ておかしいと思った。それは合せ方が通常と逆の左前になっていたからだ」
師匠は洋服とは違い、和服は男女ともに右前で合せるのが伝統だと語った。
「これに対し、死んだ者の死装束は左前で整えられえる。北枕などと同じく葬儀の際の振る舞いを”ハレ”と逆にすることで死の忌みを日常から遠ざけていたんだ。だから子どもの遊び道具であり、裁縫の練習台であった、いわば日常に属する市松人形が左前であってはおかしい」
こんなことは説明するまでもなかったか、と呟いてから師匠はみかっちさんの方を向いた。
「モデルを見て描いたのであれば、こんな間違いは犯さないはずだ。絵の技法上の意図的なものでない限り、彼女はその人形を見ていないんじゃないかとその時少し不審に思った」
そして写真を指さす。

248 :人形  ◆oJUBn2VTGE:2008/02/12(火) 00:59:14 ID:FukvotX90
「そこで出てきたのがこの銀板写真だ。銀板写真は明治の志士の写真などで知られる湿板写真やその後の乾板写真と大きく異なる性格を持っている。それは被写体を左右逆に写し込むという技術的性質だ」
え? と俺は驚いて写真を見た。
文字の類は写真に写っていないので、左右が逆であるかどうかは咄嗟に判断がつかない。
そうだ。
着物の襟だ。と気づいてからもう一度3人の女性の襟元をよく見た。
本人から見て左側の襟が上になっている。
「ホントだ。左前になってます」と言うと、師匠に話の腰を折るなと言わんばかりに「バカ、左前ってのは本人から見て右側の襟が上に来ることだ」と溜め息をつかれた。
あれ? じゃあ写真の女性は右前なわけで、正しい着方をしていることになる。
左右逆に写っていないじゃないか。
師匠は人さし指を左右に振ってから続けた。
「これが日本人の迷信深いところだ。
銀板写真が撮られた当時、被写体は武家や公家などの支配階級の子弟たちだったわけだが、出来上がった己の写真が死装束である左前となっていては縁起が悪いために、わざわざ衣服を逆に着て撮影していたんだ。
もっとも単に見栄えの問題もあったのだろう。
武士など刀まで右の腰に挿し直して撮っている。
当時の銀板写真を良く見ると、襟元や腰の大小が変に納まり悪く写っているから、彼らの微笑ましい努力の跡が垣間見えるってものだ」
ということは、つまりこの着物姿の3人の女性も撮影時にわざわざ左前にしてカメラの前に座ったのか。
俺は感心し、言われなかったら気づかなかったであろう100年の秘密に触れたことに、ある種の快感を覚えた。

249 :人形  ◆oJUBn2VTGE:2008/02/12(火) 01:01:21 ID:FukvotX90
「そこで、もう一度この真ん中の女性が抱える人形を見て欲しい」
師匠の言葉に、視線をそこに集中させる。
人形の襟元が、他の女性たちと逆に合せられている。
左前だ。
銀板写真は左右を逆に写すので、つまり撮影時には右前だったことになる。
「市松人形としてはこれで正しい。ただ撮り終わったあとの写真が間違っていただけだ。だから……」
と言って、師匠はみかっちさんに視線を向け、笑い掛けた。
「キミのあの絵は、この写真の一見左前に見える人形を描いたものなんだ。キミは人形を絵に描いたと言いながら、人形を見ていない。奇妙な記憶の混濁があるようだ。なぜならそんな人形はもう存在していないんだから」
キャアァー!!
という甲高い金属的な悲鳴が家中に響き渡った。
俺は背筋を凍らせるような衝撃に体を硬直させる。
頭を抱えて俯いている礼子さんの口から出たものにしては、おかしい。
まるで家中の壁から反響してきたような声だった。
「その人形がどうしてなくなったのかは知らない。
あなたの口からそれが聞けるとも思わなけど。
戦争で焼けたのか。
処分されたのか…… ただあなたの中に棲みついて、そこにいる友だちの中にも感染するように侵入したそれは、この世に異様な執着を持っているみたいだ。
自分の存在を、再び世界と交わらせようとする意思のようなものを感じる。
実際に、絵という形で、一度滅びたものが現実に現れたんだから」
ミシミシという嫌な圧迫感が体に迫ってくるようだ。
これは、髪が伸びるだとか、涙を流すだとかいう人形にまつわる怪談と同質のものなのか?
いや、絶対に違う。
俺は底知れない嫌悪感に体の震えを止めることが出来なかった。

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