もうどれほど歩いただろうか。時間も距離も、今どこにいるかということさえも、私達にはわからなかった。
まるで同じ場所をグルグル回っているかの様に思える程に。途方に暮れてしまった。
私達はいつのまにか深い森に入ってしまっており、
冬という日照時間が短い季節のせいなのか、森の木々が太陽を遮っているのかわからなかったが、
辺りは段々暗くなっていた。
いつのまにか雪も降りだし、寒さも増し、子供心に不安が募る。
更にしばらく歩くと太陽は沈みかけ、村役場の17時を知らせる鐘が鳴り響いた。
私「もう17時だよ。ここどこ?」
A「わからん。でもおかしいべ、あんな浅い場所で迷うなんて」
B「こんなに遅いとオド(父親の事)に怒られるぞ。早いとこ帰ろ」
しかし私達は疲れ果て、適当な場所に腰を下ろした。
祖父の村では、子供に必ず懐中電灯を持たせる慣わしがあった為、幸いにも私達は3人とも懐中電灯を持っていた。
B「疲れたなぁ。さみぃし。腹も減ったな」
私「ねぇ、なんかあそこにあるよ」
私が懐中電灯を照らした先に、色の剥げた大きな鳥居があった。
私達は恐る恐る近づき、鳥居をくぐると、荒れ放題の石畳を歩いた先に、小さな祠(ほこら)の様な物があった。
祠の前には、米や瓶に入った水(恐らく酒)が供え物がしてある。
その両脇に、卒塔婆の様な物に漢字がたくさん記されてあった。それをどう読むのか、私達にはわからなかい。
それを見た途端、AとBはギョッとしたように顔を見合わせた。
A「まさか・・ここが“中つ森”っちゅう事はねぇよな?」
B「いや・・俺も“中つ森”さ行った事ねぇし、場所もよう知らんからわからんけど・・
この山に神社みてぇのがあるなんて聞いた事ねぇぞ」
私「“中つ森”ってそんなにマズイ場所なの?」
B「そうか、おめぇはよそ者だからな。でも、こんな話はオドから聞いた事ある」
私「なに?」
B「簡単に言うと、“中つ森”は山神様っちゅう、山の神様が住んでる場所で、
村の人間でも絶対に入っちゃならねぇって場所なんだ」
私「それは知ってるよ」
B「なんでもその山神様ってのが、えれぇ短気な神様で、
人が“中つ森”にいるのがわかると山神様は怒って、手足を引きずってどこかに連れてっちまうんだ。
これを大人達は、“神隠し”とか“祟り”って呼ぶ」
私「・・どこかって、どこに連れてかれるの?」
B「それはわからん。とにかく“神隠し”に遭うと、大人でも見つけられねぇんだ。大人にもわからないどこかに・・」
ゴォーッ
ゴゴゴゴ・・・・・・・・
Bがそう言いかけた時、今まで聞いたことのないような耳をつんざく轟音が鳴り響いた。
B「うわーっなんだ!?」
A「山が揺れてるっ!」
山が全体が揺れはじめたのだ。
私達は堪え切れずひっくり返り、訳がわからないまま雪の上に転がったり、必死で木にしがみついたりした。
山が揺れだしてから2~3分経っただろうか。揺れはようやく収まり、地鳴りも止み、辺りは再び静寂さに包み込まれた。
私達は呆然としたまま、その場に座り込んでいた。
A「・・・今の・・何だったんだ」
私「わかんないよ・・地震かな・・」と私が言ったその時、
・・デテイケ、デテイケ、デテイケ
デテイケ
突然、耳元で誰かが囁いた。
男なのか女なのか判らない声。
いや、耳元というより、直接頭の中にスッと入ってきた様な、そんな感覚だった。
ただ、いやに冷たい声だった。
この瞬間を、今でも私ははっきり覚えている。
全身に鳥肌が立ち、一瞬時が止まったかの様に思えた。
A「今、聞こえたか?」
聞こえていたのは私だけではなかった。
私達3人は互いの顔を見合わせ、がむしゃらに走った。
B「いけん!ここ、やっぱり“中つ森”だ!さっきの地鳴りも山神様の祟りだ!
俺達が“中つ森”に入っちまったから、怒ってんだよ!
早く逃げんと山神様に命吸われちまう!」
A「早く!早くしないと!」
もう、本当にこの時は頭の中がグチャグチャで訳がわからなかった。
とにかく暗闇の中、私達は走り続けた。何度も転んだり、木々の枝等が顔にたくさんぶつかっても気にしなかった。
走っている方向も、帰り道かなんてどうでもいい。とにかくあの場から逃げ出しかった。
そして私は足を止め、ゼェゼェと息を切らせながら思いきり空気を吸い込んだ。体力の限界だった。もう走れない。
立ち止まると、AとBはいなかった。先程の騒ぎではぐれてしまったのだ。
おまけに懐中電灯もどこかへ落としてしまい、私は不安で顔が涙でグシャグシャだった。
私「ハァハァ・・・二人ともどこー?」
疲れ果て、いよいよ心細くなった私は、立っていることさえもままならず、木に寄り掛かるようにして座り込んでしまった。
いつの間にか降ってくる雪は激しさを増し、吹雪に変わっていた。
吹き付ける雪が私の体にまとわり付き、容赦なく体温を奪う。
手足の感覚はなく、私の小さな体は完全に力尽きてしまっていた。
急激な眠気が襲ってきた。
もうダメかもしれない。
そう思った時、
ザっ・・ザっ・・
私の後ろの方から雪を踏みしめる足音が聞こえて来る。
ゆっくり、ゆっくりと。
吹き荒れる風の音の中、何故かハッキリと聞こえたのだ。
足音の主の姿はこの暗さで全くわからなかったが、暗闇の奥から誰かが静かに歩み寄ってくる。
さっきまで体の感覚が全て鈍っていたのだが、まるで研ぎ澄まされた様にわかる。
急に意識がハッキリとしてきた。不思議な感覚だった。
こんな夜に、こんな場所で誰が?
山神様が跡を追ってきたに違いない・・・。
そんな事を考えると震えが止まらなかった。
逃げなきゃと思っても、体が金縛りにあったみたいにピクリとも動かなかった。
私の心臓は爆発しそうなくらいバクバクと高鳴っていた。
自分の心臓の音で居場所がばれるんじゃないかと思い、必死に胸と口を抑えた。
ザっ・・ザっ・・ザっ・・
徐々に近づいてくる足音に、私は怯えながら自分の服をギュッと握りしめていた。
もう足音は、私のる木の真後ろだった。
すると、ピタッと足音がやんだ。
私は息すらも止めていたんじゃないかと思うくらいに、背筋を伸ばし硬直していた。
それから何分、何十分経っただろうか。
私の身に何も起きない安堵感から、緊張の糸がプツッと切れたように、息を大きく吸って吐いた。
もう大丈夫かな・・・
私は意を決して、後ろを振り向いた。
だが何もいなかった。相変わらず轟々と吹雪が唸りをあげてるだけだった。
なんだったんだろう。よかった・・・
私は安心し、首を元の位置に戻した。
だが、――――――ッッ!!
私は目の前の光景に絶句した。
真っ白な着物を着た女が、私を見下ろしていたのだ。その距離は1メートルもなかっただろう。
記憶が曖昧だが、身長は2メートル以上あったと思う。手足が異様に長かった。
私は目の前の光景を理解できずに、ただガタガタ震えていた。
月明かりに照らされたその無機質な表情と姿は、まるで雪女を思わせる様な不気味さを醸し出していた。
女は私と目が合うと、私の顔にまで大きく身を乗り出し、顔をのぞきこんだ。
女は私の顔をのぞきこみながら、ニンマリと笑いを浮べている。
とっさに目を閉じようとしたり、顔を背けようとしても、何故か体が言う事を聞かず、女は真っ直ぐ私を見つめていた。
まるで蛇に睨まれた蛙の様に、私ただ震えそうになる全身を必死で押さえつけた。
ちらりと見えてしまったその顔の恐ろしい事。
前髪と肩から垂れる長い黒髪。そして長髪から覗かせる血走った目と、血の気のない唇がニヤッと不気味に歪む。
怒っているのか、喜んでいるのか、はたまた悲しんでいるのかという事など、その表情からは伺う事ができなかった。
そして女は唐突に、私の右手首をぐいっと掴んだ。
あまりの恐怖に、私は小さく「ヒッ」と漏らした。物凄い力で、ぎりりと腕が痛むほどだ。
私「痛いっ、痛いっ」
私はたまらず叫び、その手を振りほどこうともがいた。
だが寒さのせいか、恐怖のせいか、身体は上手く動かず、力を入れることが出来ない。
喉に何かが張り付いているように、あげたはずの叫びも声にはならなかった。
私はそのまま引きずられ、女は無情にも私をどこかへ連れて行こうとする。
・・ズルっ・・ズルっ・・
引きずられながら私は女の方をちらっと見ると、月明かりと雪の反射に照らされ、恐ろしく不気味な顔だった。
相変わらずニヤニヤし、私と目が合うとまたニンマリと嬉しそうに笑う。
ズルっ・・ズルっ・・
山神様に連れてかれるんだ。薄れゆいて遠のく意識の中、私はそう思った。
しかし、どこからか大好きな祖父の声が聞こえてくる気がした。
私が目を覚ましたのは、それから2日後の事だった。
気がつくと、目に入ってきたのは見慣れた天井だった。
私は祖父の家で布団の中にいた。
体にうまく力が入らない。
夢だったのかな?
そうボーッとしていると、「目が覚めたぞ!」「無事だぞ!」という声が聞こえ、バタバタと廊下を走る騒がしい音した。
ちらっと横を見ると、村の大人達数人が部屋にいる。
「K!」
私の名前を呼ばれる先に目をやると、祖父がしわくちゃな顔をさらにくちゃくちゃにし、私に抱き着いた。
祖「よかった!本当によかった・・・生きていてくれて本当に・・よかった!」
祖父はそう言い、目を真っ赤にしながら私の頬を撫でてくれた。
私には何が何だかわからなかったが、ただ、この時祖父のぬくもりを感じて、とても安心したのを覚えている。
ふと、私は妙な感覚に気づいた。右手の感覚がないのだ。
恐る恐る右手を布団から出して見てみると、何と右手首から上が無くなっていた。
包帯が巻いてあるが、私の“手”は姿形もない。
あの女に掴まれた部分が無くなっている。
再びあの夜の恐怖が私の中に蘇った。
私はパニックになり泣き出し、手に負えなかった。