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【洒落怖】中つ森の山神

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祖父や他の大人達が私を落ち着かせ、状況がよく理解できていない私に、祖父は順を追ってゆっくりと説明してくれた。
あの日の2日前の夕刻、祖父や村の人達はまだ帰らない私達が山で遭難した事に気づき、
大人達が慌てて捜索に行こうとした時に突如、不気味な地鳴りが響き渡り、間髪入れず地震が起きた。
村の電柱は倒れ、近くの道路では地割れも起き、村では大変な騒ぎだったという。
更に追い討ちをかけるように、地震の影響で私達がいるはずの山から大規模な雪崩が発生し、
集落の村では山の側にあった3棟の家が雪崩によって半壊し、何人かの人が亡くなったり怪我をしたりしたのだと。
しばらくして青年隊も駆け付け、山狩り(私達の救助)を行おうとしたのだが、
しかし外は猛吹雪で大荒れだった為、二次災害(二重遭難)を防ぐ為に、捜索は次の日の明朝という事になったのだった。
当然の事ながら、あの大規模な地震と雪崩で、もう私達の生存の可能性は薄いと見ており、
友人A、Bも2人同じ場所で凍死した状態で発見された。
私は瀕死の状態だったが、“中つ森”の山神様の祠に寄り掛かるようにして意識を失っていたという。
また不思議なことに、幸いにも“中つ森”には雪崩の被害は及ばなかったらしい。
とにかく、あのような大惨事だったに関わらず、子供が命を取り留めたのは奇跡なのだという。
しかし、発見時には私の右手は重度の凍傷により壊死してしまっており、手首を切断せざるを得なかったのだと。

道に迷い、知らぬ間に“中つ森”に入っていた事、その突如地震が起きた事、不気味な声が聞こえた事、
女に右手を掴まれどこかへ引きずられた事・・・
私は祖父に、自分の身に起きた全てのことを記憶の限り話した。
すると、祖父はぽつりぽつりと語った。
祖「ほうか・・・山神様はお前を守って下すったんだな。
 山神様ちゅうのは、この山の生と死を司る神様だ。
 山神様には気まぐれな所があってな、わしらが生きる為の“命”を与えて下さるが、時に激しく牙を剥く時もある。
 山神様はお前の命を助けようと、雪崩の来ない“中つ森”に運んで下すったんだよ。
 本当は死んじまう所を、手一本で済ましてくれたんだ。
 AとBは・・気の毒だが」
私「なんで僕だけ助けたの?AとBはどうして助からなかったの?」
祖「それはおじいにもわからん。山神様は気まぐれだからな。おじいも、AとBの事は本当に辛いと思っとる。
 だがな、K。山神様は決してAとBを助けなかった等と思っとらん。
 ただ、時として人間も自然界の力には敵わん時もあるっちゅう事だ。わかるか?
 人間だって、自然界の一部の生き物だ。鹿や熊、虫と変わらん同じ命を持ってる。
 山神様は人間だからっちゅう理由で特別扱いはせん。
 ・・・だが、未来のある子供が亡くなったっちゅう事は・・本当に悲しいがな」
そう言って、祖父は悲しげに私の右手を優しくさすった。
この時、私には祖父の言っている意味がよく理解できなかった。

そして月日が経ち、
あの時の事故があってから両親と祖父の間で色々あった様で、祖父とは何となく疎遠になってしまった。
私が大学に入学した年の初冬に、祖父は亡くなった。享年96歳。
村に初雪が降った日の朝、隣の住人が様子を伺いに行くと、静かに息を引き取っていたという。
苦しんだ様子もなく、眠っているような、穏やかな死に方だったらしい。
葬式に参列した時、祖父の変わり果てた姿に私は言葉が出なかった。

祖父が亡くなってからしばらくして、10数年振りに祖父の所を訪れた。
だが、村は市と合併してしまい、アスファルトに舗装されコンビニ等もできており、
私の記憶にある祖父の村とはかなり違っていた。
山も開発で穴だらけになり、あの綺麗な小川や沢山の森や木々は姿を消してしまっている。
私はなんだかやるせない気持ちに襲われた。


歳をとった現在、当時の事を時々振り返る事がある。
あの時は幼くて理解できなかった事々が、今ではなんとなくわかってきた様な気がするのだ。
私が遭難したあの日、祖父は山で何かが起こると予感していたのではないのか。
長年あの山でマタギを生業としている祖父の研ぎ澄まされた“五感”が、何らかの異変を感じとっていたに違いない。
そして、“中つ森”の山神様。
今思うと、あの時聞こえた“デテイケ”という言葉は、『雪崩が起きるから早く逃げろ』という警告ではなかったのだろうか。
また、後からわかった事だが、山神様というのは山の化身であり、精霊であり、山の命そのものなのだという。
滅多に人前に姿を現さないが、伝聞によると、女性や白蛇、時には白狐の姿で現れると言われているのだとか。
山神様を信じ、敬意を払っていた人間は、死ぬと自然に還って山神様の一部となり、
そして山の命は育まれ、大自然の中を巡り巡って、また生まれ変われるのだと。
祖父の地域では古来より崇められており、今でも毎年時期になれば山神様を讃える祭りが行われている。
昔の人々は大自然と共に生きるが故に、時折起こる天災や不幸な事故に畏怖し、山神様を奉る様になった。
また、川や山で採れる命の恵みに感謝し、山神様(大自然)に敬意を抱いていたのだろう。
私はあの時、偶然にも山神様に救われた事を、夢や勘違いだとは決して思わない。
今だって、あの山の命としてどこかで何かを見つめているに違いない。
春の陽気の様に優しい時もあれば、冬の極寒の様に厳しい時もある様に。
祖父もあの山のどこかにいるのかと思うと、何だか不思議な気持ちになる。
“中つ森”は開発されてしまい、山神様の祠はどこかの神社へ移送されてしまったと聞いた。
山神様はあの変わり果てた山々を見て何を想っているのだろうか。
ツルツルの右手を眺めながら、私はそう思った。

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