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【師匠シリーズ】未 本編1

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336 :未 本編1 ◆oJUBn2VTGE :2012/01/02(月) 22:15:41.13 ID:93PkLSJW0
師匠から聞いた話だ。

大学一回生の冬。僕は北へ向かう電車に乗っていた。
十二月二十四日。クリスマスイブのことだ。
零細興信所である小川調査事務所に持ち込まれた奇妙な依頼を引き受けるために、バイトの加奈子さんとその助手の僕という、つましい身分の二人で、いつになく遠出をすることになったのだ。
市内から出発するころにはかなり込んでいた車内も、大きな駅を通り過ぎるたびに少しずつ人が減ってきた。
はじめはゴトゴトと揺れる電車の二人掛けの席に並んで腰掛け、荷物をそれぞれ膝に抱えていたのだが、閑散としてきたのを見計らい、僕は空いた向かいの席に移動して荷物を脇に置いた。
僕をこの旅に駆り出した張本人であり、オカルト道の師匠でもある加奈子さんはさっきから一体いくつ目になるのか知れないみかんの皮を真剣な表情で剥いている。
その横では窓のサッシに敷いたティッシュの上に剥かれた皮が小さな山を作っている。
「イブに温泉かぁ」
頬杖をつき、特に感情を込めずに僕がそう呟くと、その師匠はみかんの表面の白い繊維を千切れないように慎重に剥がしながら顔を上げた。
「イブってのは日没から深夜二十四時までのことだ。二十四日の昼間はクリスマスイブじゃない」
「本当ですか」
「百科事典で調べてみるか」
師匠はそう言って笑った。
今日は天気がいい。
それでも山肌や、畑。水路。あぜ道。送電線。そして瓦屋根。流れるように過ぎ去っていく景色には、寒々とした冬の色合いが濃い。
今回の依頼は、以前オカルトじみた事件を解決してもらって以来、師匠のシンパになってしまったという、ある老婦人の口利きで転がり込んできたものだった。
北の町の市街地から離れた温泉旅館で、このところ幽霊の目撃談が相次ぎ、営業に支障がでているというのだ。
そんなものは、仮に本物だとしても、いや、ガセだったとしても、どちらにせよ地元の神社やお寺にお願いして祓ってもらえば済む話だろう。ところがそれが全く効果がないらしいのだ。それも目撃される幽霊というのが問題だった。

337 :未 本編1 ◆oJUBn2VTGE:2012/01/02(月) 22:19:43.56 ID:93PkLSJW0
「神主?」
「そう。神主の格好してるんだと」
師匠はみかんにこびりついた白い繊維をすべて取り去ってなお、まだ残っていないかと、じろじろと見回しながら答えた。
「小さな温泉街だ。そのあたりにあるのも若宮神社っていう一社だけ。歴史はあるみたいで、先祖代々一族で神主を引き継いできてるんだけど……」
「その神社のご先祖様が化けて出てるんですか。温泉旅館に」
「そこなんだよ。理由がわからないんだ。場所も歩いて四、五十分くらいは離れてるらしいし、どうしてわざわざ旅館の方へ出てくるのか」
「なにか因縁があるんでしょうかね」
「それが旅館の方にも、神社の方にも全然心当たりがないらしい。責任を感じて今の宮司がかなり本格的にお祓いをやったらしいんだけど、効果なし。依然として夜中に旅館の中を狩衣(かりぎぬ)に烏帽子、袴姿の幽霊がさまよってるんだとさ」
神職の服装ってのは主に三種類に分けられる、と言いながら師匠はティッシュの中から手ごろなみかんの皮を摘み出した。
「まず、正装。新嘗祭とかの大祭で着る衣冠(いかん)だな。次に礼装。紀元祭とかの中祭で着る斎服(さいふく)だ。
これも頭は冠。最後に小祭、恒例式とか日ごろのお勤めで着る常装。これが狩衣に烏帽子、袴ってわけ」
師匠が順番に指をさす三つ並べられたみかんの皮をどれほど見つめてもそんな違いを感じ取れない。
「まあ、冠と烏帽子はシルエットでも見た目違うから分かるよ」
ではその日常の格好である常装で化けて出てくるところになにか意味があるのだろうか。
「さあ。一番多い格好だからじゃない」
師匠はすべての繊維を取り去り、すべすべになったみかんを満足そうに眺めながら言った。
「まあ、現地を見てみないことにはな」
そうですね。
窓の外に目をやろうとした瞬間、トンネルに入った。
「そういえば、最長で何日くらい向こうにいるんですか」
自分もそうだが、師匠の荷物もあまり多くない。
「その温泉で年越しを迎える馴染み客が何組かいるらしくてな。遅くとも二十九日までにはなんとかしたいらしい。まあ三日もあればなんとかなるんじゃないか」

338 :未 本編1 ◆oJUBn2VTGE:2012/01/02(月) 22:25:24.66 ID:93PkLSJW0
二十四、二十五、二十六、と師匠は指を折った。
「三日ですか」
僕としては師匠が出向けば即解決か、解決不能かどちらかのような気がしていた。三日というのは中途半端な感じだ。
「強気に出たいけど、神主の霊が出るってのはただごとじゃない気がする。まあそれも踏まえて三日だ」
師匠がすべすべのみかんをまるごと口に放り込んだ瞬間、トンネルを抜けた。一瞬で、光が電車のなかに満ちる。
「お、着いたぞ。西川町だ」もぐもぐと口を動かしながら師匠が窓に張り付く。
緩い勾配の山が四方を囲んだ、盆地のような地形に出た。川が線路と平行に走っている。
田畑が広がっているその向こうに、かすかに市街地が見える。あまり高いビルの姿はなさそうだ。
「さあ、お化けを見に行こう」
師匠は目を細めて嬉しそうに言った。

古びた駅の構内から出ると、申し訳程度の小さなロータリーに一台のバンが止まっていて、そのそばで二十代半ばとおぼしき年恰好の女性が立ったままタバコをふかしていた。
バンの側面には『旅館 とかの』と大きな文字で書いてあった。
「あ、小川調査事務所のヒト?」
女性がこちらに気がついてタバコを地面に落として踏みつけた。チェックのシャツに、ジーンズ、スニーカーという格好。
「私、『とかの』で仲居をしてる井口広子っての。よろしくね。あ、荷物後ろに乗っけるから」
そう言ってバンの後部ドアを開けると、僕と師匠のバッグを荷台にひょいひょいと放り込んだ。
スリムな体型に見えるが、意外に力があるようだ。
「まあ、乗って乗って」
僕らを収納し終わると、すぐにバンは発進した。背後の駅が小さくなっていく。
「バスのルートを教えてもらってましたけど」
師匠がクシャクシャになった紙を手にしながら言った。


339 :未 本編1 ◆oJUBn2VTGE:2012/01/02(月) 22:29:00.65 ID:93PkLSJW0
「あ、そう? まあ、ちょうど私が暇だったから。それにバスだと一度役場の方へ回るからだいぶ遠回りなのよね」
広子さんはあまり丁寧とは言いがたい口調だったが、どこかしら好感を持てるキャラクターだった。
「ねえ、あんまり詳しく聞いてないんだけど、あなた除霊とかするヒトなの?」
「除霊はできませんよ。ただ……」師匠は無遠慮な問い掛けに苦笑する。「ただ、解決するだけです」
「ふうん」
広子さんはバックミラー越しに後部座席の僕の方を見た。
「そっちのコが、助手ってコ?」
「はあ。どうも」
会釈すると、広子さんは顔を変に中央へ寄せて笑顔を作った。思わずこちらもつられて笑ってしまう。
それからしばらく僕らはバンの座席で揺られ続けた。
師匠は広子さんに土地柄に関する質問をして、そのたびにしきりに頷いている。
「とにかくど田舎よ。ど田舎。あたしもいつか絶対こんなトコ出てってやるんだから。……あ、田中屋だ」
広子さんの視線の先には大型のバンが走っている。その後部には「田中屋」という文字。
「あれは、うちのお隣の旅館の車。お隣っても、うちが一番辺鄙なとこにあるから、だいぶ離れてんだけど。うわー、団体客乗せてんじゃん」
宿泊客用の送迎車らしい。
広子さんは舌打ちをすると、乱暴なハンドルさばきであっと言う間に前を走る田中屋の車を追い抜いた。
「へへーん。うちは小さいけど小回りが身上だから」
同業者なのに、いや同業者だからか、普段からかなり仲が悪そうだ。本人は口笛など吹いている。
いつの間にかバンは市街地から抜け、周囲に田んぼの広がる川沿いの土手を走っていた。広子さんは窓の外に目をやりながら、「枝川っての。線路沿いの増井川の支流」と言った。
窓から外を見ていると、大きな貯水池のようなものが前方に見えてきた。
「ああ、あれは亀ヶ淵っていう溜め池。昔なんとかって武将が作ったんだって」

340 :未 本編1 ◆oJUBn2VTGE:2012/01/02(月) 22:32:28.14 ID:93PkLSJW0
平地の中にぽっかりと水面が開けている。かなり大きい。溜め池のそばの道沿いに看板のようなものが立っている。書いてある文字は見えなかった。
それからほどなくして蛇行した川を横切る形で橋を渡り、バンは山の麓の方へ進んでいった。
「着きましたよ。お客サマ」
バンが速度を緩めたのは、山に抱かれるような奥まった場所にひっそりと立つ二階建ての建物の前だった。
『とかの』という、ひらがなで大書された屋号が玄関に大きく飾られている。
大きく開かれた門を抜け、玄関に近づいていくと旅館の半被を着た若者が大きな箒を持って枯葉を掃いていた。
「あら。あのお坊ちゃん、また来てるよ。マメだねえ」
お坊ちゃん? 広子さんの口調には呆れたような、それでいてどこか意味深な響きがあった。彼はこの旅館の従業員ではないのだろうか。
広子さんが玄関に車を横付けすると、若者はこちらに軽く頭を下げてから自動ドアの中へ消えていった。
そして僕らが車を降りて荷物を出そうとしていると、白髪交じりの髪を短く刈り揃えた男性がドアから出てきて「お待ちしておりました。お持ちします」と言った。
やはり旅館の半被を着ている。小太りだが、動きはキビキビしていた。「あ、いや、自分で持ちます」と言いかけた師匠から押し付けがましくなく、自然に荷物を受け取った。
どうやら水周りのトラブルに呼びつけた修理工という感じではなく、それなりに客としての待遇ではあるようだ。
「あ、お父さん。くるま、車庫でいいの?」
広子さんの言葉に男性は頷いてから、ニコリともせずに「こちらへどうぞ」と僕らを自動ドアの方へ先導した。どうやら親子で働いているらしい。広子さんは仲居ということだったが、さしずめ父親は番頭というところか。
車を回す広子さんを尻目に僕らは旅館の中に入っていった。
タイル張りのたたきで靴を脱ぐと、狭いが整然としたロビーが目の前にあった。床には赤い絨毯が敷き詰められている。中は暖房が効いていて、ほっと人心地がつけた。
人形などの民芸品で飾られたフロントの奥から、和服の女性が姿を現した。薄桃色の上品な着物だ。
「ようこそいらっしゃいました」

341 :未 本編1 ◆oJUBn2VTGE:2012/01/02(月) 22:40:29.86 ID:93PkLSJW0
微笑んだ後で頭を下げる姿は流れるようで、いかにも身についた仕草という感じがした。
四十年配の女将は続けて「依頼をした戸叶(とかの)です」と名乗った。師匠が名刺入れを出したので、僕も慌ててポケットを探る。
興信所の所長は僕らバイトにも名刺を作ってくれていた。ただし、大きな声では言えないのだが、偽名だ。バレやしないかといつも不安になる。
女将も懐から名刺を出してお互いに交換した。
「よろしくお願いします」
特に名刺の名前に疑惑を持った風もなく、女将はにこやかに「まずお部屋へどうぞ」と片手を広げた。
ロビーを回り込むように抜けると、先へ伸びる廊下と階段があり、僕らは二階に案内された。
本来師匠が一人でやってくるはずのところを、急きょ僕も助手としてついていくことになったので、部屋が二人分用意されているのか不安だったが、並びで二つきちんとかまえられていた。
和室の中に通されると、思ったより広く、家族連れなどのグループ客が使う四、五人用の部屋のようだった。こんなことろを一人で使うのは申し訳ない気分になる。
女将は「今日はあと二組お見えになっているだけですから、お二階はすべて空いておりますので」とこちらの考えを見通したようなことを言って、「また後で参ります。遠路お疲れでしょうからまずはおくつろぎください」と去っていった。
僕としては、「申し訳ありません、一部屋しか用意できず」、「いえいえ、一向に構いません。ねえ師匠」、「しょうがないなあ。布団だけは離して敷いてくださいね」という展開を心のどこかでは期待していたので、幾分がっかりしたのだが。
とりあえず荷物を置いて、部屋のテーブルにあった茶菓子を掴むと隣の師匠の部屋へ移動した。同じような造りの和室だ。
隣の部屋では師匠がさっそくお茶をいれていたので、ご相伴に預かることにする。
「思ったよりいいところだな」
師匠の言葉に僕はこれまでに見たこの旅館のパーツ、パーツを思い浮かべ、そして頷いた。
「ただで泊めてもらって、その上、バイト代ももらえるなんて最高じゃないか」
「その分プレッシャーなんですけど」
口にすると、なんだか本当に不安になってきた。

344 :未 本編1 ◆oJUBn2VTGE:2012/01/02(月) 22:45:20.68 ID:93PkLSJW0
興信所の常として、成功報酬は別として、たとえ依頼内容が達成できなくても最低限の基本料金は払ってもらうのだ。もしこれでなにも成果なく逃げ帰るようなことになったら、と思うと……
「いいじゃないか。お化けを退治したら済むことなんだから」
「そう。それなんですよ。なにか感じますか、この旅館に」
僕はなにも感じない。今のところは、だが。
師匠は「うんにゃあ」と気のないそぶりで首を振ると、茶菓子に手を伸ばした。
「とりあえず、ただの噂とか勘違いの路線で裏づけを取る方向ですか? それともあくまで本物という前提でやっつけに行きますか」
これだけなにも気配を感じないとなると、『見る』のは大変そうだ。
「まあ、大丈夫じゃないか。聞いた話でも、出るのは夜だっていうし。それにカンだけど、今回のはたぶんホンモノだよ」
師匠はあっけらかんとしている。「お茶うめえ」などと言って僕の分の茶菓子にまで手をつけている。
そうこうしているうちに、女将がやってきた。そして依頼のことを口に出そうとしたとき、師匠がそれを制した。
「場所を変えましょう。この部屋では、主客が逆転してしまう」
女将は意外そうな顔をしたが、すぐに微笑んで「では下の応接室で」と言った。
なるほど。僕らは依頼を受けた立場で、女将の方が依頼客だ。それなのに、この客室にいては、職業柄女将は僕らを客として遇してしまうに違いない。それではちぐはぐなやりとりになると師匠は考えたのだ。さすがに慣れている。
階段を降り、僕らはフロントのちょうど裏側にあった応接室に通された。
僕と師匠はソファーに腰かけ、テーブルを挟んで向かいに女将と出迎えてくれた角刈りの男性。
「番頭兼料理長の井口です」
女将の紹介に男性は「井口勘介です」と頭を下げた。「先代からお仕えしております」
愛嬌のある顔ではない。薄くなりかけた頭の下に丸い鬼瓦が鎮座している。どこかムスッとしているようだ。
そしてその、お仕えしている、という時代錯誤な言い回しに、犬のような実直さを垣間見た気がした。
女将の名前は戸叶千代子といって、この温泉地である松ノ木郷で五つあるという温泉旅館の一つである『とかの』の三代目だということだった。

347 :未 本編1 ◆oJUBn2VTGE:2012/01/02(月) 22:50:28.87 ID:93PkLSJW0
この松ノ木郷は、温泉地としては歴史が浅く、明治に入ってからボーリングによって湧き出したものなのだそうだ。
その温泉旅館の中でもこの『とかの』は一番新しく、大阪で材木問屋を営んでいた初代の戸叶亀吉氏がこちらへ移り住んできて開いたものだという。
一番の新顔ということに加え、よそ者ということで最初は随分苦労したそうだ。旅館組合でもなにかにつけ、意地悪をされてきたという。
そしてそれは代を重ねた今になっても、日陰の下で続いているという話だった。
「私など、生まれも育ちも松ノ木ですのにね」と女将は寂しそうに呟いた。
そのよそ者に対する意地悪も、番頭の勘介さんという存在のおかげで幾分か和らいでいるそうだ。勘介さんの井口家は、地元の水利組合や消防団などでは中心となってきた家で、いわば松ノ木郷では顔役の一つだ。
その息子が番頭をしているというだけで、古参の旅館への睨みが利いていることになる。
勘介さん自身も持ち前の気性で、旅館組合の寄り合いなどで『とかの』が不利になるような取り決めが持ち出されると、真っ赤になって怒鳴りちらし、反故にしてしまうようなことも多々あった。
勘介さんは若い時分、あまりの不良ぶりで実家から勘当されそうになっていたところを、『とかの』の先代、つまり千代子さんの父親に諭されて、ここで働くようになったのだそうだ。
元々なにか打ち込めることがあると、真面目に取り組む性格だったらしく、とたんに人が変わったように汗水を流すようになり、先代にも大変可愛がられた。
それ以来、『とかの』への忠誠心たるや金鉄のごとし、という具合で、今や娘も仲居として親子二代で働いているのだそうだ。
ただこの情報、後半のほとんどはその娘の広子さんから後に聞き取ったもので、当の勘介さんは師匠と女将が応接室で話している間、ほとんど口を利かずに不機嫌そうな顔をしていた。
「幽霊が出るという噂が立ったのは一年ほど前からです」
とうとう本題か。
僕は緊張して膝の上の拳を硬く握った。
『とかの』の宿泊客から「夜中に幽霊を見た」という苦情が出るようになり、その噂が狭い松ノ木郷、そして松ノ木郷のある西川町に広がるのはあっという間だった。
それも決まって「神主の格好をしていた」というのだ。

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