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【師匠シリーズ】未 本編1

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359 :未 本編1 ◆oJUBn2VTGE:2012/01/02(月) 23:32:02.51 ID:93PkLSJW0
「祖父はあの年代の人にしては凄く押し出しの立派な人でしたから」
今の自分よりも背が高かったんですよ、と頭の上に手をやってみせた。
なるほど。そんな大柄な人なら、たとえ顔がぼやけていようが、幽霊になって現れたらそれと分かりそうなものだ。女将や旅館の人々も先代の宮司を良く知っているだろう。
誰もそのことに触れないということは、どうやら和雄の祖父が化けて出ているわけではないようだ。もっと昔のご先祖様ということか。
「最近、神職の服が盗まれたりってことはない?」
師匠の問い掛けに和雄は眉をひそめる。
「誰かが、イタズラでもしてるってことですか」
「まあ、どんなことでも可能性はあるから」
自分自身、幽霊を目撃したという和雄からすると、それが誰かのイタズラだと言われても納得できないだろう。確かにこれまでに聞いた多くの目撃談からしても、すべて人間の仕業というのは無理がある気がする。
「服が盗まれたことなんてありませんよ。もちろん紛失もありません」
和雄がはっきりそう言うと、師匠は「そう」と言ってそれ以上追求しなかった。
「あ、この先から見えますよ」
楓が指さした先には木々の群れがぽっかり抜けたような空間があった。その開けた所まで登りきると、遠くの景色が見渡せた。
「見晴らしがいいなあ」
師匠が手近な切り株に片足をかけた。
眼下には枯れ木で覆われた山の峰が広がっている。それほど高くは登っていないはずだが、角度のせいか、ここからは『とかの』は見えない。その代わり、平野を隔てた遠くの山の中腹になにかの建物が見えた。
「あれが、うちの神社ですよ」
和雄が指をさす。
「こうして見ると、結構近いな」
「でも『とかの』から歩いたら一時間近くかかりますよ」
見下ろす風景の中には畑や田んぼ、そして枯れ木ばかりの林など、寂しい色彩ばかりが広がっている。その間を縫うように、枝川がくねくねと蛇のようにうねりながら伸びていた。
「なにもないところでしょう。だんだん人口も減ってますし。うちの神社のあたりなんて今じゃバス停も遠くになっちゃって、不便でしょうがないですよ。家族全員バイクに乗ってるくらいです」

360 :未 本編1 ◆oJUBn2VTGE:2012/01/02(月) 23:33:43.33 ID:93PkLSJW0
「え~。うちの『とかの』のあたりの方がバス停遠いじゃん。たまにはそのくらい歩きなよ」
そんなことを話しながら、しばらくそこで景色を見ていると、陽が翳ってきて寒さが身体に戻ってきた。風も少し出てきたようだ。
「もう少し先が頂上ですけど」と和雄が尋ねたが、師匠は首を振って「もういいや。戻ろう」と言った。
頂上までの道はここから少し下った後でまた登りになっていたが、そのすべてがすでに見渡せた。女将の言っていたとおり、裏山には神社やそれに関するものは全く見当たらなかった。頂上の反対側の下りも同じようになにもない、と楓と和雄が断言した。
師匠はそれほど残念そうでもなく、また先陣を切って元来た道を下り始めた楓の後ろについて山道を踏みしめていった。
五分ほど歩いただろうか。
右手側に大きくV字形に抉れた谷が広がっている場所に出たのだが、そこで師匠が足を止めた。
谷の方へ身を乗り出して首を伸ばしている。先はかなり急な崖だ。後ろにいた僕は思わず「何をする気ですか」と止めに入りそうになった。
師匠はキョロキョロと周囲に目をやると、手がかりとなる木がまばらに生えた獣道を見つけ、そこから崖の下へ降り始めた。
止める間もなかった。
最初にザザザと山肌を滑るように降りた後、枯れ木にしがみついて勢いを殺し、そこから先は器用に木の枝につかまりながら、あっと言う間に谷の底近くへたどり着いてしまった。
地元民の二人も驚いたようにそれを見つめている。
「なにかあるんですか?」
僕は両手でラッパを作って声を上げる。
師匠は谷の奥でうろうろしながらせわしなく動いている。
「ああ。こいつは地滑りの跡だ」
斜めに生えている潅木を叩きながら返事が返ってきた。その谷は途中から水が湧いていて、さらに下へと流れていっている。
師匠はそのあたりの土を掘ったり木を揺すったりしながらその周囲を探索していたが、やがて山肌から突き出ていた石の前にしゃがんで、堆積した土や苔などを手で払い始めた。
僕たちの眼下でその動きがふいに止まり、またすぐに立ち上がったかと思うと、そばの谷川の淵へ近寄っていった。

361 :未 本編1 ラスト  ◆oJUBn2VTGE:2012/01/02(月) 23:37:32.59 ID:93PkLSJW0
その先はさすがに危険な地形だったので諦めたのか、師匠は猿のように木の枝につかまりながらこちらへ戻り始ってきた。
「悪い。待たせた」
山道へ戻ってくると、ズボンの土ぼこりや枯葉を払いのけながらあっけらかんと言う。
「すごいですねえ。レンジャーみたい」
楓がそう褒めると、和雄は「危ないからもうやめてくださいよ」と心配そうに詰め寄る。
「わかったわかった。もう帰ろう」
と師匠は笑った。そして楓、和雄の後についてふたたび山道を下り始める。
なにか、予感のようなものがして、僕はそのすぐ後ろについた。すると、前を行く二人としばらく談笑しながら歩いていた師匠が、こっそりとした手の動きで合図をしてきた。
顔を近づけた僕の耳元に素早く口を寄せ、「地滑りの跡に埋もれた石の表面に、こんな模様があった」と囁いた。
そして僕の手を握り、手のひらに指でなにか文字のようなものを書いた。
「え?」
と怪訝な顔をした僕に、師匠は「面白くなってきた」ともう一度囁いて、前を行く二人を早足で追いかけていった。
なんだろう。この字は。
僕は手のひらに残る文字の感触をじっと記憶に刻みながら、そして同時に記憶を呼び覚まそうとする。
漢字だ。
雨冠は分かる。その下に、丸…… いや、口がみっつ。横に並んでいる。そしてさらにその下になにか複雑な字が続いている。龍という字だろうか。あるいは能力の能という字か。
いずれにしても、そんな漢字があるのだろうか。物凄く画数が多い。しかし全体のバランスからして、一つの字としか思えない。
なんだ、この文字は。
僕は自分が足を止めていることに気づく。
前を行く師匠の背中に視線を向けたまま、手のひらに刻まれた文字の感触に身震いする。
なんだ、これは。
そんなことを口の中で繰り返しながら僕は冬枯れの山道に立ち尽くし、じわじわと、その文字に沿って自分の血が流れ出て行くような、得体の知れない悪寒に包まれていた。

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