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【師匠シリーズ】先生 前編

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511 :ウニ  ◆oJUBn2VTGE :2009/08/21(金) 22:54:43 ID:YUHlb2rI0
(´・ω・`) やあ。
恐れていたようにおもいきり忙しいよ。
たぶん9月上旬まで身動きが取れないよ……
毒……
(´・ω・`) だからツナギに前に書いたお話をするよ。
同人誌に載せた話だよ。

512 :先生 前編  ◆oJUBn2VTGE :2009/08/21(金) 22:58:57 ID:YUHlb2rI0
師匠から聞いた話だ。
長い髪が窓辺で揺れている。蝉の声だとかカエルの声だとか太陽の光だとか地面から照り返る熱だとか、そういうざわざわしたものをたくさん含んだ風が、先生の頬をくすぐって吹き抜けて行く。
先生の瞳はまっすぐ窓の外を見つめている。僕はなんだか落ち着かなくて鉛筆を咥える。こんなに暑いのに、先生の横顔は涼しげだ。
僕は喉元に滴ってきた汗を指で拭う。じわじわじわじわと蝉が鳴いている。
乾いた木の香りのする昼下がりの教室に、僕と先生だけがいる。
小さな黒板にはチョークの文字が眩しく輝いている。三角形の中に四角形があり、その中にまた三角形がある。
長さが分かっている辺もあるし、分かっていない辺もある。先生の描く線はスッと伸びて、クッと曲がって、サッと止まっている。おもわずなぞりたくなるくらいの綺麗な線だ。
それからセンチメートルの、mの字のお尻がキュッと上がって、実にカッコいい形をしている。
三角形の中の四角形の中の三角形の面積を求めなさいと言われているのに、そんなことがとても気になる。それだけのことなのに本当にカッコいいのだ。
mのお尻に小さな2をくっつけるのがもったいないと思ってしまうくらい。
「できたの」
その声にハッと我に返る。
「楽勝」
僕は慌てて鉛筆を動かす。
「と、思う」と付け加える。
先生は一瞬こっちを見て、少し笑って、それからまた窓の外に向き直った。背中の剥げかけた椅子に腰掛けたままで。僕は小さな机に目を落としているけれど、それがわかる。
また、蝉の声だとかカエルの声だとか太陽の光だとか地面から照り返る熱だとかが風と一緒に吹いてきて、先生の長い髪がさらさらと揺れたことも。白い服がキラキラ輝いたことも。

513 :先生 前編  ◆oJUBn2VTGE:2009/08/21(金) 23:01:03 ID:YUHlb2rI0
二人しかいない教室は時間が止まったみたいで。僕はその中にいる限り、夏がいつか通り過ぎるものだ、なんてことを、なかなか思い出せずにいるのだった。
小学校六年生の夏だった。夏休みに入るなり、僕は親戚の家に預けられることになった。その母方の田舎は、電車をいくつも乗り継いでやっとたどり着く遠方にあった。
小さいころに一度か二度、連れてこられたことはあったけれど、一人で行かされるのは初めてだったし、「夏休みが終わるまで帰ってこなくて良い」と言われたのも当然初めてのことだった。
厄介払いされたのは分かっていたし、一人で切符を買うことや道の訊き方について、それほど困らないだけの経験を積んでいた僕は、むしろ「帰ってこなくて良い」の前に「夏休みが終わるまで」がくっついていたことの方に安堵していた。
田んぼに囲まれた畦道を、スニーカーを土埃まみれにしながらてくてく歩いていくと、大きなイブキの木が一本垣根から突き出て葉を生い茂らせている家が見えてきた。
この地方独特の赤茶色の屋根瓦が陽の光を反射して、僕は目を細める。
その家には、おじさんとおばさんとじいちゃんとばあちゃんと、それからシゲちゃんとヨッちゃんがいた。
おじさんもおばさんも親戚の子どもである僕にずいぶん優しくしてくれて、「うちの子になるか」なんて冗談も言ったりして、二人とも農作業で真っ黒に日焼けした顔を並べて笑った。
じいちゃんは、頭は白髪だったけど足腰はピンとしていて、背が高くてガハハと言って僕の頭をぐしゃぐしゃに撫でたりして、それが痛かったり恥ずかしかったりするので僕はその手から逃げ回るようになった。
ばあちゃんは小さな体にチョンと夏みかんが乗ってるような可愛らしい頭をしていて、なにかを持ち上げたり、布巾を絞ったりする時に「エッへ」と言って気合を入れるので、それがとても面白く、こっそり真似をしていたら本人に見つかって、怒られるかと思ったけれどばあちゃんは「エッヘ」と言って本物を見せてくれたので、僕はあっというまに好きになってしまった。

514 :先生 前編  ◆oJUBn2VTGE:2009/08/21(金) 23:03:29 ID:YUHlb2rI0
シゲちゃんは名前をシゲルと言って僕と同い年の男の子で、昔もっと僕が小さかったころにこの家に遊びにきた時、僕を子分にしたことを覚えていて、僕はさっぱり覚えていなかったけれどまあいいやと思ったので子分になってやった。
ヨッちゃんは名前をヨシコと言ってシゲちゃんの二つ年下の妹で、目がくりくりと大きくオカッパ頭の元気な女の子で、僕の顔や服の裾から出ている体の色が白いのを見て、トカイもんはヒョロヒョロだと言って馬鹿にするので、そうではないことを証明するのに泥だらけになって日が暮れるまで追いかけっこをする羽目になった。
トカイもん。
田舎にきてまず感じたのが、この言葉のむずむずする肌触り。
僕にはけっしてトカイの子などという認識はなかったのであるが、この小さな村の子どもたちからすると、テレビのチャンネルがNHKのほかに三つ以上映るというだけでそれは十分トカイの条件を満たしてしまうようだった。
シゲちゃんはそのトカイもんをさっそく地元のワルガキ仲間に引き合わせてくれたので、とにかく毎日ヘトヘトになるまで僕らは一緒に駆け回り、泳ぎ回り、投げ回り、逃げ回った。
小学生最後の夏休みなのだ。アタマが吹っ飛ぶくらい遊ぶのは、子どもの義務なのである。タカちゃんやらトシボウやらタロちゃんなんかと仲良くなった僕は、どいつもこいつも揃って足が速いこと、そしてまた並べてフライパンで焼いたように色が黒いことにいたく感心した。
なるほど、「トカイもん」と自分たちを区別したくなるのも分かる気がする。僕の周囲にいた子どもたちとは少し違っている。
朝早くから虫カゴと網を持って山に入ったかと思うと、ヒグラシが鳴きやむまで下界に下りてこず、いざ帰ってきた時には手作りの大きな虫カゴが満タンになっているのだけれど、その夜それぞれの親に早く家に帰らなかったことについてコッテリ絞られた後だというのに、次の日にはまた颯爽と朝早くから虫カゴと網とを持って山に駆け上って行く、という具合だ。
その中でもシゲちゃんはとびきりのやんちゃ坊主で、それになかなかの親分肌だった。


515 :先生 前編  ◆oJUBn2VTGE:2009/08/21(金) 23:06:05 ID:YUHlb2rI0
いばりんぼで喧嘩っ早かったけれど、子分のピンチには一番に駆けつけて「ヤイヤイ」と凄んだり、「にげろ」だとか「とにかくにげろ」だとかといった的確な指示を出して僕らを窮地から救い出してくれたりした。
背丈は僕と同じくらいだったけれど、ギュウギュウに絞った雑巾のような筋肉が全身に張り付いていて、その足が全力で地面を蹴った時には大きな水溜りをらくらくと跳び越し、あとから跳んだ僕らの足が水溜りの端っこでドロ水を撥ねるのを振り返りながら鼻で笑ったものだった。
ただそんなシゲちゃんの親分っぷりの中にも、生来のイタズラ好きが首をもたげてくると僕らはその奇抜さ、迷惑さに閉口した。
山で見つけた変なキノコを「キノコの毒は火を通せば大丈夫」などと言ってうっかり信じたトシボウに食べさせた時など、腹を抱えて昏倒したあげくに医者に担ぎこむ騒ぎになったし、落とし穴づくりに関してはそれはそれは恐ろしい「穴の中身」を用意することで知られていた。
ある時は裏山の竹ヤブに僕らを集め、なにをするのかと思っているとシゲちゃんは「あ、人が落ちそう」と崖の方を指さして叫んだ。
見ると、確かに誰かが竹ヤブの端っこから落ちそうになって竹の子に毛が生えたような細い竹にしがみついている。それは今にもポキリと折れそうに見えた。
わあわあ言いながら慌てて駆け寄るとなんとそれは藁と布で出来た人形で、シゲちゃんに一杯食わされた僕らは、怒ったり、あんまりその人形が良くできていたので感心したりしていたけれど、間の悪いことに山菜を採りにきていた近所のおばさんがそのシゲちゃんの「人が落ちそう」を耳にして、遠くから僕ら以上に慌てて人形に駆け寄ってきたものだから途中で竹の根っこに躓いてスッテンコロリンと転がり、あやうく崖から落っこちるところだった。
僕らはそのおばさんに叱られ、それぞれの家でしかられ、とにかくさんざん絞られたのであるが、シゲちゃんはさらに人形の出来が良すぎたせいでカカシの作成をじいちゃんに命じられ、家の田んぼと畑のカカシを全部作り直させられていた。

516 :先生 前編  ◆oJUBn2VTGE:2009/08/21(金) 23:09:22 ID:YUHlb2rI0
そのあいだシゲちゃんは遊びにも行けずに、うなだれながらカカシをせっせと作っていたのだけれど、その目の奥には次のイタズラを考えている光がぴかりと点っていて、僕らにはそれが頼もしかったり迷惑だったりしたものだった。
田舎の暮らしにもすっかり慣れて、シゲちゃんたちほどではないけれど僕の身体にも日焼けが目立ち始めたある日、「鎮守の森へ行こう」というお誘いがかかった。
鎮守の森は北の山の峰に沿ってズンズン分け入った奥にある。
高い山に囲まれているせいで太陽が東や西よりにある時間、そのあたりは昼間でも暗くて、真上に昇っている時でも生い茂るクスノキやヒノキの枝や葉っぱで光が遮られ、その森の底を歩く僕らにはほんのかけらしか零れてこない。
それだからシゲちゃんとタロちゃんの後を追いかけて、ようやく鎮守の森の真ん中に佇む神社を見つけた時にはなんだか厳粛な気持ちになっていた。
今まで太陽の熱が暴れ回る場所で遊んでいたのに、ここは黒い土に地面が覆われ、空気はしっとりしていて、身体の中から冷えていくような感じがする。
それまでに登ったほかの山や森ともどこか違う。
「カンバツもほとんどしとらんから」とシゲちゃんは言った。そのころはカンバツというのがなんなのか良く分からなかったけれど、きっとそれをしないのはここが鎮守の森だからなのだろうというのは理解できた。
ひっそりと静まり返った(後から思い出すと蝉がうるさいくらいに鳴いていたはずだったのに、確かにその時はそう思ったのだった)参道を通って、ちんまりした神社の本殿にたどり着く。
光も影も斜めに屋根や板壁に走り、それがずっと何百年も昔からそこにそうやって張り付いているような気がする。時どきサラサラと葉っぱの形に揺れて、そんな時にようやく僕は時間の感覚を取り戻した。
チャリンと音がして、そちらを向くと賽銭箱の前にシゲちゃんが立っている。ボロボロで苔が生えていて、誰かがお賽銭を回収しているのかどうかも、ちょっと怪しい。

517 :先生 前編  ◆oJUBn2VTGE:2009/08/21(金) 23:12:28 ID:YUHlb2rI0
実は江戸時代くらいからのお賽銭がゴッソリと溜まっているんじゃないかと覗いてみたけれど、暗くて良く分からず、それでもゴッソリと溜まってる感じでもなかったので、どうやらここへ参拝にくる人自体がめったにいないんだろうと僕は考えた。
そしてズボンのポケットから十円玉を取り出して投げ入れる。
その神社に何の神様が奉られているのか誰も知らなかったけれど、チリンというとても良い音がしたので、僕はその音に手を合わせた。
やがて「もう帰ろうぜ」とタロちゃんが言って、境内から出たがり始める。心なしか内股でもじもじしている。
どうもおしっこを催してきたらしい。口ばかり達者なくせに恐がり屋な面があるタロちゃんは、この鎮守の森の奥深くに眠る神社の聖域をおしっこなんかで汚してしまうことに畏れを感じているようだった。ようするにビビッてたワケだ。
僕とシゲちゃんはタロちゃんを苛めることよりも、その場を離れることを選んだ。僕らも僕らなりにその森になにか近寄りがたいものを感じていたのかも知れない。
クスノキが枝葉を手のように伸ばす薄暗い参道を抜け、また黒土の山道に出る。気が焦っているタロちゃんが「あれ、どっちだっけ」とキョロキョロしていると、シゲちゃんが「こっち」と元きた道の方を正しく指さした。
僕はふと反対方向へ抜けるもうひとつの道に目をやった。道はすぐに折れ、木立の群に飲み込まれてその先は見えない。この道の先はどこに通じているのだろう。むくむくと好奇心がわき上がってくる。
「こっちはなにがあるの」
そう聞くと、シゲちゃんは「なんにもないよ」と言ってさっさと元の道を戻り始めた。
僕はその奥へ行ってみたい誘惑に駆られたけれど、ひとりで鎮守の森に残される心細さがじわじわと胸に迫ってきてその場に立ちすくんでしまった。
そうしていると、いきなりバサバサと頭の上の木のてっぺんあたりから大きなものが飛び立つような音と気配がして、思わず見上げるとその瞬間に覆い被さるような木の枝や葉っぱやそこから零れる光の繊維がぐるぐると僕の視点を中心に回り出したような感覚があった。

518 :先生 前編  ◆oJUBn2VTGE:2009/08/21(金) 23:16:13 ID:YUHlb2rI0
頭がくらくらしたのと、ビビッたのとで森の奥へ行ってみたい気持ちは引っ込み、一目散にシゲちゃんたちの後を追いかけた。
それから三日くらい僕らはひたすら川で泳ぎ回っていた。とにかく暑かったからだ。川は海よりも体が浮かななくて、しかも流れがあるので岸に上がった時にドッと疲れる感じ。
その川には小さな橋が架かっていて、その上から飛び込むのが僕たち子どもの格好の度胸試しになっていた。
僕も泳ぐのは得意だったし、川底も深かったのでしばらく躊躇したあと見事に頭からドブーンとやってやった。
プシューッと水を吹きながら他のみんなと同じように水面に顔を出すと、橋の欄干の上にプロレスラーよろしくシゲちゃんが立っているのが見えた。
「見てろ」と言ってシゲちゃんはみんなの視線を集めながら宙を舞った。歓声と光と、水に溶けていく体温。太陽の中に僕らの夏があった。
そうしているうちに、やがて僕が一人で遊ばなくてはいけない日がやってきた。
シゲちゃんたち六年生がみんな二泊三日で林間学校に行くのだ。僕も連れて行って欲しかったが、学校行事なのでどうしても駄目らしい。リュックサックを背負って朝早くに家を出るシゲちゃんを見送って、今日からの三日間をどうしようかと考えた。
家は農家だったのでおじさんとおばさんとじいちゃんは朝ごはんを食べたあと軽トラに乗って仕事に行ってしまう。ばあちゃんがゴトゴトと家の仕事をする音を聞きながら僕は持ってきていた宿題を久しぶりに開いた。
広い畳敷きの部屋で大きな机の真ん中に頬杖をつく。何ページか進むともう飽きる。宿題なんて夏休み最後の三日くらいでやるものと決まってる。
それまでにやらなくてはならないほかのことがあるんじゃないのか? エンピツがコロコロと転がる。縁側の向こうの庭には太陽がさんさんと照っていて、こちらの部屋の中がやけに暗く感じる。
寝転がったり、宿題を進めたり、また休んだりを繰り返していて、ふと時計を見ると朝の九時。まだ九時なのだ。お昼ご飯まで三時間以上ある。ダメだ。どうにかなってしまう。

519 :先生 前編  ◆oJUBn2VTGE:2009/08/21(金) 23:18:59 ID:YUHlb2rI0
僕は一人で行ける場所を考えた。いつもみんなでは行かない場所がいいな。図書館とか。
あれこれ考えていると、ふと頭の隅に鎮守の森の神社が浮かんだ。そしてカンバツされていない木々の下の翳りの道。その先にまだ道は続いていた。
またむくむくとその先へ行ってみたい気持ちがわき上がってきた。あの森の中では萎えてしまったその気持ちが、もう一度強くなってくる。
ひとりでも行けるさ。どうってことない。そうだ。午前中に、今すぐに行こう。日の高いうちならそんなに恐くないはずだ。
思い立ったらすぐに身体が動いた。宿題のノートを畳んでから、支度をする。リュックサックを担いでいると、その気配を感じたのかシゲちゃんの妹のヨッちゃんが襖の隙間からじっとこっちを見ていた。
「どっか行くの」
瞬間、僕はこの子も連れて行ったらどうかなと考えた。でもすぐにそれを振り払う。冒険に女は連れて行けない。なにが待っているのか分からないのだから。
「郵便局に行くだけ」と言うと「ふうん」とつまらなそうにどこかへ行ってしまった。
ようし。邪魔者も追い払った。僕は意気揚々と家を出る。太陽の照りつける畦道を北へ北へと向かうと、こんもりとした山の緑がだんだんと近づいてくる。
昔、入山料を取っていたというころの名残である木箱が朽ち果てている所が入り口。峰を登らずに、山の麓に沿って道が通っている。ザクザクと土を踏みしめて前へ前へ進むと、だんだんと木の影で頭上が薄暗くなってくる。
念のために持ってきた方位磁針をリュックサックから取り出して右手に持ったまま休まずに足を動かす。
時どき山鳩の声が響いて、バサバサと葉っぱが揺れる音がする。それから蝉の声。それも怖くなるほどの大合唱だ。
チラリと見上げると葉の隙間からキラキラと光の筋が零れている。ずっと上を向いて音の洪水の中にいると、ここがどこなのか分からなくなってくる。

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