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【師匠シリーズ】ビデオ 中編

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913 :ビデオ 中編  ◆oJUBn2VTGE :2009/02/14(土) 22:59:37 ID:0JItplbL0
次の日、昼過ぎに目覚めた俺は師匠の家に電話をした。
十回ほどコール音を聞いたあと、受話器を置く。続けて携帯に掛けるが、電源が切れているか、電波が届かない場所にいるらしいことしか分からなかった。
仕方なく、昨日北村さんに聞いた元駅員という先輩の家を訪ねてみることにした。
授業に出るという選択肢など、とっくに吹っ飛んでしまっている。
財布の中を確かめて、買って持っていく日本酒の銘柄を決める。散財だ。
ビデオが何本借りられると思ってるんだ。
家を出て、自転車に乗る。
陽射しが眩しい。ここ数日涼しかったのに、今日はやけに暑い。今年もまた夏が来るらしい。
道路沿いをこぎ続けて、ようやくその住所にたどり着く。住宅街の中のごくありふれた民家だ。
チャイムを鳴らし、用件を告げる。
吉田さんというその六十代の男性は、日本酒を掲げて北村さんの紹介だと告げた途端に、玄関の奥へ顔を突っ込み、「かあさん、お客だ。お客。お茶を出しなさい」と怒鳴った。
そして家の中に招き入れられる。
一体、北村さんの名前と日本酒、どっちが利いたのか分からなかったが、話し好きであることは間違いないようだった。
客間の座椅子に腰掛け、勧められるままに煎餅に手を伸ばしながら、北村さんと同僚だった時代の昔話をしばし拝聴する。
本題を切り出す前の脇道だったので、適当に相槌を打っていたのだが話術のせいなのか、これが意外と面白くいつの間にか聞き入ってしまっていた。
始発の直前に寝坊して、時間との戦いの中そのピンチを切り抜けた話など思わず手に汗握ってしまったほどだ。
やがて喉が渇いたと言い出した吉田さんは、テーブルの上の日本酒をじっとりと見つめる。

914 :ビデオ 中編  ◆oJUBn2VTGE:2009/02/14(土) 23:02:22 ID:0JItplbL0
どうぞどうぞと手を広げて勧めると、それじゃ遠慮なく、と棚から持ってきたコップを脇に置き、栓を開けようとした。
不器用な手つきでなかなか開けられないのを見て、こちらでやってあげる。
こう暑いと、燗なんてしてられないねぇ、などと言いながら吉田さんはぐいぐいコップを傾けはじめる。
俺はようやくここにきた理由を思い出し、目の前の禿げ上がった頭に赤みが差してくるのを見計らって、本題をそっと切り出した。
「サトウイチロウ?」
吉田さんは一瞬、怪訝そうな顔をしたあと、すぐに口をへの字に結ぶ。
「懐かしい名前だねぇ」
言葉とは裏腹に表情はちっとも懐かしそうではない。恐れを呑んだような、強張った顔だった。
そしてポツリポツリと過去を掘り起こすように語りだす。
昔、吉田さんが駅員になって十年ほどしか経っていない、まだ若いころの話だ。
県外のある駅に転勤して間もないころ、その駅の助役から茶飲み話の中で、奇妙な噂を聞かされた。
曰く、「サトウイチロウの死体を片付けると呪われる」と。
ははぁ、サトウイチロウというのは、鉄道事故で死んだ身元不明者を表す隠語だなと、彼はあたりをつけた。
ところが助役はかぶりを振るのである。
ただの無縁マグロじゃねぇ。サトウイチロウはそういう名前のマグロだと。
吉田さんは首を捻った。過去にそういう名前の轢死体が出たとして、それがどうだと言うんだろう。
エジプトのミイラの呪いのように、その死体を処理した人間になにかおかしなことが立て続いたのだろうか。
けれどそれにしても噂から受ける感じが変である。まるでその死体を、これから片付けるようではないか。

916 :ビデオ 中編  ◆oJUBn2VTGE:2009/02/14(土) 23:08:45 ID:0JItplbL0
助役はニタリと笑ってから、続けた。
「何度も死ぬのさぁ。サトウイチロウは。片付けても片付けても、おんなじ格好で駅に現れてさ、また飛び込みやがるのよ。何度も、何度も」
ゾクリとして、吉田さんは湯飲みを取り落とした。
そこまで聞いて、俺は思わず話を遮った。
「待って下さい。サトウイチロウって、そういう事故死した人の総称じゃないんですか」
吉田さんは話の腰を折られたことに鼻を鳴らしながら、違うよと言った。
「同じ人間なんだよ。サトウイチロウって名前の。そいつが何度も死ぬんだ。列車に飛び込んで。オレたち駅員が片付けて、警察が来て、身元不明だって言って引き取って行って、それで何年か経ったら、またフラッと別の駅に現れるんだよ。いや、誰も生きて動いている所を見ちゃいない。ただ、列車に轢かれているのを発見されるんだ」
北村さんの話と違う。
同じ人間だって? そんなことがあるはずがない。
「じゃあ、死体を誰かが投げ込んでるんですか」
「違うね。生体反応ってのがあるんだろ。事故なのか自殺なのかも不明で、目撃者もいない変死体だから、解剖されるはずだ。死体損壊事件だったなんて聞いたことがないね。少なくともオレのときは……」
そこで吉田さんは言葉を切った。
ドキドキしてくる。
邪魔しないというジェスチャーをして、先を促した。
その噂を聞いてから五年ほど経ったころ、吉田さんはまた別の駅に転属になっていた。
雪がちらつく寒い日に、宿直室の掃除をしているとホームの方から急に悲鳴が上がった。
慌てて駆けつけると先輩の駅員が線路に降りて何ごとか怒鳴っている。
見ると、線路の周囲に薄く積もった白い雪の上に、赤いものが飛び散っている。
マグロだ、とすぐに分かった。
それもバラバラだ。
そういえば直前に特急が通過している……

917 :ビデオ 中編  ◆oJUBn2VTGE:2009/02/14(土) 23:12:54 ID:0JItplbL0
救急隊員が到着したが、その場に立っているだけでなにもしてくれない。
警察も第一陣として二人駆けつけてきたが、現場検証もそこそこに、死体を全部集めろと命令口調で言う。
仕方なく自分たちで、散らばった肉片を掻き集めた。
血の匂いが鼻をついて堪らなくなり、手ぬぐいでマスクをしてその嫌な作業を続ける。
内臓も気持ちが悪いが、生半可に見慣れた人体の部品が雪の上に落ちているのを見るのは、吐き気のするおぞましさだった。
唇の切れ端や、指の関節。紐のついた眼球は血が抜けて、ひしゃげしまっている。
駅員としても中堅どころに差し掛かり、何度か事故は経験しているが、こんなえげつない死体を扱うのは初めてだった。
ようやく一通り片付いて、悴んだ手をストーブにあてていると、そばで遺留品を確認していた警察官が財布を手に取って、それを開いたまま読み上げるようにボソリと呟くのを聞いた。
「……さとう、いちろう」
その時、五年前に聞いた噂が脳裏に浮かび上がってきた。
『サトウイチロウの死体を片付けると呪われる』
今、マグロの財布にその名前が書いてあったのだ。
(サトウイチロウの死体を、片付けてしまった)
嫌な汗がだらだらと流れて、ストーブの火にも乾かず、地面に落ちていった。
それから何日か経って、警察からの情報を受けた駅長から事件のあらましを聞いた。
死体の身元は不明。
事故の瞬間を目撃した者はいなかったので、はっきりしたことは分からないが事件性はないものと考えられているらしい。
線路上に散らばった所持品の中に財布があり、そこにサトウイチロウのネームがあることから、名前だけはそのようだと知れたに過ぎない。
サトウイチロウだ。何度も現れて、何度も死ぬ。誰も正体を知らない。
ごくり、と喉が鳴る音がした。
それが自分のものなのか、青い顔をして隣に立つ先輩のものなのか、分からなかった。
「偶然、でしょう」
俺は、軽い口調を装った。


920 :ビデオ 中編  ◆oJUBn2VTGE:2009/02/14(土) 23:21:23 ID:0JItplbL0
吉田さんはコップを深く傾け、息をついた後で口を開いた。
「違うな。ありゃあ、亡霊だか妖怪だかのたぐいなんだよ。確かに足もあれば、手もある。目の前からひゅっと消えちまう訳でもねぇ。それでも、それがまともな人間だなんて、誰にも言えないんだ。なにせ、その足やら手やらがくっついた状態で、生きて、動いているところを、誰も見てねぇからだ。オレはたくさんの先輩から噂を聞いたよ。同じなんだ。サトウイチロウは、いろんな駅で死んでる。いつもバラバラになって。それも決まって身元不明だ。分かるのは名前だけ。そして誰も死ぬ瞬間を見てねぇ。あれは、最初から最後まで、死体なんだ」
ガチャリ、とドアが開いて奥さんが水を持ってきた。
おお、ちょっと飲み過ぎた。吉田さんはそう言って水を受け取る。
奥さんはまだ中身の残っている日本酒のビンを取り上げるように持って行ってしまった。
同一人物なのか、それともたまたま同じ名前の人が事故に遭っているのか。
いや、同一人物だなんてことはありえない。
轢死体が蘇り、また別の駅に現れて同じ轢死体になるなんてことは。
そもそも、これは噂なのだ。狭い業界内のオカルトじみた噂話。
聞き手の俺にとって、ある程度信用に足るのは、吉田さん自信が経験した事故の話だけだ。
吉田さんがその噂を聞いたという先輩たちは、よくある『フレンド・オブ・フレンド』に過ぎない。
どこまで行っても発生源が分からない、「人づて」が作る奇妙な幻だ。
とりあえず、俺はそう思うことにした。
水の入ったコップを持ったまま、もう片方の手で頭を押さえる吉田さんを見て、そろそろおいとましようと腰を浮かしかけた時だった。
俺はふと思いついたことを何気なく口にした。
「サトウイチロウを片付けた呪いは、どうなったんです?」
ぴくりと反応があり、吉田さんは赤い顔をしたまま口の中でぶつぶつと何ごとか呟く。
そして俺の方に、頭を押さえていた手を向けてぶらぶらと振って見せた。
その手には小指と薬指、そして中指の第一関節から先が無かった。
「さっきから見てるじゃねぇか」

925 :ビデオ 中編  ◆oJUBn2VTGE:2009/02/14(土) 23:31:52 ID:0JItplbL0
嘲笑するでもなく、嘆くでもなく、ただひんやりとした力ない声だった。
帰り道、自転車を降りて手押ししながら吉田さんから聞いた話のことを考えていた。
これは、不思議だね、では済まない、呪いの絡んだ話なのだ。
吉田さんの後輩である北村さんには、まともに伝わっていなかったことは確かだ。
北村さんはサトウイチロウを、身元不明のマグロ、轢死体すべてを表す隠語だと思っていた。
しかしそれも仕方ないだろう。同じ人物が何度も死ぬなんて、想像もしていないだろうから。
そんなことを考えていると、一瞬、目の前に何か大きな影が走ったような気がした。
キョロキョロと周囲を見る。
左右には住宅街の色とりどりの壁がずらっと並んでいて、平日の昼間にその道を通っているのは俺ぐらいのものだった。
なんだろう。
まばたきをした時、また違和感が走った。
目の前に白いセダンが停まっている。路肩に寄ってはいるけれど、通行の邪魔になっているのは間違いない。
太陽の光を反射して、ボディが眩しく輝いている。
もう一度、こんどはグッと目を閉じると、そのセダンが瞼の裏にくっきりと浮かび上がる。
光を反射する白い部分と、吸収する黒い部分のコントラストが強調される形で。
その少し左。道路の真ん中で、なにもないはずの場所に、もう一台別の車の陰影が見えた。
ギュッと目を力を込めると、瞼の裏に映るものたちの姿が一瞬濃くなり、そしてやがて薄れていった。
目を開けると車は一台しかない。路肩の白いセダンだ。
けれどさっき瞼の裏には、確かにもう一台の車、それも軽四のシルエットが浮かび上がっていた。
その場で足を止めてバチバチとまばたきを繰り返すが、もう白いセダンのものしか見えなかった。

926 :ビデオ 中編  ◆oJUBn2VTGE:2009/02/14(土) 23:35:25 ID:0JItplbL0
どうやら昨日と一昨日の夜に見た幻と同じものだと感じた。
すぐに電話を取り出し、師匠の家に電話をすると、当人が出た。
今から寄るけど、いいですかと聞いてから自転車に跨る。
案外冷静だ。やっぱり、怖いことは昼間起こるに限る。
などと一人ごちても、ペダルをこぐ足が速くなるのは止められない。
師匠のアパートの前に自転車を停め、部屋に上げてもらう。
「かくかくで、しかじか」
と、この部屋でビデオを見てからこっち、体験した出来事を早口で説明した。
じっと聞いていた師匠は、こちらの説明が一段落ついたのを見計らっていきなり顔を近づけてきた。
そして頭を抱えるようにして、俺の左目を指で開いて覗き込む。続いて右目。
しばらくしげしげと俺の目を見ていたが、ようやく離すと「なんともないと思うがな」と首を捻った。
「それにそんな噂聞いたことがないな。サトウイチロウの死体を片付けたら呪われるってか。
稲川淳二の十八番に北海道の花嫁って話があるけど、あれも同じ死体が何度も現れる話だな。でも決定的に違う部分がある。
花嫁の死体が蘇る謎の正体は、まあ言わば人間心理の闇にあるわけだが、その死自体にはなんの疑問もない。
しかし噂が本当ならサトウイチロウは、誰も生きて動いているところを見ていないのだから、吉田さんが言った通り、最初から最後まで死者だ。
はたしてそいつは、生きている者が死んだあとに残した骸なのか、それとも最初から死体としてこの世に現れたのか……」
師匠は腕組みをしてぼそぼそと呟く。
なんだかズレている気がする。気にする場所が。
「ビデオを見てからなんですよ。変なことが起こり始めたのは。サトウイチロウの呪いの噂はビデオに映っていた駅の周辺に広がっているんです。それでもってそのビデオはお寺から手に入れた、呪いのビデオなんですよ」
捲くし立てる俺へ、師匠は冷静に「呪いのビデオだなんてオッサンは言ってないよ」と突っ込む。

928 :ビデオ 中編  ◆oJUBn2VTGE:2009/02/14(土) 23:38:20 ID:0JItplbL0
「とにかく、俺たちは見てるんです。誰も気づいていない、飛び込みの瞬間を。もしあれが……」
サトウイチロウなら、という言葉を辛うじて飲み込んだ。
「そうか、僕たちは見ていることになるな。誰も見ていないはずの生ける死者を」
師匠は面白そうに頷いた。けれどすぐにため息をつく。
「でも、ビデオに映っている人物と、サトウイチロウの噂を重ねるのは突飛に過ぎるな。ただの自殺の瞬間のビデオかも知れない」
「だったらどうして、二十万も供養料を払うんです」
「知らないよ。それはまだわからない」
俺は実際に怖い目に、と喚きかけて師匠に止められる。
「そこだ。おまえが体験した光の幻は、今のところただの幻だ。幻影。幻覚。そんなにビビることはないんじゃないか」
ビビッてると思われるのは癪だった。でも事実だ。
俺は座り込んでむっつりと黙った。
師匠はやれやれと手を振って、「そんなにむくれるな」と言った。
「気になるなら、調べてみるといい。電車に飛び込んで死んだ身元不明の人間は、行旅死亡人として扱われる」
「え? なんですって」
「こうりょ・しぼうにん」
師匠がチラシの裏に漢字を書いてくれる。行旅死亡人。あまり聞きなじみの無い言葉だ。
「ようするに行き倒れとか、見知らぬ土地で自殺した人間なんかを指す身元不明者のことだ。まあ大抵はホームレスだな。
行旅死亡人はその死体が発見された場所の自治体の管轄になり、荼毘に付された後はもよりのお寺に遺骨を保管されて、遺留品は自治体で保管する。
その時に役所の掲示板に公示されるけど、発見時の詳細は官報にも掲載される。引き取り手を捜すためだ」
どこで得た知識なのか知らないが、師匠は人間の死に絡むことにはやけに詳しい。

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