【師匠シリーズ】未 本編4

528 :未 本編4   ◆oJUBn2VTGE :2012/01/20(金) 23:52:25.86 ID:SywjC5oc0
それから僕らは二人で温泉旅館『田中屋』を皮切りに、その近くにあった他の温泉をいくつかハシゴした。
どの温泉も入浴のみの客でもOKだった。入浴料を払って汗を流し、新しい服に着替えてから旅館の人をつかまえてそれとなく『とかの』の噂を訊き込んだ。
最初はあたりさわりのないことを言っていた古参ぽい従業員も、しつこく話しかけているとまんざらでもないらしく、だんだんとくだけてきて、声をひそめながら、『とかの』に関するゴシップを垂れ流しはじめた。
やはり旅館同士の仲は相当に悪いようだ。その中に例の幽霊騒ぎに関するものもあった。
「呪われてるって話ですよ」
二軒目の『松ノ木温泉旅館』では、女将らしい人がそう耳打ちしてくれた。なんでも『とかの』の初代オーナーがあの土地を買うときに、そこに古くからあった祠を壊してしまったらしい。その祟りだと言うのだ。
しかし、どうして神主が? そう思って訊き返すと、「そりゃあ……」と言いかけた後、考えてもみなかったのか「まあ、ここから出て行けってことですわね」と適当に一人で仕舞いをつけてしまった。
眉唾物の話ではあったが、確かに旅館を建てる前のことはあまり確認していなかったことに気づいた。そこになにか曰くがあるのだろうか。
師匠はそんな話を面白そうに聞いている。
温泉に浸かり過ぎて身体がふやけ始めたころ、三軒めの旅館を出てから師匠が言った。
「よし。もう戻ろう」
「いいんですか。この先にあと一軒あるみたいですけど」
「わたしはもういいよ。まだ入りたいなら、先帰っとく」
「いや、僕も帰りますよ」
どの温泉旅館も『とかの』を良く思っていないのは間違いないようだ。幽霊騒ぎについても噂に尾ひれをつけようとしているのが垣間見えた。
しかし、残念ながらその幽霊の謎について核心に迫るような証言は得られなかった。
師匠はそれを残念がる様子もなく、ほんのり赤くなった顔で口笛を吹きながら気さくに泊り客に挨拶などしている。
僕らが旅館の前に止めてあった自転車に乗ろうとすると、ぽつりと頬に水滴が落ちた。
いつの間にか空は曇っている。「降りそうだな。急ごう」師匠が空を見上げながら手のひらを胸の前で掬うように広げてそう言う。


529 :未 本編4   ◆oJUBn2VTGE:2012/01/20(金) 23:53:51.77 ID:SywjC5oc0
それから二人して来た道を全力で飛ばしたが、だんだんと雨の粒が大きくなり、『とかの』に帰り着いたときにはちょっとした小雨になっていた。
「あー、もう」
自転車を駐車場に戻し、師匠が濡れた髪の毛をかき上げながら悪態をつく。せっかく温泉に入って温まって来たところだというのに、もう冬の氷雨の洗礼を受けてしまった。袖口から水滴の滴る二人で並んで歩いていると、それでもなんだか楽しい。
「いま何時? 四時過ぎか。まだ少し時間があるな」
師匠はそう言いながら玄関ロビーに向かう。
「時間って、なんのです?」
「決まってるだろ。暮れ六つだよ」
お楽しみの対決の時間だ。
師匠はそう言ってほくそ笑む。
暮れ六つか。僕は今朝の明け六つのときの恐ろしい出来事が自然と脳裏に蘇り、足がすくむ思いがした。
ロビーのフロントには広子さんが立っていて、なにか帳面に書き付けているところだった。
「あ、お帰りぃ。雨降ってた?」
「このざまを見てのとおり」と師匠は笑いながら両手を広げて濡れた服を見せる。
「女将は?」
「大浴場の方だと思う。左官屋さんが来てるから」
「そうか。お、ありがとう」
広子さんが出してくれたタオルを受けとる。その広子さんは大袈裟な身振りで師匠に耳打ちする真似をした。
「ねえ。うちのお父さん、かなりカリカリしてるよ。あんたたちが他の温泉に浸かりに行ったって聞いたから。噴火寸前って感じ」
聞いた、ってそれを告げ口できたの一人しかいないじゃないですか。
「こわ。必要な情報収集活動なんだけどな」と師匠。
冗談じゃない!
僕は首を竦めてキョロキョロとあたりを見回す。周囲には勘介さんの影は見えない。
「そうそう。その情報収集であった収穫なんだけど、この旅館が建つ前にこの土地に祠(ほこら)があったんだって?」
広子さんはそれを聞いてきょとんとしていたが、やがて「あー」と思い出したような顔で頷く。
「あのお堂のことでしょ。ぼろいやつ。駐車場の裏手にあるけど、あれが確か旅館建てるときに場所を移したってやつだったと思う」

530 :未 本編4   ◆oJUBn2VTGE:2012/01/20(金) 23:55:56.74 ID:SywjC5oc0
駐車場の裏手のお堂なら昨日見回りをした時に見た気がする。中に石が祀られていたはずだ。
「もう一回見てくる」
師匠がそう言うので僕もついていく。
借りた傘をさし、小雨が降り続く旅館の外へ出て、駐車場の方へ向かう。その敷地の隅に、朽ち果てたような木造の小さなお堂がひっそりと佇んでいた。
覗き込むと、小さな紙垂(しで)のついた格子戸の向こうに石が安置されているのが見える。
どうするのかと思っていると、師匠がいきなりその格子戸に手を伸ばして手前に開いた。そして無造作に石を掴み出す。
紙垂のついた格子戸は明らかに神域と外界とを分かつ境界だ。その意味を知りながら平然とそれを破るあたりがこの人らしい。
いつかこの人が死んで人々に害を成す悪霊にでもなったら、止める手段があるんだろうかと、僕はそんなことをぼんやりと思った。
「字が書いてあるな」
覗き込むと、石の表面に小さな文字が数行にわたって彫られている。苔むしていることと、古い字体のせいでほとんど読めなかったが、かろうじて「とかの」という平仮名が含まれているのは分かった。
ふんふん、と頷いてから師匠は石を元に戻した。読めたのだろうか。
「なんて書いてあったんです」
「神様に代わってこの地を守るってさ。御神体としては大して珍しいものじゃないよ。」
あんまり時間がなくなってきたな。
師匠はそう呟くと玄関の方へ引き返した。それからフロントのあたりで拭き掃除をしていた広子さんに「電話貸してね」と声をかける。
そしてたった二日しかいないのに、すでに勝手知ったる他人の家、とばかりにフロントの奥の事務所に入り込んでいく。
胸ポケットから手帳を取り出して、それを見ながらダイアルをする。
「あ、教授? わたしだけど、昨日頼んだの、分かった? え?」
声が遠かったのか、電話機の音量を上げながら師匠は続ける。
「うん。うん。ああ、神社明細帳とか大小神社取調べとか、そのあたりのはもういいよ。別で分かったから。
で、古いのではどう? うん。うん。…………あったの? まじで? 延喜式にあった? えっ地誌? うん。……うん。延喜式の八十五座って畿内だけだっけ。そうか。やっぱり式台社じゃないか。
でもさっすが、そんなめんどくさそうなとこに潜ってってなんとかなるなんて」

532 :未 本編4   ◆oJUBn2VTGE:2012/01/20(金) 23:58:55.16 ID:SywjC5oc0
声が大きくなってきたところで、近づきすぎた僕の視線に気づき、師匠は「しっしっ」と虫を払うように手を振ると電話機を隠すように背中を向けた。
仕方なく少し遠ざかる。
師匠が小声になったので、何を喋っているのか聞き取れなくなってしまった。しかし多分、相手の教授というのはうちの大学の長野教授のことだろうというのは推測できた。
神道や神社に関しては一家言持つその道の大家の一人だ。指導教官でもないのに、師匠はその長野教授と普段から親密なやりとりをしていて、良く言えば教えを乞い、悪く言えば便利使いしているのだった。
どうやって取り入ったのかは知らないが、ほとんどタメ口を利いている。こっちがハラハラするくらいだった。
話している内容が気になるので耳をそばだてていると、いくつかの単語が細切れに聞こえてくる。
『女将』
『神社』
……
あとはほとんど聞き取れなかった。
「どうもありがと。お礼はいずれ、精神的に返すから」
師匠は頭を軽く下げて受話器を置いた。そして「あー」と言いながら両手を挙げて伸びをした。
「順調だなあ」
なにが順調なのか分からない僕は、どうしても気になることを尋ねる。
「女将がどうかしたんですか」
やたらと女将のことを話していたように聞こえたのだが、その理由が分からなかった。
「どうしたもなにも……」
犯人だよ。
そう囁いて、師匠は何ごともなかったかのように手を叩くと「さあ、準備準備」と僕を急き立てようとした。
訳が分からず「ちょっと待ってくださいよ」と抵抗しようとしたとき、さっき切ったばかりの電話が鳴り始めた。間髪入れずに師匠が受話器を取り上げる。
「わたしだけど、なにか言い忘れ? ……って、あちゃあ。ごめんなさぁい。間違えました。そうです。旅館とかのですぅ」
旅館にかかってきた電話らしい。師匠は慌てて取り繕っている。
『こっちこそごめんなさい。家の方にかけたんですけど、だれも出なくて。あの、楓ちゃんいますか』

533 :未 本編4   ◆oJUBn2VTGE:2012/01/21(土) 00:02:23.29 ID:sWc1D+bL0
若い女性の声が受話器から漏れている。
「ああ、楓さんですね。ちょっと待ってください」
喋りながら師匠がさっき上げ過ぎた電話機の音量を調節すると、相手の声は聞こえなくなった。
「広子さぁん。楓ちゃん、まだ帰ってないよね」フロントの方に向かって大声でそう確認してから、また受話器に向きあう。
「遊びに出かけていて、今いないんですよ。ごめんなさいね。うん。うん。……あ、じゃあ伝言しておくから」
師匠は卓上メモに走り書きをする。
「え? わたし? 新しい仲居ですよぅ。ゆかりって言います。よろしくお願いします」
適当なことを言っている。
「あ、最後に名前伺っておいていいですか」
師匠がそう言って、頷きながらボールペンを走らせていると、ふいにピタリとそのペン先が止まった。
「わかりました。それでは失礼します」
なにごともなかったかのように挨拶をして電話を切った師匠だったが、その顔を見た瞬間、僕はなにかぞくりとするものを感じた。俯いたまま口角を上げているその薄ら笑いのような表情に、ちりちりと周囲の空気が青く燃えるような錯覚をおぼえたのだ。
「あ~あ。でき過ぎだ。全部埋まっちゃったよ」
パズルの、最後のピースまで。
そう呟いて師匠はゆっくりと顔を上げた。

霧雨のような細い雨粒が、旅館の屋根を音もなく叩いている。
外はもう暗い。まだ晩の六時になっていなかったが、雨雲が空を覆い、夕焼けの残滓ももうどこにもなかった。
日が落ちてから、ますます冷え込みが激しい。ここ一週間では一番の寒さだろう。僕は震えながら両腕を抱えると、散策していた中庭から建物の中に戻った。
旅館の中も、昨日よりもほんのりと肌寒さを感じた。客がいないので、暖房の設定温度を落としているらしい。客に相当する僕と師匠はいるのだが、勘介さんあたりが「あいつらは客じゃねえんだ」と無理やり温度を下げたのかも知れない。
一階のフロアの奥に向かうと、宴会場にも使われる大広間の前に全員が集まっていた。

534 :未 本編4   ◆oJUBn2VTGE:2012/01/21(土) 00:04:41.60 ID:sWc1D+bL0
女将の千代子さん、番頭の勘介さんと仲居の広子さんの親子。女将の娘の楓。そしてさっき楓をバイクで送ってきたばかりの若宮神社の次男坊、和雄。
この五人に、僕と師匠を加えた合計七人が今この旅館にいるすべての人間だった。
「なにが始まるんです」
和雄が僕に問い掛けてくる。デートはそれなりに上手くいったらしい。機嫌が良さそうだ。楓の方も、和雄の策略を知って知らずか、まずまず楽しかったようだ。表情が柔らかい。
「謎解きだと本人は言ってましたが」
そう答えて、他の人と同じように閉じられたままの襖を見つめる。中では師匠が『準備』とやらをしているらしい。
僕も最初だけ手伝ったので、中がどうなっているのか大体は分かっているのだが、なにをしようとしているのかまでは分からなかった。
「大丈夫でしょうか」
女将は戸惑った表情を浮かべて落ち着かない様子だった。
勘介さんはムッスリと押し黙って腕組みをしている。広子さんと楓は顔を寄せ合って何ごとか話をしていた。
また腕時計を見た。
六時までもう少しだ。暮れ六つを過ぎると、そこからは僕らのよく知るこの世の理が少し変わってしまう。なにが起こるか分からない、人の世の境界の外なのだ。
特に、時の鐘が聞こえるこの土地では。
僕は事務所での師匠とのやりとりのことを思い浮かべた。師匠は確かに女将が犯人だと言った。あれはどういうことなのだろうか。
幽霊は本物だ。遭遇した僕には分かる。人間のイタズラなんかじゃない。なのに、女将がこの幽霊騒動の犯人だというのか。
考えてもよく分からない。あるいは、なにか幽霊の出るようになった原因があり、その鍵を女将が握っているということか。
そっと隣にいる女将の横顔を盗み見る。
娘の楓とよく似ている。綺麗な人だ。夫と死に別れているそうだが、独り身になってから言い寄る男の一人や二人はいただろう。その誘いを断り、女手一つで旅館を切り盛りしながら子どもを育ててきたのだ。
その華奢に見える身体に、どれほどの覚悟が詰まっていることか。
覚悟か。
ふいに、左官屋を呼んだという話を思い出した。僕と師匠が温泉めぐりから帰って来たとき、女将は左官屋と大浴場の方で打ち合わせをしていた。浴場の壁を直したいらしい。

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