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【師匠シリーズ】怪物 「結」上

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277 :怪物   ◆oJUBn2VTGE:2008/08/03(日) 02:14:20 ID:ScuN9+/G0
些細な口喧嘩でもそれがエスカレートすることを恐れていたのかも知れない。
自分の部屋を見回しながらクッションに腰を下ろし溜息をつく。
小さなテーブルの上には水曜日に買った『世界の怪奇現象ファイル』が伏せられている。
その周囲には昨日先輩に借りたポルターガイスト現象に関連するオカルト雑誌の類が乱雑に転がっている。
そしてその横の本棚には中学時代に買い集めた占いに関する本が所狭しと並んでいた。
勉強している形跡のない勉強机の上には怪しげな石ころ……
なんて部屋だ。
我ながら顔を手で覆いたくなる。
今時の女子高生の部屋としては「惨状」とも言うべき有様を複雑な気持ちで眺めていると、ふいにテーブルの下に落ちている物に気がついた。
紙袋だ。デパートの包装がしてある。
なんだっけ、と思いながらなんの気なしにそれを手に取り、封をしているシールを剥がす。
中からは鋏が出て来た。
緑色の、ありふれた鋏。
私はそれを見た瞬間、氷で身体を締め付けられるようなジワジワとした不安感に襲われた。
なんだこれは?
鋏だ。ただの鋏。いつ買った? そう、あれは石の雨が降った水曜日。
デパートで『世界の怪奇現象ファイル』を手に入れたときに一緒に買った物だ。
待て、おかしいぞ。思い出せ。そもそも私はデパートにその本を買いに行ったのではない。
鋏を買いに行ったのだ。石の雨の現場を見た後、その近くの商店街の雑貨店で売り切れていたので、わざわざ足を伸ばして……
ドキンドキンと心臓が脈打つ。
“鋏を買わないといけない気がしていた”
そのときは。確かに。
何故?
思い出せない。
その鋏を買って帰った日、私はそんな物を買ったことも忘れてこうして放り出している。

278 :怪物   ◆oJUBn2VTGE:2008/08/03(日) 02:16:07 ID:ScuN9+/G0
要らない物をどうして買ったんだろう?
急に頭の中に夢の記憶がフラッシュバックし始めた。
夢の中で私は足音を聞く。
そして玄関に向かい、背伸びをしてドアのチェーンを外す。
顔を出した母親の首筋に刃物を走らせる……
吐き気がして、口元を押さえる。
刃物だ。
あの夢の中で自分が持っている刃物はなんだ?
もやもやして、握っている感覚が思い出せない。
ただキラリと輝いた瞬間だけが脳裏に焼きついている。
あれが、鋏だったんじゃないのか。
最悪の想像が頭の中を駆け巡る。
夢の中で少女になった私は鋏で母親に切りつけた。
その”思い出せなかった”記憶が潜在意識の奥底で私の行動を縛り付け、半ば無意識のうちに新しい鋏を購入させたのだろうか。
だとしたら……
私は立ち上がり、鋏を手に部屋を飛び出して「ちょっと外、行く」と居間の方に一声叫んでから玄関を出た。
自転車に乗って駆け出す。
途中通り過ぎたゴミ捨て場に鋏を投げ捨てる。
「ちくしょう」
自分のバカさ加減に心底腹を立てていた。
外は暗い。何時だ? まだ店は開いている時間か? 気が逸ってペダルを踏み外しそうになる。
人気の少ない近くの商店街にはまだポツリポツリと明かりが灯っていた。
自転車をとめ、子どものころからよく来ていた雑貨屋に飛び込む。

279 :怪物   ◆oJUBn2VTGE:2008/08/03(日) 02:18:50 ID:ScuN9+/G0
息を切らしてやって来た私に驚いた顔で、店のおばちゃんが近寄って来る。
「なにが要るの?」
その言葉に、息を整えながらようやく私は「はさみ」と言う。
するとおばちゃんは申し訳なさそうな顔になって、「ごめんねぇ。ちょうど売り切れてるのよ」と言った。
想像していたこととは言え、ゾクリと鳥肌が立つ感覚に襲われる。
「誰か、大口で買ってったの?」
「ううん。今週はぽつぽつ売れてて昨日在庫がなくなっちゃったから、注文したとこ。明日には入ると思うけど……」
どんな人が買っていったのかと聞いてみたが、若者もいれば年配の人もいたそうだ。
「どうする? 明日来るなら取っとくけど」と聞くおばちゃんに、「いい。急ぎだから他を探してみる」と言って店を出る。
少し足を伸ばし、私は鋏を置いてそうな店を片っ端から見て回った。
店仕舞いをした後の店もあったが、閉じかけたシャッターから強引に潜り込み、「鋏を探してるんですが」と言った。
そのすべての店で同じ答えが返って来た。
『売れ切れ』と。
最後に私は一昨日の水曜日に鋏と本を買ったデパートに向かった。
閉店時間まぎわでまばらになった客の中を走り、まだ開いている雑貨コーナーに飛び込む。
中ほどにあった日用品の棚には異様な光景が広がっていた。
ありとあらゆる日用雑貨が立ち並ぶなか、格子状のラックの一部だけがすっぽりと抜け落ちている。
カッターも、鉛筆も、定規も、消しゴムも、修正液も、ステープルも、コンパスでさえ複数品目が取り揃えられているのに。
鋏だけがなかった。ただのひとつも。
私はその棚の前に立ち尽し、生唾を飲み込んでいた。
鋏が街から消えている!
いや、消えているのではない。
その懐の奥深くに隠されて、使われるときをじっと待っているのだ。

282 :怪物   ◆oJUBn2VTGE:2008/08/03(日) 02:22:53 ID:ScuN9+/G0
それは今日かも知れないし、明日かも知れない。
夢を見ている少女が母親を殺すことを決めた日に、私たちはその殺意に囚われて己の母親にその刃を向けることになるのかも知れない。
どうしたらいい? どうすればいいんだ?
自らに繰り返し問い掛けながら私は家に帰った。
するべきことが見つからない。
けれど今動かなかったら取り返しのつかないことになるかも知れない。
どうすればいいのか。するべきことが見つからない。
巡る思考を持て余して、どういう道順で帰ったのかも定かではない。
兎にも角にも帰り着き、玄関からコソコソと入ると母親に見つかった。
「どこ行ってたの。もう知らないから、勝手に食べなさい」
台所にはラップで包まれた料理が置かれている。
食欲は無かったが、無理やりにでもお腹に詰め込んだ。体力こそが気力の源だ。
あまり良くない頭にも栄養を少しだけでも回さないといけない。
食べ終わってお風呂に入る。
今日は学校が終わってから休む暇がないほど駆け回っていた。それも夏日のうだるような暑さの中を。
それでも湯船に浸かることはせず、ほとんど行水で汗だけを流して早々に上がる。
次に入る妹と脱衣場ですれ違ったとき、「お姉ちゃん、お風呂出るの早っ。乙女じゃな~い」とからかわれた。
一発頭をどついてから自分の部屋に戻る。
ドアを閉め、机の引き出しに入れてあった愛用のタロットカードを取り出す。
それを手にしたままじっと考える。
時計の音がチッチッチッ、と部屋に響く。濡れた髪がピタリと頬にくっつく。
駄目だな。
私ごときの占いが通用する状況ではない。もっと早い段階ならば、この事態に至るまでにするべきことの指針にはなったかも知れないけれど。
今必要なのは、エキドナを、母親に殺意を抱く少女を探し出すための具体的な方法だ。
あるいは、探し出さずともこの事態を解決するだけの”力”だ。


283 :怪物   ◆oJUBn2VTGE:2008/08/03(日) 02:25:49 ID:ScuN9+/G0
私は机の上に放り投げた鞄から同級生の住所録を取り出す。
今日の昼間、カラフルな地図を完成させるのに活躍した資料だ。
パラパラと頁を捲り、間崎京子の連絡先を探し当てる。
そこに書いてある電話番号をメモしてから部屋を出て、階段を降りてから1階の廊下に置いてある電話に向かう。
良かった。誰もいない。居間の方からはテレビの音が漏れてきている。
メモに書かれた番号を押して、コール音を数える。
ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ……
「はい」
ななつめか、やっつめで相手が出た。
聞き覚えのある声だ。ホッとする。良かった。
家族が出たらどうしようかと思っていた。
それどころか、使用人のような人が電話口に出ることさえ想定して緊張していたのだ。
彼女の妙に気どった喋り方などから、前近代的なお屋敷のような家を想像していた。
そんな家にはきっと彼女のことを「お嬢様」などと呼ぶ使用人がいるに違いないのだ。
だがひとまずその想像は脇に置くことにする。
「あの、私、ヤマナカだけど。同じ学年の」
少しどもりながら、あまり親しくもないのにいきなり電話してしまったことを詫びる。
電話口の向こうの間崎京子は平然とした声で、気にしなくて良い、電話してくれて嬉しいという旨の言葉を綺麗な発音で告げる。
どう切り出そうか迷っていると、彼女はこう言った。
「エキドナを探したいのね」
ドキッとする。
私のイメージの中で間崎京子は何度もその単語を口にしていたが、現実に耳にするのは初めてだった。
ギリシャ神話の怪物たちの名前を挙げて共通点を探せと言った彼女の謎掛けが、本当にこの街に起こりつつある怪現象を理解した上でそれを端的に表現したものだったのだと、私は改めて確信する。
いったいこの女は、なにをどこまで掴んでいるのか。

284 :怪物   ◆oJUBn2VTGE:2008/08/03(日) 02:27:07 ID:ScuN9+/G0
母親を殺す夢を見ていないというその彼女が何故あんなに早い時点で、街を騒がせている怪現象がたった一人の人間によって起こされているのだと推理出来たのか。
私のようにあちこちを駆けずり回っている様子もないのに、怪現象の正体を恐ろしく強大なポルターガイスト現象だと見抜いた上で、『ファフロツキーズ』という言葉に振り回されるな、などという忠告を私にしている。
どうしてこんなにまで事態を把握できているのだろう。
「……そうだ。これからなにが起こるのか、おまえなら知っているだろう。それを止めたい。力を貸してくれ」
「なにが起こるの?」
間崎京子は澄ました声でそう問い掛けてくる。
私は儀式的なものと割り切って、今日一日で私がしたこと、そして知ったことを話して聞かせた。
「そんなことがあったの」
面白そうにそう言った後、彼女の呼吸音が急に乱れる。
受話器から口を離した気配がして、そのすぐ後にコン、コン、と咳き込む微かな音が聞こえた。
「どうした」
私の呼び掛けに、少しして「大丈夫。ちょっとね」という返事が返って来る。
今更ながら彼女が病欠や早退の多い生徒だったことを思い出す。
彼女は私よりも背が高いけれど、線が細く、透き通るようなその白い肌も含め、一見して病弱そうなイメージを抱かせるような容姿をしている。
そう言えば今日も早引けをしていたな。
そう思ったとき、つい先ほどの「駆けずり回っている様子もないのに、どうしてこんなに事態の真相を掴んでいるのか」という疑問がもう一度浮き上がってくる。
もし。もし、だ。もし彼女の病欠や体調が悪いからという理由の早退がすべて嘘だとしたならば。
彼女には、十分な時間がある。

286 :怪物   ◆oJUBn2VTGE:2008/08/03(日) 02:30:16 ID:ScuN9+/G0
水曜日に昼前からエスケープした以外は、真面目に授業に出ていた私(授業を受ける態度はともかくとして)以上に、彼女にはこの街で起こりつつあることを調べる時間があったのかも知れないのだ。
もしそうだとしたならば、今の、まるで同情を誘うような咳は逆に私の中に猜疑心を芽生えさせただけだ。
だが分からない。すべては憶測だ。
けれど少なくとも、この女に気を許してはいけない、ということだけはもう一度肝に銘じることが出来た。
「エキドナを探したい。知っていることをすべて話してくれ」
単刀直入に懇願した。だがこれも駆け引きの一部だ。
彼女の一見意味不明な言動は聞く者を戸惑わせるが、その実、真理の、ある側面を語っているということがある。
短い付き合いだが、それは良く分かっているつもりだ。彼女は無意味な嘘をつかない。
嘘をつくとしても、それは真実の裏地に沿って出る言葉なのだ。意味は必ずある。
それを逃さないように聞き取れば良いのだ。
「……探してどうするの」
止めたい。
電話の冒頭で口にしたその言葉をもう一度繰り返そうとして、本当にそうだろうかと自分に問い掛け、そして胸の内側から現れた別の言葉を紡ぐ。
「見つけたい」
「それは探すことと同義ではないの」
「言葉遊びのつもりはない。ただ、本当にそう思っただけだ」
「面白いわね、あなた」
それから僅かな沈黙。
電話のある静かな廊下とは対照的に、居間の方からは相変わらずテレビの音が流れて来ている。
「正直に言って、あなたの鋏の話は驚いたわ。人を殺す夢を見ても、それが現実の人間の行動に影響を与えるなんて思ってもみなかった」
考えろ。これは嘘か、真か。
押し黙る私を尻目に彼女は続ける。
「わたしも夢の中で握っているはずの刃物の感触が思い出せない。あれが鋏だとするなら、確かにすべての辻褄が合うわね」

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