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【師匠シリーズ】ビデオ 後編

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104 :ビデオ 後編  ◆oJUBn2VTGE:2009/02/22(日) 21:43:53 ID:vbLvaS0Q0
それが、誰かの視界だとするならば……
(ついて来ている)
そう考えてしまった俺は、叫びそうになりながら全力疾走した。
こんな訳の分からないことが起こり始めたのは、明らかにあのビデオを見てからだ。見てはいけないものが映ってしまったあのビデオを。
アパートが見えてきてもスピードを緩めない。ガシャーン、と駐輪場に自転車を突っ込んで、階段を駆け上がる。
自分の部屋の前に立ち、ポケットの鍵をもどかしく取り出すとすぐに中へ飛び込んだ。
内側からドアに鍵を掛け、ずるずるとその場に座り込む。
まばたきをするのが怖い。なにか、そこにあるはずのないものを、その光の跡を見てしまうのが、どうしようもなく怖い。
深呼吸を何度か繰り返す。
今日までにあったことがフラッシュバックする。
深呼吸する。
もたもたと這うように流しに向かい、蛇口から流れる水に口をつけて飲む。
腹の中から疲れが押し寄せてくる感じ。
部屋の中に入り、明かりをつける。
何も変わったことはない。
散らかった室内。読みかけの漫画と、小説の束。ゲーム機。脱ぎ散らかした靴下。食べたままのカップ麺。テーブルに重ねられたレンタルビデオ。微かに膨らんだ、レンタルビデオ店のビニール製の袋。
目が留まった。
テーブルの上に乗せられた、レンタルビデオ店の名前が印字されているその青い袋。その膨らみから、ビデオテープが一本だけ入っているのが分かる。
おかしい。火曜日に二本みた。くだらないSFとくだらないホラー。そして水曜日には三本みた。アクションものばかり。

108 :ビデオ 後編  ◆oJUBn2VTGE:2009/02/22(日) 21:53:03 ID:vbLvaS0Q0
五本千円で一週間借りているビデオ。
では、あの袋に残っているのはなんだ?
息が荒くなる。視界が歪む。
手が伸びる。自分の手ではないみたいだ。
知りたくない。知りたくない。
そんな言葉が頭の内側で鳴る。けれど手が止まらない。どぶん、と粘度の高い流体に手を突っ込むようだ。指先まで意思が伝わるまで時間がかかるような。
生理的な嫌悪感がぞわぞわと皮膚の表面を這い回る。
袋のざらついた感触。指先がその中へ入っていく。プラスティックの角に触れる。掴み、ズルズルと取り出す。
その表面に書かれた文字を見た瞬間、停滞していたような時間が弾けとんだ。
思わず吹き出してしまう。ここでは言えないようなタイトルだ。借りたことをすっかり忘れていた。
いつもは旧作ばかり五本借りるのだが、衝動的にそういうビデオを新作料金で別に借りていたのだった。
今までの恐怖心もすべて消え去って、バカ笑いしてしまった。自分の間抜けさにだ。
だから、チャイムが鳴った時もまるでいつもの感じで気安く「はい」と返事をしながらドアに向かったのだ。笑いを引きずったままで。
けれど台所の前を通りドアの前に立とうとした瞬間に、その奇妙なものが目の前に見えて足が止まった。
まばたきの間に自分の姿が見えた。ドアの前にドッペルゲンガーが立っていた訳ではない。
そのもう一人の自分の姿の背景には、台所とその向こうの部屋とがある。
視点が反転している。大きな鏡の前に立ったような。けれどその鏡は丸く歪んでいる。自分の姿も、台所も、端の方は歪んで潰れたようになっている。
丸い視界。今度は光の跡ではなく、視界そのものだ。

112 :ビデオ 後編  ◆oJUBn2VTGE:2009/02/22(日) 21:59:56 ID:vbLvaS0Q0
目を開けると、その反転した視界は消える。そして目の前のドアに釘付けになる。正確には、そこに開いた小さな覗き穴、ドアスコープに。
何かが動いた気配。
一瞬、スコープの周囲の金具がキラリと光る。外の通路の蛍光灯に反射したのか。
そしてすぐに穴は暗くなる。
誰かいる。
あの丸い穴からこちらを見ている。
まばたきをする。
また、自分が見える。
混線した視界が、あちらの見ているものを俺に見せたように、俺の見ているものをあちらにも見せていたのだろうか。
そして辿られた?
セミが鳴いている。甲高く。耳のすぐそばで。足に鉛が入ったように動かない。
ドアの向こうの気配が強くなる。
ドンドン、とノックが二度。
けれどそれは、、変に潰れたような音だった。ドンドン、というよりもベタ、ベタ、とでもいうように。
顔が引きつる。上唇が痙攣する。想像してしまう。
コートの下は、はじめから、バラバラなのかも知れない。
肉片から、肉片へ。死体から、死体へ。
最初から、最後まで、死者のままで。
動けない。金縛りにでもかかったかのように。逃げなくてはならないと、頭のどこかでは分かっているのに。
鈍い音がして、ドアの足元に目が行く。軽い振動。ドアの下のわずかな隙間から、ゴツゴツと、なにかを押し込もうとしているような音。
指を、想像する。
そしてやがてそれが肉がひしゃげるような音に変わる。

114 :ビデオ 後編  ◆oJUBn2VTGE:2009/02/22(日) 22:03:50 ID:vbLvaS0Q0
メチメチメチという生理的な嫌悪感を煽り立てる音に。
やがてドアの下の隙間から何か赤黒いものが見えてくる。爪も皮も剥げた、十本の薄く延ばされた棒のようなものが。
ドアスコープは暗いままだ。
誰かの目がそこにあるままで、ドアの下からは手の残骸のようなものが捻じ込まれようとしていた。
同時にカタリ、とドアの真ん中に取り付けられている郵便受けが動いた。
セミが鳴いている。
頭の中に、記憶が蘇る。いつかの降霊実験の記憶が。俺は見たぞ。これを。
この後、郵便受けが開いて、その隙間からなにかがでてこようと……
それからどうなった? 早く思い出さないといけない。隙間からでてくるまえに。脳がうまく働かない。
そうだ。誰かが助けてくれた。あれは誰だ?
セミが鳴いている。
思い出した。
その人はもういない。
俺は助からない。
そう思うと力が抜けた。魂が抜け出るように膝から崩れ落ちた。
それでも身体を反転させて、這った。這おうとした。夢の中にいるように、全く進まない。後ろから肉の音がする。
少しでも遠ざかろうと、それでも這った。台所を抜けた。開いた室内ドアの段差を越えて、部屋の中まで逃げ込んだ。
後ろは振り返れない。
時間の流れが分からない。十分以上経った気もするし、一時間以上経ったような気もする。冷たい汗が顔を覆って、床にしたたり落ちる。


115 :ビデオ 後編  ◆oJUBn2VTGE:2009/02/22(日) 22:06:07 ID:vbLvaS0Q0
そしてある瞬間に、蝋燭の火が消えた。
現実に存在しているわけではない、どこかよく分からない場所にある蝋燭が消えた。
とたんに身体が動き、俺は窓ガラスにかきついた。もたつきながらカギを開け、ベランダに出る。
そして手すりを乗り越え、雨どいにしがみ付いて下に降りた。嫌な汗をかいた身体に風が冷たい。腕を擦りむいたが、気にしていられない。
一階の各部屋のカーテン越しに漏れる明かりをたよりにアパートの外側を駆け、駐輪場までたどり着く。
なにもいない。
倒れている自分の自転車を引き起こすと、すぐさま乗って後も見ずに走り出す。
無我夢中でペダルをこぎながらどこに向かうべきか考える。
一つしかなかった。
やがて師匠の家に着く。
ドアをノックする。開いているよ。知ってます。
散らかったアパートの部屋に転がり込む。
息を整えると、ようやく少し落ち着いてくる。
「おい、やっちまったよ」
師匠が落胆した表情で、狼狽する俺にもたれかかるような視線を向けてくる。その指の先にはビデオデッキがある。
「今日の金曜ロードショー、アレだったからさ。ビデオに採ろうと思って。それで、やっちまった」
俺はついさっきまでの恐怖心を消化するためのブツケ先も分からないままに、「なにをです」と聞いてしまった。
「だから、ビデオに採ろうと思って、ダビングを」
「はあ?」
声が上ずった。
「例の、五万円に」

118 :ビデオ 後編  ◆oJUBn2VTGE:2009/02/22(日) 22:16:06 ID:vbLvaS0Q0
唖然とした。
いや、今日あるって知らなくてさ、慌ててCM中にソッコーでその辺のビデオつっこんで録画したんだけど。……やっちまったよ。
そんなことを言いながら力なく笑う師匠を前に、俺は恐怖心も吹っ飛んでいた。
時計を見ると十一時を大きく過ぎている。
師匠がデッキに手を伸ばし、少し巻き戻したあと再生ボタンを押すと銭形警部が「ルパンめ、まんまと盗みおって」という、聞いているこっちが恥ずかしくなるような前フリをクラリス姫にパスするところだった。
そのままエンディングを迎え、ノスタルジーを感じさせる曲が流れて幕が下りる。そして砂嵐。
その砂嵐もすぐにガツンという音とともに終わった。
「三倍モードにするのも忘れてたんだ」
泣きそうな声色をしながら、師匠は「五万が……」と呟いた。
俺は蝋燭が消えたように感じたあの瞬間の正体が分かり、力が抜けた。今度は心地よい脱力だった。
こんなことで良かったんだ。
次から次へと笑いがこみ上げてきた。俺は手がかりを求めて現地の駅まで行ったというのに。
師匠が恨みがましい目でこっちを見ている。
間抜けにもほどがある。
「あまりにも散らかしてるからですよ」と偉そうに注意する。
「しかも今さらカリ城ですか。散々見てるでしょう。セリフを覚えてるくらい」
言いながらハッとする。
そうだ。

119 :ビデオ 後編  ◆oJUBn2VTGE:2009/02/22(日) 22:18:30 ID:vbLvaS0Q0
師匠は何故か『カリオストロの城』が好きで、場面場面の細部まで覚えていた。自力で、冒頭の札びらシャワーの車の後部座席に五右衛門が乗っていることに気づいたというくらいなのだからかなり凄い。
その師匠が、今さらダビングを?
俺はもう一度師匠の顔を伺った。冷静に観察すると、落ち込んでいるというより憔悴し切っているように見える。
力なく笑うその顔が、やけに遠く感じたられた。
それから、俺の部屋で起こった出来事を説明すると師匠は興奮して車に飛び乗った。
俺も無理やり連れられてアパートに戻ると、ドアの外も部屋の中もまるで何ごともなかったような様子だった。
這いつくばってドアの下を見るが、何かが擦れたような跡すら残っていなかった。
「触媒だったというわけだ」
ビデオが。
そう言って師匠は腕組みをした。幻覚だ、とあっさり片付けられなかったことが妙に嬉しかった。
結局ビデオにまつわる事件はそれで終わりだった。なんだかあっけない気もしたが、駅に勤める多くの人の口をつぐませながら何十年も続いている奇怪な出来事がその全貌を現すなんてことは、そうそうあってはならないものなのだろう。
なにより、俺はもうこれ以上首を突っ込みたくなかった。何故なら、ビデオに残された情報が消えてしまうことで、沿線から遠く離れたこの街にあの恐ろしいものが影響力を及ぼす理由が無くなったというだけのことであり、現実にはなにも解決していないのだから。
それはこれからも起こるのだろう。
俺の知らない街の、知らない駅で、明日にも……

123 :ビデオ 後編  ◆oJUBn2VTGE:2009/02/22(日) 22:22:26 ID:vbLvaS0Q0
次のバイトの日、北村さんに「サトウイチロウどうだった」と聞かれたが、生返事をしただけではぐらかした。
「吉田さんは元気でしたけど、暇そうにしてましたよ」と言うと、「そうかぁ。ボクも今度会いに行こうかな」なんて、懐かしそうに眼鏡をずり上げていた。
その数日後に会った時、師匠はこう言った。
「仮定の話だ。真相は分かりっこないからね。そう思って聞いてくれ。……サトウイチロウが出没したのは特急列車が通過した時ばかりだったな」
特急列車に飛び込み自殺があると、清掃や車体の破損チェックのあと運行再開までの時間が長くなった時には影響を受けた乗客に対し特急料金の払い戻しをするケースもあるそうだ。
その払い戻しの額次第では、残された遺族に対して損害賠償請求が行われても、とても払えないような莫大な数字が上がってくることがあるのだとか。確かにそんなことを聞いたことがある気がする。
実際に、そういう払える見込みのない訴えがあるのかどうかはともかくとして、そんな可能性があると、一般人に思われていることが重要なのだ。
その通念は、官報に載った行旅死亡人の引き受け人探しにも暗い影を落とす。
たとえ本人に身寄りがあり、遺族がその情報に気づいたとしても、そうした通念が、イメージがある限り、おいそれとは手を上げられなくなってしまう。
そして引き取り手も現れないまま、ひっそりと忘れ去られるように消えて行く死者たち。
そんな忘れ去られて行く者の残した思いが、まるで再現するように奇怪な事故を繰り返すのではないか。
「今度こそ、家族が名乗り出てくれる。そう思ってね」
師匠のその言葉に、俺はしかし釈然としなかった。
「だったらなんで、呪いなんて掛けるんです」
「知らない」

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