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【師匠シリーズ】本

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872 :本  ◆oJUBn2VTGE:2013/08/23(金) 21:03:09.85 ID:/4sM9Swo0
「で、お前の同級生も怖くて読んでない、と。……弟はなんて言ってんだ」
「ええと。とにかくなんでか読めたんだって」
実に有益な情報だ。すばらし過ぎる。
「弟はどうしてこの本がそうだと気づいたんだ」
「別に『夜の書』だと思って借りたんじゃないんだって。たまたま借りた本がそうだっただけってさ」
「それは、ちょっとおかしいぞ」
「なんで」
俺は少し頭の中を整理する。
「だったら、どうして部屋を真っ暗にして読んだんだ」
「え」
「部屋を暗くして読まないと、そもそもそういう本だと気づかないだろ」
そう言われて、音響はふうん、と唸った。
「さあ。たまたまなんじゃない?」
これ以上情報は出てきそうになかった。
「『夜の書』は一冊なのか」
「そう聞いてる」
つまりひとつの寄生体のような存在が、見つかって宿主の本を破棄されるたびに別の本へと移動しているということか。その間に子どもたちを魅了し、危険な状態に追い込みながら。
それにしても。
と、俺はふと思った。「『夜の書』ってのは、小学生らしくないネーミングだな」と呟く。
噂の出所は案外教師なのかも知れない。
考え込んでいる俺を音響がじっと見ていた。
「なんだ」
「なんとかしてくれそう」
そう言ってまた両手の指を組んだ。
俺はそれを見ながら言った。
「ゴスロリって、そんな感情表現豊かでいいのか」

その夜のことだ。

874 :本  ◆oJUBn2VTGE:2013/08/23(金) 21:15:47.49 ID:/4sM9Swo0
俺は自分の部屋で一人、パソコン上でダービースタリオンというゲームをしていた。いい競走馬が出来たので、それを育てるのに熱中していて、気がつくと夜の一時を回っていた。
時計を見た時、なにかすることがあった気がして軽く不安になる。
ああ、音響から預かった本のことだ。
それを思い出してホッとする。
心置きなくゲームに戻ろうとしたが、なんだかそういうわけにもいかない気がしてきて、しぶしぶセーブをしてからパソコンの電源を落とした。
どこに置いたかいな。と、部屋の中を見回す。するとベッドの上に放り出してあった。
『ソレマンの空間艇』石川英輔 作
とある。
そう言えばどういう話だったか思い出そうしていたのが途中だった。俺はこたつに移動し、本を広げた。
その本は、文夫という少年が学者先生と浅間山に登山に出かけた時に、ソレマン人と名乗る宇宙人のUFOに捕らえられ、冒険をすることになる話だった。
実は現生人類以前に存在した地球上の知的生命体であったソレマン人たちが、旅立った先の遠い宇宙で滅亡の危機に瀕していて、それを救うため、かつて彼らの先祖が地球に残したというある遺産を一緒に探す、という筋だ。
子どものころに読んだ時は、SFというちょっと大人のお話という感覚でいたのだが、今読むとやはりジュブナイルであり、文体には違和感があった。こんなだったかなあ、と。
しかしそれでも読み始めると意外に面白くて、俺はそのまま読み進めた。すると物語が佳境に差し掛かったあたりで、ふいに妙な文章が出てきた。
《そんなことより、遊ぼうよ》
ん? とそこで止まった。
地の文からいきなり読者へ語り掛けてきたのだ。不自然なメタレベルの文章だ。
次の一文を見た瞬間、背筋に冷たいものが走った。
《うしろをむいてごらん》
地の文は続けて今この本を読んでいる俺に呼び掛けている。うしろをむいてごらん、と誘っているのだ。
これは……
気がつくとなんとも言えない嫌な耳鳴りがしている。空気がヒリつく。
呼び掛けの内容のことだけじゃない。俺は全く気づかなかったのだ。今の今まで、同じ本を同じように読んでいるつもりだった。しかし、いつの間にか部屋の電気は消えていた。

876 :本  ◆oJUBn2VTGE:2013/08/24(土) 00:25:28.47 ID:oCTAATKm0
部屋の中は真っ暗で、俺は一人闇の中に座り、本のページを開いていた。
あたりは、しん、としている。
明かりがないのに、本の内容が読める。
ゾクリとした。
これか。
俺は胸の中でそっと呟いた。
この感覚は確かに説明し難い。完全に視覚的なものではない。普段この目で見ているように見えているわけではなかった。
だが、まるで視覚情報から抜き出されたような言語的な情報が直接頭の中に入り込んで来ている。そしてそれが本来そこにあるべき視覚的情報を補い、あたかも幻覚のように文字を浮かび上がらせている。
頭で、目の前に文字があるように想像した状態がそれに近いだろうか。闇の中で文字を想像した時、黒一色の世界に、同じ黒で文字が書ける。不思議な現象だった。
これだ。このことだ。
緊張しながら、今の状況を再確認する。なぜ部屋の電気が消えているのか。冷静に記憶をたどる。すると、直前に立ち上がり、電燈の紐を引っ張った自分を思い出す。
記憶が消えかけていたことにゾッとする。思考でたどっても多分だめだった。直前の、立ち上がった身体の感覚がうっすらと、そしてそれでもまだ俺の脳に正しい情報を送ってくれたのだ。
なるほど。部屋の明かりは無意識に自分で消してしまうのか。消したという記憶とともに。
俺は異常な状況に背中をゾクゾクさせながら、《うしろをむいてごらん》という文字情報をもう一度確認する。何度確認してもそこに目を向けた途端、強制的に脳が文字のイメージを浮かび上がらせる。
振り向くか。
いや。
だめだ。
振り向いてはいけない。
そこには部屋の壁があるだけのはずだ。
だが、だめだ。
振り向きたいという欲求が、頭の中を嵐のようにぐるぐると回る。それでもその欲求が自分の中から出てきたものではないということが分かる。


878 :本  ◆oJUBn2VTGE:2013/08/24(土) 00:29:15.16 ID:oCTAATKm0
耐え難い衝動に俺は耐えた。
そのページにはその文章だけが書いてある。
俺は次のページを捲らず、じっと考える。この異常な現象の根源のことを。それは物質としてのこの本ではない。なぜなら燃やしても破り捨てても、『夜の書』は次の本へ移るからだ。
だったら根源とはなんだ。
このループはどうやって打ち破る?
思考が音もなく走る。
夜の書。
夜にしか読めない本。
夜にしか……
いつからかははっきりしないが、この怪現象が七不思議に数えられ、過去から現在までまだ続いているということは、現象を破るには誰もやっていないことをしなければならない。
考える。
考える。
なんだ。
それは、なんだ。
しばらく考えた後、俺は思考の流れを変えた。
逆はどうだ。誰もやっていないことをする、の逆。それは。
誰もがやったことをしない……
ハッとした。
誰もがやったこと。
誰もが。燃やした人も、ズタズタに破り捨てた人も。
誰もがやっていること。それをしなければいい。
俺はふいに、冷めていく自分に気づいた。
そうか。こんなことか。
肩の力がふっと抜けて、俺は闇の中で本を掴んだ。そのまま手探りでベランダのある窓の近くに持って行く。
そうして、本のページを開いたまま窓際に置いた。
欠伸をして、こたつに入る。最近は不精が過ぎてベッドにも入らず、こたつに首まで潜り込んで寝るのだった。
歯を磨いてないな、と思ったが、まあいいやと眠りに落ちた。

879 :本  ◆oJUBn2VTGE:2013/08/24(土) 00:31:25.88 ID:oCTAATKm0

次の日、目が覚めるとカーテン越しに朝の光が眩しいほど射し込んでいた。天気予報通りの快晴だ。
こたつからムクリと這い出て、俺は窓際の本を確認する。昨日置いたままの格好で、本は朝の陽光を浴びていた。
開いているページには、昨日のソレマン人の遺産に関する物語の続きが載っていて、奇妙な文章など一つも見当たらなかった。もちろんどのページにもだ。
怪異の源はいまひとつはっきりしなかったけれど、たいていの夜の怪現象はこいつには適わない。
朝の光には。
これまでに恐らく誰もがやってしまったこと。
それは本を閉じてしまったことだ。つまり、夜中に開いた『夜の書』としてのページを閉じてしまい、結果として怪異の根源が朝の光を浴びることがなかった。
そんなことで良かったのに。
まあ、こんなもんかね。
俺は一晩中こたつに包まっていてこり固まった筋肉をほぐすべく、大きな伸びをした。

次の日の夜、俺はまた自分の部屋で『ソレマンの空間艇』を通して読んでみた。最後まで読んだが、特に異変は起こらなかった。
その後、電気を消してみたが、開いたページのあたりにはやはり何もなかった。暗闇があるだけだ。
念のためにもう一日様子を見てから、俺は音響を前回のカレー屋に呼び出した。
概要を説明し、本をテーブルに置いてからそっちへ押しやる。
「朝の光で、ねえ」
ふうん、という表情で音響は小さく頷いている。
「死んだの?」
本を指さしてそう訊くので、「たぶん」と答える。
「燃やした時と同じで、結局別の本に逃げてるとか」
「それはないな」
たぶん、と付け加える。

880 :本  ◆oJUBn2VTGE:2013/08/24(土) 00:33:15.52 ID:oCTAATKm0
図書館の膨大に存在する本のどれかに逃げたかも知れない、なんて言われてもすぐには確認のしようがないが、そのことにはついては自信があった。何故かと言われても上手く答えられないのだが、俺のこれまでの経験に裏打ちされたカンだ。
なにより、ループを破る方法を思いついた瞬間に冷めてしまった自分自身と、こたつに入って眠ったその俺になにも出来なかったという、怪現象としての、こう言ってはなんだが、しょぼさ、がそれを補強している。
音響も似たような感想を持ったのか、あっさりと納得したようだ。
「ありがとう。さすが」
さすが、の後、師匠のしの字が続く前に俺は被せて言った。
「お前、いつまでこんなことに首突っ込んで行くつもりだ」
するとキョトンとして、「だって」と言うのだ。
「だって、これからじゃない。大学に入ったら、もっと色々楽しいことできそうだし」
その言葉を聞いた瞬間、自分が老人になってしまったように感じてしまった。
そうか、こいつはこれからなのか。
俺がオカルト道にどっぷりと浸かって無茶ばかりやっていたあの無軌道な日々が、こいつにはこれからやってくるのか。
自分にはもう戻って来ない時間が全方位に向かって開かれている少女に、目を開けられないような眩しさを感じて俺は目を逸らした。
「そういえば」
と、音響はカレーを掬おうとしていたスプーンを止める。
「昨日瑠璃ちゃんに会ったよ」
一瞬意味が分からず、「アメリカへ帰ったんじゃないのか」と言いそうになってから、「ああ、そういうことか」と一人ごちた。
「わたし、地元の大学に行くのはさ、瑠璃ちゃんと遊びたいってのもあるんだよね」
「あいつ、この街にしかいられないのか」
「うん」
そうか――
The king stays here,The king leaves here.
ふいに、頭の中に瑠璃の好きだった言葉が蘇った。

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