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【師匠シリーズ】未 本編4

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538 :未 本編4   ◆oJUBn2VTGE:2012/01/21(土) 00:13:34.12 ID:sWc1D+bL0
「暮れ六つが鳴り終わりました。ここからは幽世(かくりよ)のうちにある時間帯です。そこでは人はとてもか弱い存在です。現世(うつしよ)のものならぬモノたちが、ほんのひと撫でするだけで命の灯火が消えてしまうような……
くれぐれもお気をつけください。これからなにが起こっても決して我を無くし、この針の結界から出るようなことをしてはいけません」
いいですね?
師匠は囁くような声でそう言った。
みんな静かに聞き入っていて、素直に頷いている。なんだか僕もぞくぞくしてきた。もったいぶるのは師匠の常だったが、今日は特に念が入っている。
「わたしは、この温泉旅館に出るという神主姿の幽霊の問題を解決するために呼ばれました。依頼を受けた時点では半信半疑でしたが、実際にこちらにやってきて、幽霊を見たという人の話を直に聴き取り、現地を見て回った後の印象は違いました。
ここにはなにかがいます。確実に、この世のものではないなにかが。それがなんであるのかを確かめ、どうすれば出なくなるのか、その方法を探る。それを成し遂げるためにこの二日間がありました。
まず第一のヒントは神主姿であるということ。ここからすべてが始まります。しかし、この地域唯一の神社である若宮神社では、そんな幽霊に全く心当たりはなかった。
それどころか、宮司が出向いてきて御祓いを行ってもその出現が止むことはなかった。お寺に頼んでもそれは同様でした。よほど強い怨念を抱いている霊だったのでしょうか。いいえ。なにか違う気がします。
その神主姿の幽霊は、これまで人に危害を加えるような実害を成していません。訴えたいことがあるのかも判然としない状態です。どちらかというと、そのへんのどこにでもいる、弱々しい浮遊霊のような現れ方です。
しかし一年近くにわたって、同じ建物で頻繁に目撃されているというところには、なにか執着心というか、執念のようなものを感じます。ちぐはぐです。実にちぐはぐなのです」
師匠は首を左右に振る。そしてその場に腰を落とし、他のみんなにも座るようにとジェスチャーをした。長くなると言いたいのだろう。
それぞれ思い思いの格好で、針の円の中に座り込む。

539 :未 本編4   ◆oJUBn2VTGE:2012/01/21(土) 00:15:09.19 ID:sWc1D+bL0
「わたしは神職や僧侶のように、霊を祓い、魔を打ち破るようなことはできません。しかし、あらゆる存在には因果というものがあります。その目に見えない因果の糸を解けば、自ずと解決への道が見えてくるものです。みなさん」
師匠は静かな声でこちらに呼びかけてくる。
「みなさんの中に、この『とかの』で神主の霊を見た、あるいはどんな形でも遭遇した、という方がいたら手を挙げてください」
自分も手を挙げながら周囲を見ると、みんな手を挙げていた。師匠を除いて。
おかしかったのは、注連縄の外の勘介さんまで畳の上に胡坐をかいたまま仏頂面で右手をぴょこんと挙げていたことだ。見ているだけで思わず笑ってしまいそうになる。
「いいでしょう。広子さんと勘介さんはどんな風に遭遇したのか詳しくお聞きしていませんでしたね。ここでお話しいただけませんか」
そう言えば昨日みんなの話を聞いて回った時に、広子さんは「見てない」と言っていたことを思い出した。なぜか嘘をついていて、本当は見たことがあったのだろうか。
「いやあ。私のはたぶん見間違えって言うか。まあ、その、炊事場で一人で洗い物している時にスーッて後ろを誰かが通った気がしたんですよね。あれっ、と思ってそっち見たら、出入り口のトコに一瞬だけ後ろ姿が見えたんですよ」
それが神主が着るような服装だった気がする、というのだ。
後で旅館のみんなに聞いても、誰も炊事場には近づかなかったという。それで気味が悪くなって、しばらくはおっかなびっくり仕事をしていた。怖いものだから、自分でもなにか見間違いだと思い込むようにしていたそうだ。
勘介さんの方は不機嫌さを隠そうともしないボソボソとした声だったが、どうやら数回見ているらしいということが分かった。
一人でいる時に、目の前を半透明の人間が通ったというケースが多かったが、他の仲居と一緒に片付け物をしている時に、二人で同時に目撃したという話もあった。
すぐ目の前で、誰もいないはずの柱の影から音もなく人影が現れて、廊下の奥へ消えていったというのだ。
二人以上の人間に目撃される例は又聞きの噂としてはあったが、実際に体験した本人が喋るとそれとは違った臨場感があった。
女将も何度か見たとは言っていたが、すべての体験談を聞いたわけではなかったので、続けて話してもらう。

540 :未 本編4   ◆oJUBn2VTGE:2012/01/21(土) 00:17:08.99 ID:sWc1D+bL0
「私が最初に見ましたのは、春先だったと思いますが、夜中に事務所で一人書き物をしておりましたところ、なにかの気配を感じましてふと顔を上げますと、目の前の壁の中に、その、人の姿を見たのです。ええ。壁の中でした」
その人影は神主のような格好をしていたという。悲鳴を上げ、椅子から転げ落ちそうになって慌てて机の縁につかまると、いつの間にかその壁の中の霊は見えなくなっていたのだそうだ。
その後も女将は何度か神主姿の霊を目撃していた。現れ方は様々で一様ではなかったが、共通しているのは、なにか訴えかけられるようなものを全く感じなかったということだけだった。
楓と和雄の体験談は昨日聞いたとおりだ。
楓は客室の膳を下げている時に廊下の外に神主の霊が佇んでいるのを見ている。和雄の方は露天風呂に入っている時に遭遇していた。
そしてこの僕も、今朝恐ろしい目にあったばかりだった。その時のことを思い出してしまい、身震いする。
「なるほど。みなさん、それぞれになんらかの体験をしている。しかし女将と勘介さんは複数回見ていますが、他の方はみんな一度だけの遭遇です。少なくとも知覚しているものは。
一年ほど前から現れるようになった幽霊が、ここでずっと働いている広子さんに対して一度だけしか姿を見せていない。これはかなり低い頻度です。
出るようになったのは一年ほど前から、と聞きましたが、正確にはいつごろか分かりますか。これは推測ですが、女将が最初に見たという、春先ごろが最初ではないですか」
話を振られた女将は怪訝な顔で首を傾げる。
「あー、でもそのころかも。噂が出始めたの」と広子さんが言った。
「ということは、いちにいさん…… 九ヵ月か十ヵ月というところですか。まあ一年弱という表現でもいいでしょう。この期間、覚えておいてください。さて、その個人単位で考えると遭遇頻度の低い幽霊ですが、今日、これから、この場に現れます」
ええ?
そんな声が上がった。僕も少し驚いた。そんなことをあっさり断言するなんて。
しかし師匠は平然と続ける。


541 :未 本編4   ◆oJUBn2VTGE:2012/01/21(土) 00:18:13.51 ID:sWc1D+bL0
「様々な要因が重なり、その確率は極めて高いと言えます。そうでなくてはこうしてみなさんに集まっていただいた意味もありません。その出現要因はいくつもありますが、例えばまず暮れ六つを過ぎた時間帯であるということ。
これは大きな問題です。それよりも早く現れたケースはこれまでありません。そしてそれは暮れ六つの意味を理解した存在であるということを同時に指し示しています。
次に、噂をすれば影、という言葉があるように、わたしの経験上、霊体は己に興味を示し、その存在を肯定する者の前に現れやすいという傾向があります。
その噂の内容は怯えであったり、からかいであったりと様々ですが、今わたしたちがこうして話をしていることがその出現を誘発しうるというということです。
そしてなにより、この場にわたしがいるということ。また、この場でわたしの次に霊感の強い助手のこいつがいるということも要因の一つです」
師匠の広げた手で紹介される形になり、思わず「どうも」と照れ隠しにみんなに頭を下げた。なにか変な気持ちだ。
しかし師匠は暗に自分の霊感の強力さを自負するような言い回しをしているのに気づいた。これだけ言ってなにも出なければ大恥を晒すことになるが、それを承知で自分を追い込んでいるのだろうか。
「それら多くの要因の中で、非常に重要度の高いものが二つあります。それは今この場に揃っている、ある特別な条件です。そのために、これから間違いなく神主姿の霊は出ます。
約束してください。もし出現しても、けっして動かないで下さい。その針の結界の外には出ないように」
僕は改めて針を見た。どれもかなり長い。良く見ると、畳に刺さっているのは穴のある側だ。尖った方が上を向いている。もしバランスを崩して針の列の上に転んだら、と思うとゾッとする。
「では、これを見てください」
師匠はズボンのポケットから折り畳んだ半紙を取り出した。広げると、そこには漢字が一文字だけ大きく書かれている。
雨冠。その下に口が三つ横に並び、さらにその下に「龍」の文字。
「これは昨日、裏山の谷底で見つけた石に彫られていた文字です。裏山には若宮神社の分社などなんらかの社の類はない、とみなさん口を揃えておっしゃいましたが、これはいったいなんだと思いますか」


543 :未 本編4 ラスト  ◆oJUBn2VTGE:2012/01/21(土) 00:24:52.02 ID:sWc1D+bL0
「あ」という声が上がった。和雄だ。なにか気づいたようだ。
「祭祀的な役割のものではなくても、山道の路傍にこうした文字を彫った石を置くことはあります。一里塚のような道標がそうですね。しかし、この見慣れない文字はどうでしょう。一体なにを表しているものなのか……」
師匠は針の円の中に胡坐をかいたまま半紙をひらひらと揺らす。
そのとき、一瞬なにか聞こえた気がした。なんだろう。気のせいだろうか。
「その謎を解くには、まず亀ヶ淵という溜め池の話をしなくてはなりません。みなさんご存知のように、戦国武将である高橋永熾がこの地に侵攻してきたときに領土としての価値を高めるため、水瓶として造ったものです。
元々その場所には沼地があり、その地名が溜め池の名前になったものです。ところがここには実はもう一つの名前があります。
ショウガブチという名前をお聞きになったことがありますか。今や地元の人間ですら知らない、文献にだけ現れる古い古い読み方です。しかしいつからそう呼ばれなくなったのか、推測することができます。
もちろん、溜め池の完成というエポックメーキングのときからですよ。新しい用水路。新しい農法。この周辺で暮らす人々の生活を変えてしまったとき、古いものがひっそりと消えていったのです。
そしてそれは、高橋永熾がもたらしたもう一つのものにも当てはまります」
りん……
ふいに耳にそんな音が入った。なんだ。いまの音は。
僕にだけ聞えたのだろうか。思わず周囲を見たが、特に異変めいたものは見当たらない。
しかし、ざわざわと胸のあたりにざわめくものがあった。
師匠は平然として説明を続け、みんなその一言ひとことに自然と耳がそらせなくなっていった。

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