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【師匠シリーズ】未 本編3

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472 :未 本編3 ◆oJUBn2VTGE:2012/01/15(日) 00:00:55.96 ID:PnBJCiQI0
社務所の玄関で靴を履いていると、章一さんが大きな布袋を抱えてやってくる。
「これを」
師匠は「あ、忘れるところでした」と言ってそれを受け取り、中を覗き込んで一つ頷いた。「どうもありがとうございます。後日返します」
「それ、なんですか」
僕も覗き込もうとすると、「お楽しみは後だ」と見せてくれなかった。ちらりと縄のようなものが見えただけだった。
「そう言えば、和雄さんは?」
話を逸らすように師匠がそう問い掛けると、「少し前にどこかへ出かけましたな」との返事だった。
また『とかの』に手伝いに行ったのかも知れない。まめなことだ。
「この神社は、ご長男の修さんが継がれるんですか」
「いやいや、まだまだ」
そう言って章一さんは手を振ったが、相好を崩している。自慢の息子のようだ。跡継ぎ不足に悩む神社は多いのだろうが、皇學館まで行った息子がいると、まずは一安心というところだろう。
もう一度お礼を言って、僕らはもときた参道の方へ向かう。
鳥居のところまで見送りをしてくれた章一さんの姿が小さくなり、最後に軽く会釈をして自転車を置いてある場所まで歩いていった。
その途中で師匠が呟く。
「もう少しで全貌が見える」
もう少しもなにも、僕には肝心の若宮神社でほとんど収穫がなかったようにしか思えなかった。
師匠はニヤリと笑うと、「さあ次だ」と言った。

自転車をこいで西川町の中心街まで出てきた僕らが次に向かった先は図書館だった。
「裏を取るぞ」
師匠はそう言って郷土史のコーナーから本を抱えて閲覧室の一角に陣取った。そして西川町の変遷や若宮神社の歴史などを片っ端から調べていった。

474 :未 本編3 ◆oJUBn2VTGE:2012/01/15(日) 00:03:40.53 ID:PnBJCiQI0
どちらもこれまでの情報の詳細や再確認といったものばかりで、なにか今回の事件に関係していそうなものは見当たらない。
飽きてきて上の空になり始めた僕を尻目に、師匠は楽しそうに頁を捲り続けている。
「お、見ろ。亀ヶ淵のことが載ってる」
あの道路沿いの貯水池のことか。
紙が変色しかかった古い本に、白黒の写真とともに貯水池の歴史が記されていた。
「あんまり詳しくないな」
ぶつぶつ言いながら師匠は顔を近づけて読んでいる。
戦国武将の高橋永熾がこの大規模な土木工事を行った背景と、その効果がどのようなものであったかが、簡単に説明されていた。
かつてこの枝川沿いには亀ヶ淵という名前の沼地があったそうだ。そこを新たに掘り抜いて溜め池として補強し、川から水を引いてくるという工事の工程が図解とともに示されている。
ふんふん、と鼻を鳴らして読んでいた師匠が「うん?」と唸った。
「亀ヶ淵の横に、括弧してショウガブチとカタカナで書いてあるな」
「そうですね」
別の項ではちゃんと「カメガブチ」と振り仮名が振られていたので、読み方としてはカメガブチが正しいはずだ。というかそれ以外読みようがない。
ということはショウガブチというのは別名なのだろうか。
「ショウガブチ…… ショウガブチか。あのあたりではショウガでも採れるのかな」と師匠は首を捻る。
そう言えば昨日の夕食で、山菜の天麩羅の中に薄く切ったショウガを揚げたものがあった。名産なのかも知れない。
その味を思い出すと、口の中に幸せな感触の記憶があふれてくる。今日も旨いものにありつけるのだろうか。
僕が舌なめずりをしていると、師匠は立ち上がって、近くで本を広げていた六十歳過ぎくらいの男性に声をかけた。地元の人のようだった。農協のロゴの入った帽子を被っている。
「このあたりはショウガをやっていますか」
「いんや。ショウガなら隣町だなぁ」
「昔はやっていたんでしょうか。ここに、亀ヶ淵のことをショウガブチと書いています」
「うん?」
男性は老眼鏡の位置を直しながら本を覗き込んだが、首を捻っている。

475 :未 本編3 ◆oJUBn2VTGE:2012/01/15(日) 00:06:13.01 ID:a2MmWsar0
「あの溜め池は、ショウガブチなんて呼び方、しねえけどなあ」
そう言いながら近くにいた知り合いの老人に本を見せると、やはり同じような答えが返ってきた。
どうやらショウガブチという呼び名は一般的ではないようだ。もしくはもう廃れた古い名前なのかも知れない。
「ありがとうございました」
師匠はお礼を言って本を抱えると、僕に目配せをした。他の本も片付けろ、と言っているらしい。
「もういいんですか」
「うん」
スタスタと歩き出した師匠を追いかける。
「ショウガブチでなにか分かったんですか」
「たぶんな」
また自分一人理解したという顔ですましている。いい加減じれったい。
「教えてくださいよ」と食い下がると、やれやれとばかりに溜め息をつきながら師匠は指を立てた。
「亀という字の読み方はいくつ知ってる?」
亀ヶ淵の「亀」の字か。
訓読みだと「カメ」。音読みだと「キ」。いくつというか、これくらいしか思いつかない。
師匠は大きな辞典を本棚から取り出して、ペラペラと捲り始める。そして亀という漢字について書いてある頁を開いて見せた。
「他に、亀の手と書いて亀手(きんしゅ)とか、亀裂(きんれつ)、あと中国の西域諸国の中の亀茲(キュウシ)って国も亀の字をあてているな。それから『屈む』の屈(くつ)という字の代わりに亀の字をあてた『亀む(かがむ)』なんて言葉もあるな」
知らなかったが、色々あるものだ。
「人名だとバリエーションが多いな。そういや、わたしの親戚にも亀に司と書いて亀司(ひさし)って名前のオッサンがいたな」
しかぁし……
師匠はもう一度指を立てて左右に振る。
「亀をショウと読む例はどこにも出ていない」
「はあ」
だからなんだというのだろう。


476 :未 本編3 ◆oJUBn2VTGE:2012/01/15(日) 00:08:36.15 ID:PnBJCiQI0
「まだ分からないのか」
「はあ」
師匠は溜め息をつきながら首を振った。もの凄くバカにされているらしい。
「いいか。読み方が違っているんじゃないんだ。だったら、間違っているのは漢字の方だ」
「漢字、ですか」
偉そうに言われても、だからどうした、という気がしてくる。
「と、いうわけで、解決だ」
なにが解決なんだか。仮に貯水池の名前の謎が解けたところで、なんの意味もない。
そう思っていると、師匠は満面の笑みで続けた。
「神主の幽霊の謎は、解けたよ」
「はあぁ?」
唖然とした僕の肩をぽんぽんと叩いて師匠は、「さあ、もう少し詰めをするぞ」と言った。
僕はわけの分からないまま、うながされてとにかく図書館を出た。
「腹減った。飯食おう」
師匠が俊敏な動きであたりを見回し、食事のできそうな店を見つけ出した。その喫茶店の前に来ると、どこかで見覚えがあるようなバイクが一台だけ止まっていた。
右のハンドルにヘルメットをぶら下げている。そのヘルメットを見て思い出した。師匠も気づいた様子で、バイクを指さしながら「ししし」と口元に手をやって笑う。
ドアを開けると、からん、と音がした。
小さな喫茶店の中には数人の客がいたが、音に反応してこちらに目を向けた人の中に、見知った顔を見つける。
和雄だった。バイク姿は昨日の夕方に見たばかりだ。
「狭い町だなぁ」
そう言いながら僕らがテーブル席に近づいていくと、和雄は驚いたような顔して、そして次の瞬間、困ったような表情を浮かべた。その向かいの席には見覚えのない女性が座っている。
「参ったな」と言いながら頭を掻いた後、和雄は「妹です」と紹介した。
妹ということは翠さんか。確か楓と同い年のはずだ。髪の長いその女性が丁寧に頭を下げるので、こちらもそれにならう。楓とはタイプが違うが、なかなか綺麗な子だった。
「僕らはもう出ますけど、ゆっくりしていって下さい。ここは昼のAランチが安くて美味しいですよ」
和雄は朗らかにそう言うと、会計を済ませた後で僕と師匠に近づいてきて耳打ちをした。
「ここで僕らを見たこと、誰にも言わないでもらえますか」

477 :未 本編3 ◆oJUBn2VTGE:2012/01/15(日) 00:09:33.99 ID:a2MmWsar0
頼みます、とばかり、拝むような仕草をする。
「いいよ」
師匠は特に気にしない様子でそう言うと、大袈裟な身振りでウェイトレスを呼び、早口にAランチを注文した。腹が減って気が急いているらしい。
連れ立って店を出て行く二人を横目で見ながら僕も同じものを頼む。疑問を感じはしたが、Aランチがテーブルに並べられるとそんなものは吹き飛んだ。あれこれ動き回って頭を使っているせいか、昨日からやたら腹が減る。
師匠と二人で、出された料理を黙々と片付けていった。
「満足じゃ」
師匠が箸を置く。そのまま楊枝を探しているようなので、僕の目の前にあった容器を差し出しながら、「神主の幽霊の謎が解けたって、どういうことなんですか」と訊く。
師匠は楊枝を一本抜き取り、口元を隠しながらこんなことを言った。
「謎が解けた、は言い過ぎかな。フーダニットはクリアになったが、ホワイダニットがいまいち見えてない」
「だから、なんですかそれは」
「まあ、とりあえず、今までの解決手段が間違っていたことが分かっただけでも十分だろう」
最後までそんな抽象的なことばかり言ってはぐらかされた。
納得できていないが、師匠が腰を浮かせたので仕方なく一緒に席を立つ。レジで師匠が領収書をくれ、と言うとウェイトレスは驚いた様子で店長を呼びに行った。
普段は近所の馴染み客ばかり相手にしているから、領収書が欲しいなんて言われたことがないのだろう。僕にしてもこんな興信所のバイトをしていなければ、学生の身分で領収書をもらう機会などそうそうなかったに違いない。
厨房の方から出てきた店長が、レジの下の棚をごそごそ漁っているとようやく未開封の領収書の用紙が出てきたので、それに記入してもらった。こんな食事代も、調査費で落ちるのだろうか。
「一度戻ろう」
喫茶店を出たあと、若宮神社でもらった袋をポンと叩いてから師匠はそれを担いだ。
それからまた自転車に乗って僕らは『とかの』に戻った。相変わらず風は冷たいが、その間師匠はペダルを踏みながら鼻歌などうたっていた。随分と余裕が漂っている。
「余裕ですね」そう訊くと、「そうでもないよ」との返事。しかし、表情はやはり余裕そうだった、
「ピースがあと一つ二つで埋まるって感じ」

478 :未 本編3 ◆oJUBn2VTGE:2012/01/15(日) 00:12:19.34 ID:a2MmWsar0
そんな意味深な言葉を吐いてニヤリとした。実に意地悪そうな顔だ。
旅館に帰り着くと、広子さんが暇そうに玄関先に座り込んでいた。
「あ、お帰り~」
座ったまま手を振っている。今日一日客がいないとなると気楽なものだ。年末のかき入れどきにこれではオーナーは気苦労が絶えないだろうが、従業員としてはほとんど休みみたいなもので、ラッキーとでも思っているのかも知れない。
時計を見ると、昼の二時を回っている。
自転車を玄関前に止めて、師匠は布袋を広子さんに押し付けた。「大広間に置いといて」そう頼むと、広子さんは「いいよう」とえっちらおっちら、それを手に提げて大広間の方へ向かう。
僕らはそれを尻目に二階の部屋に上がった。途中、「他の温泉に入りに行こう」と師匠が僕の方を振り返りながら言う。
「他のって、田中屋ですか」
「とりあえずお隣らしいから、そこかな」
「観光気分ですか」
自分でそう言った後、勘介さんが近くにいないかと首をすくめる。あの人は腹に一物を持ってそうだ。女将のやとった僕ら胡散臭い連中に対し、明らかに敵対心を抱いている。あまり不真面目そうな言動をしていると、いつか怒鳴りつけられそうな気がする。
「人聞きが悪いな。情報収集だよ。古参の温泉旅館は新参者の『とかの』を心良く思ってないはずだからな。その裏を取りがてら、例の噂のことについて訊き込むとしよう」
そうして着替えを持ち出し、玄関先に止めていた自転車に乗ろうとすると、楓が敷地の門のところに立っているのに気づいた。
「お出かけ?」
「あ、どうも」
昨日よりも大人びた感じの服装をしている。
「デートぉ?」
師匠がシナを作っていやらしく訊くと、楓は「そんなんじゃないですよ」と手を広げて左右に振る。
「和にぃが、翠ちゃんと昨日きょうだい喧嘩しちゃったらしくて、仲直りしたいから翠ちゃんの好きなスタンドランプをプレゼントしたいんですって」
そのスタンドランプをどう選んでいいか分からないので、買い物に付き合ってくれと言われたらしい。

479 :未 本編3 ラスト  ◆oJUBn2VTGE:2012/01/15(日) 00:14:24.67 ID:a2MmWsar0
僕と師匠は顔を見合わせた。それでか。喫茶店での和雄の様子を思い出して、笑ってしまいそうになる。
「あ、きた」
田舎道に控えめな排気音を響かせて、和雄のバイクが姿を現す。なんという車種か知らないが、黒っぽいレーシーなやつで、こうして走っているところを見ると、なかなか様になっていてカッコいい。
旅館の敷地に入り、僕らの前でバイクは止まった。
ヘルメットを取った和雄はすました顔で「昨日はどうも」と僕らにしゃあしゃあと挨拶をすると、座席下の収納スペースからもう一つヘルメットを取り出して楓に渡した。
「じゃあ、行ってきます」
ヘルメットを被りながら僕らに手を振って、楓はバイクの後ろに乗り込んだ。和雄はなにか確認するようにゆっくりと僕と師匠に頭を下げ、それからアクセルを踏んで颯爽と走り去っていった。
それを見送った後で、師匠がぼんやりと言う。「でかいバイクだなあ。ヘルメットが二個収納できるやつだぞ、あれ」
そんなことより、さっきのやりとりに和雄の必死さが伝わってきて、なんだかこっちが恥ずかしくなってしまった。どうやら喫茶店では妹の翠との口裏合わせの作戦会議に出くわしてしまったらしい。
妹をダシにしてデートの口実を作るとは、なりふり構わないというより、その生真面目さが垣間見えた気がして微笑ましかった。
「そんなあれこれ理由つけなくても、もっと強引で良いんじゃないかなあ」
昨日の夜のことを思い出してそう呟いたが、師匠は興味を失った様子で「さあ、行こう。早く汗を流したい」と急かし始めた。
確かにハイペースで自転車をこぎ続けていたので汗をかいたし、しばらく身体を動かさないでいると、寒さで急に服に染み込んだ水分が冷たくなっていく。
「いいですねえ」
僕は本心からそう言った。

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