スポンサーリンク

【師匠シリーズ】賭け

スポンサーリンク

331 :賭け ◆oJUBn2VTGE:2009/03/15(日) 22:02:45 ID:kR+moc+u0
極論だと、その時は感じなかった。毎度毎度、よく師匠の術中に陥るものだと、後にして思う。
「そうだ。だからさっきの問いは、『消滅を求めての自殺は、賭けとして合理的か否か』に置き換えられる」
その時、俺の目は、師匠の背後にいつの間にか現れた青白いものをとらえていた。
俺と向き合っている師匠の後ろには、薄暗い夜の道が延びている以外なにもないはずだったのに、明らかになにかゆらゆらと揺らめくものが存在している。
それが背中越しに見え隠れする。
心臓が冷たくなる。
心を不安にさせる気味の悪い耳鳴りが、頭の内側に響き始める。
師匠の後ろには、アスファルトの染みがあったはず。かすかに人型をしていたような、染みが。こちらを見ている師匠の耳の後ろに、うっすらとした男の顔が奇妙に歪んだままで揺れながら、ちらりと覗いた。
消滅を求めての自殺は、賭けとして合理的か否かなんて、理屈を捏ね回して考える必要なんてなかった。
俺が見ているものが賭けの結果そのものだからだ。
その中年男性に見える青白い顔は、しかし子どもが泣いているような表情を浮かべている。まるで凍りついたように。
そのアンバランスさがどうしようもなく冒涜的なものに思えて、恐怖心とともに生理的嫌悪感に襲われる。
師匠は後ろを振り返らない。
気づいていないはずはないのに。
また、口を開く。
「僕たちは、その問いの答えを、損得の理論によって導き出そうとはしない。何故なら、観察の結果がそれに代替するからだ」
師匠の顔の後ろに、泣き顔の男の顔が、凍りついたままで頼りなく揺れている。

332 :賭け ラスト ◆oJUBn2VTGE:2009/03/15(日) 22:04:41 ID:kR+moc+u0
「でも、僕たちはその観察の結果を正しく理解しているのだろうか」
気づいていないはずはないのに。
師匠は静かに言葉を紡ぐ。
俺はその声を、息をひそめて聴いている。
「最近、僕は疑うようになっている。『あれ』らは、僕たちが思うような、『僕らが死んだあとの続き』なんかではなく、僕らの想像の及ばない場所から、僕らのような姿形をしてやってくる、まったく別のなにかなのではないかと」
淡々とした声が風のない夜の空気に溶けていく。
その言葉は、いま目に映っている青白く虚ろなものに感じるよりも遥かに深い、原初的な恐怖心の眠る場所を撫でていった。

楽天ブックス
¥679 (2022/11/14 20:31時点 | 楽天市場調べ)
スポンサーリンク
タイトルとURLをコピーしました