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【師匠シリーズ】貯水池

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542 :貯水池  ◆oJUBn2VTGE:2007/09/26(水) 23:11:02 ID:gAYKdkL30
ウソと笑える神経が分からない。
服の内側、背中一面に泥がついている。
なぜ気づかなかったのか。
血の凍るような恐怖を感じながら、僕は背中に手をやって悶え続ける。
金属バットに足が当たって、ガランという音を立てる。
ウソだよウソ……
師匠の声が、ぐるぐると回る。
「このクソ女!」
確か、そう叫んだはずだ。その時の僕は。

師匠の、長い話が終わった。
大学1回生の冬の始めだった。
俺はオカルト道の師匠のアパートで、彼の思い出話を聞いていた。
「これがその時の、バットでついた傷。まったく、ただの泥にえらい醜態だった」
そう言って壁の削れたような跡を指さす。
俺はまるでデジャヴのような感覚を覚えていた。
「まるで今の俺みたいですね」
師匠も1回生の頃は、そんな情けない青年だったのか。
今からたった4,5年前の話なのに。
「情けなかったとも思わないけどなぁ。あの人みたいな化け物と一緒にされると、そう聞こえるかも知れないけど」
師匠の師匠、当時大学院生だったという女性は加奈子さんといったそうだ。
彼女がいなくなったあと、師匠は空き部屋になった彼女の部屋に移り住んだらしい。
つまり今のこの部屋だ。

544 :貯水池 ラスト  ◆oJUBn2VTGE:2007/09/26(水) 23:12:21 ID:gAYKdkL30
「でも、当時の家賃が1万円って、今より千円も高いじゃないですか」
値上げするならまだしも、値下げされるなんて、よっぽど酷い物件なのだろう。
「その加奈子さんって人は、今はどうしてるんです」
師匠は急に押し黙った。目が、昏い光を帯びてくる。
そしてゆっくりと口を開き、死んだ、と言った。
この部屋の家賃が、下げられた理由が分かった気がした。
けれど、いつどこで、どうしてということを続けては聞けなかった。
何事にも順序というものがあり、師匠が師匠になるまでにしかるべき段階があったように、一人の人間がこの世からいなくなるのにも、相応しい因果があるのだろう。
その彼女の死は、師匠の秘密の根幹ともいうべき暗部であるという、確信にも似た予感があった。
ただその時、彼女はまだ、少しはにかみながら師匠が語る思い出話の中で、不思議な躍動感とともに息づいていたのだった。

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