62 :ウニ ◆oJUBn2VTGE :2013/02/23(土) 23:26:56.27 ID:dTAVLjsO0
・A・ 次のお話はC82夏コミの同人誌に書いたものです。
多分、全五回です。
今夜は1回目だけです。
63 :心霊写真1 ◆oJUBn2VTGE :2013/02/23(土) 23:28:22.68 ID:dTAVLjsO0
『心霊写真』
師匠から聞いた話だ。
大学二回生の春だった。
僕はその日、バイト先である興信所に朝から呼ばれ、掃除と電話番をしていた。
掃除は鼻歌をうたっている間に終わり、あとは電話番という不確かな仕事だけが残った。
窓の方に目をやると、『小川調査事務所』と書いてあるシールがガラスに張り付いている。もちろん外から見てそう見えるように書いてあるので、こちら側からは左右が反転している。
何度目かの欠伸をした。
ぽかぽかした陽気に、昼前の気だるい気分。待てども一向に鳴らない電話。いったい自分がなにをしにここへ来ているのか、だんだんと分からなくなってくる。
デスクには僕の他に二人の人間が座っている。
一人はアルバイトの服部さんという二十代半ばの先輩で、この興信所では小川所長の右腕的な存在だ。
もう一人は同じくアルバイトの加奈子さんという、服部さんと同年輩の女性で、僕をこの興信所でバイトさせている張本人だった。
オカルト全般に強く、霊視のようなことも出来るので、この業界では『オバケ』と呼ばれる不可解な事案専門の調査員をしている。
僕のオカルト道の師匠でもあるところの彼女は、今日は非番だったはずだが、なぜかふらりと事務所に顔を出して、
「暇で楽なバイトだろう」と僕をからかっていたかと思うと、自分のデスクに腰を据えて読みかけの雑誌をつぶさに読み始めていた。
服部さんの方は、朝から市内で調査が入っていたはずなのだが、もう終わったのか、帰って来るなり無言で席に着き、それからずっとカタカタとワープロのキーを一定のリズムで叩き続けている。
小川所長からは、「留守電が壊れてるし、午前中誰もいなくなるから、頼むよ」と言われてやって来たのに、これでは電話番など必要なかったではないか。
そもそも電話の一本も掛かってこないのだ。
実に街は今日も平和だ。いいことだ。
探偵家業にはつらいことだろうが、僕には何の関係もなかった。
服部さんは無口で、話しかけられない限り自分から口を開くことはないし、いや、話しかけられても、なにもなかったかのように無視することさえあるし、
師匠の方は服部さんのことが嫌いらしく、一緒にいると同じように黙り込むことが多かった。
64 :心霊写真1 ◆oJUBn2VTGE:2013/02/23(土) 23:31:37.69 ID:dTAVLjsO0平和だ。
実に。
暇つぶしに自分の名刺でトランプタワーのようなものを拵えようと何度目かのチャレンジをしている時、何の前触れもなくドアが開いた。
「小川さん、いるか」
この陽気だというのに、季節はずれのコートを身に着けた三十歳前後の男が、戸口に立って荒い息をしている。
その様子に僕は違和感を覚える。
格好のことではない。確かにハンチング帽などかぶり、この部屋の誰よりも探偵じみた格好ではあったが、そのことではないのだ。
本当に何の前触れもなくドアは開いた。つまり階段を上ってくる足音がしなかった。この小川調査事務所の入る雑居ビルは、家賃相応の「たてつけ」をしているのに。
つまりそのたてつけを補って余りあるほど、完全に足音を殺していたということだ。
なのに、この目の前の男はまるで階段を二足飛ばしで駆け上がってきたばかりのように、苦しそうに肩で息をしている。この不一致が違和感の正体だった。
「所長は留守をしていますが」
僕がとっさにそう答えると、男は油断のない動きで室内に入り込み、デスクの影や来客用のパーティションの向こうに誰もいないことを確認すると、
それまで小刻みだった息をようやくひとつにまとめて、「そうか、留守か」と言った。落胆した様子だった。
「所長の友だちか。それとも小川調査事務所への用か」
加奈子さんが雑誌を置きながらそう訊ねると、男は「まぶしいな。ブラインドを閉めてくれ」と言って、顔をしかめて見せた。
いったいどこの地底から来た人間なのか分からないが、とりあえず言うとおりにすると、少し薄暗くなった室内で男は苦しそうに顔を歪めながら、
「小川さんに、田村が、いや田村の弟が会いたがっていると伝えてくれ」と言った。
そうして、「他の誰にもこのことを言うな。分かったな」と付け加えた。
余裕のない口ぶりだった。
「所長はどこに行けばあんたに会えるんだ」と加奈子さんが訊くと、男は顔を強張らせながら「いきつけのバーでもつくっておけばよかったな」と言ったあと、もごもごと口ごもり、
「やっぱり忘れてくれ。さっき言ったことも、全部だ。俺はここに来なかった」と宣言した。
そうして入ってきたばかりのドアの方へ向かおうとする。足を引きずっているように見えた。その靴の先が、赤い線を引いている。
血だ。
65 :心霊写真1 ◆oJUBn2VTGE:2013/02/23(土) 23:34:47.97 ID:dTAVLjsO0
そう思った瞬間、男はつんのめるようにして転がった。そうなる可能性のある電気コードはまだその先だというのに。
どすん、という音がする。
「おい、大丈夫か」
師匠が駆け寄る。
抱き起こそうとすると、男はうめき声を上げた。師匠はコートの裾をつかんで広げた。
シャツのわき腹のあたりに生地が切れた箇所があり、そこから血がにじみ出ていた。
「救急車」
師匠が端的に僕に指示を飛ばす。
すぐにデスクの上の電話に手を伸ばそうとしたが、「待て」という鋭い声に止められた。
「待ってくれ」男はコートで傷口を隠しながら言う。「救急車はだめだ」
「だめな救急車じゃないのを寄越すよう言ってやるよ」
「頼む」
血の気が失せて震えている唇で、男はそう懇願した。
師匠は返事の代わりに、「所長の友だちなのか、客なのか」とさっきと同じことを訊ねた。
「迷惑をかけてばかりだ。どっちでもない」
男は立ち上がろうとした。
「今、外へ出ると一階まで転がり落ちるぞ」師匠はそう言って僕に目配せをし、男をおしとどめる役をバトンタッチするや、デスクの受話器を取り上げた。
1・1・9
ではなかった。
もっと長い。市内局番から始まっている。
相手が電話に出た途端、師匠はいきなり声色を変えて喋り始めた。
「わたし。ごめん。ヘタうった。腹のあたり、ナイフで刺された。抜けてる。うん。はやく来て。お願い。救急車はだめ。絶対。友だちが間違って刺したから、事件にしたくない。ボストンの上の事務所」
受話器を置いた瞬間、さっきまでの苦しそうな声とは打って変わってあっけらかんとした声で言う。
「去年、市内の救急車の平均到着時間は七分半だったってよ。さあどのぐらいで来るでしょうか」
男はその師匠の様子を見ながら、ほっとしたように力を抜いた。その瞬間にまた痛みに襲われたのか、顔をしかめる。
66 :心霊写真1 ◆oJUBn2VTGE:2013/02/23(土) 23:38:58.75 ID:dTAVLjsO0
僕は来客用のソファに男の身体を横たえ、師匠の指示でそのまま湯を沸かしにかかる。
師匠の方は雑巾を片手にドアの外に出て、床を拭いている。どうやら男の血を拭き取っているらしい。そのまま下まで降りて、戻ってきた時、同時に階段を駆け上って来る足音が聞えてきた。
「ちょっと、大丈夫なの」
大きな救急箱を抱えた女性が事務所の中に飛び込んできた。年齢は五十歳くらい。肩と言わず、全身で息をしている。
その横で師匠が、パン、と顔の前で手のひらを打ち、「ごめん」と謝った。
事務所の時計の針を見ると、電話を切ってから十分あまりが経っていた。
◆
「ほんとごめん、って」
「話しかけないで。手元が狂うから」
女性は謝る、というより半ば邪魔している師匠をあしらいながら、テキパキとした動きで男の傷口を処置していった。
後で聞いたところによると、野村さん、という名前の看護婦らしい。以前ある病院に入院していた師匠の看護をして以来の腐れ縁で、今でも交流が続いているそうだ。
いつも無茶ばかりする、自分の娘のような年の師匠を心配してあれこれと世話をやいてくれるのを、当の師匠の方は狡猾に利用しているようだった。
夜勤明けのところを叩き起こされたことに目をつぶるとしても、今回の出来事はさすがに迷惑の度を越えていたのか、真っ青な顔をして、それでもするべきことはしてくれた。
男も無言でされるがままになっている。
応急処置を終え、肩をいからせながら野村さんは立ち上がった。
なにか説明をしようとする師匠の口をふさぐようにして捲くし立てる。
「なにも聞きたくない。どうせろくでもないことに決まってるから! 傷は深くない。血管をそれてて出血も多くない。この程度で貧血になるなんて、普段から栄養が足りてない証拠!
あと寝不足ならちゃんと寝なさい。以上!」
救急箱を乱暴に持ち上げて、野村さんはあっという間もなく、ドアの方へ向かった。
そしてくるりと振り返ると、「その傷は縫合がいるから、なるべく早く正規の手順で医者に掛かりなさい。あと、私はここに来なかった! いいわね」と言ってから、出て行った。
67 :心霊写真1 ◆oJUBn2VTGE:2013/02/23(土) 23:40:44.97 ID:dTAVLjsO0
野村看護婦が去って行った事務所のドアを見つめながら、師匠は苦笑して言った。
「やたらと人がここに来なかったことになるな」
そうして腹に包帯を巻かれた男を見る。
男の顔はうっすらと無精ひげが生え、目元にはクマがあった。腹の傷がなくても倒れそうなほど疲労しているように見えた。
それでも顔を上げ、僕らの方を見ながら口を開いた。
「小川さんのところの調査員か」
「バイトだよ。こいつはその助手」
「そうか」
ソファに身体を横たえたまま、男は天井を仰いだ。
「金じゃなく、人を使えるやつは、いい探偵だ」
ぼそりとそう言うのを無視して、師匠は男を詰問する。
「あんた所長の情報屋か」
それを聞いて、くっくっく、と男は笑う。
「ルポライターだ。売文屋と言ってもらってもいい」
「ようするに情報屋だろう。所長に用なら、出直したらどうだ。とっとと病院へ行け」
「小川さんには世話になったよ。いや、迷惑のかけどおしだった」
「迷惑だと思ってるなら、もう出てってくれないか」
「あの人は凄い探偵だ。あの人と、兄貴のコンビには誰もかなわかった。本当に。いつだってかっこよかった。高谷さんのお嬢さんが、あんなことになるまでは……」
男の言葉は途中からうわ言のようになり、だんだんと何を言っているのか分からなくなった。
ギシリ。
僕がデスクの椅子に腰掛けた瞬間、男の目が開いた。
「もう一人は?」
そう言いながら身を起こす。一瞬、痛そうなそぶり。
「もう一人の男は?」
繰り返して訊かれ、師匠は服部さんのいなくなったデスクに目をやる。
「面倒ごとの匂いを嗅ぎつけて、さっさと帰ったよ」
デスクの上には、完成した報告書の束があった。
「タレ込む気か」
男は唸るような声を出してソファから立ち上がった。
「おい。落ち着けよ。そんなわけないから」という師匠の声にも耳を貸さずに、男は喚く。
68 :心霊写真1 ◆oJUBn2VTGE:2013/02/23(土) 23:42:40.74 ID:dTAVLjsO0
「看護婦はいい。だが、あの男はだめだ」
「救急車の次くらいにか」
師匠の軽口に舌打ちをして、男は壁にかけておいたコートに手を伸ばす。
「興信所の人間は信用できん」
「こちら、良く分かってらっしゃる」
おほほ、と口元に手をやって笑う師匠を睨みつけると、男は手早くコートを身につけ、ハンチング帽を目深にかぶった。
「おっと、本当に礼も言わずに帰る気か」
師匠が行く手に立ちふさがる。
男はドン、と肩で師匠にぶつかりながら言った。
「ありがとよ、バイトのお嬢さん」
そうしてその脇をすり抜けながら、ふらつく足元のままドアの向こうへ消えて行った。
◆
そんなことがあった以外は、じつに平和に時間は過ぎた。僕と師匠はさっきの出来事をぽつぽつと話題にしながら、お茶などを飲んでいた。
やがて時計の針が正午を過ぎるころ、小川所長が帰ってきた。
「あれ、なにかあった?」
ネクタイを首から外しながら、ひくひくと鼻を動かしている。
そう言われて僕も真似をすると、消毒に使ったアルコールの匂いが部屋に残っていることが分かった。
「血の匂いがするよ」
それは気づかなかった。知っていたはずの僕でさえ。
師匠がさっきの出来事をかいつまんで説明する。所長は難しい顔をして聞いていた。
「田村か」
聞き終わったあと、ぼそりと言った。深い溜め息までついている。
「情報屋なのか」
師匠がそう訊くと、所長はあいまいに頷いた。
「七つ上の兄がいてな。その兄は優秀な情報屋だった。僕も色々と助けてもらったよ。だけど四年前に死んだんだ」
デスクの上に腰掛けながら、灰皿を引き寄せて煙草に火をつける。
「自動車事故だったな。確か。早すぎる。惜しい人を亡くした」
煙がわっかになって飛んでいく。
69 :心霊写真1 ◆oJUBn2VTGE:2013/02/23(土) 23:46:00.85 ID:dTAVLjsO0
「優秀な兄に憧れるばかりだった弟は、自分の中でその死を乗り越えられず、一番安直な道を選んだ。ようするに跡を継ごうと決意した。
努力は認めるよ。僕でもしり込みするようなトコロへ揚々と乗り込んでいく勇気も。だけどそれだけだった。
センスがないと言えばそれまでだが…… 首根っこ引っつかんででも、別の道を進ませる甲斐性が僕にあれば、今ごろはもっとまっとうな人間になっていただろうけど」
子どものことをさも知ったように語る保護者のような口ぶりだった。
なんだか掬われない気がして、僕は言ってやりたくなった。
『あの人は、ただ優秀な兄貴に憧れたんじゃなく、あなたと組んで輝いていた兄貴に憧れたんだ』と。
黙ったままじっと見ていると、小川所長は灰を落として僕らの方に顔を向けた。
「田村がどんな危ないヤマに首を突っ込んだのか知らないけど、君たちはもう関わるな」
言われなくても。
「薄暗いな」
所長がそう言って初めて、僕は窓のブラインドを下ろしたままだったのに気づいた。立ち上がろうとした時、電話が鳴った。
「はい、小川調査事務所」
所長が近くの受話器を取った。朝から電話番をしていて、今日初めての電話を僕は取れなかったことになる。
師匠もそう言いたげに笑っている。
「あ、これはどうも。え? そうですよ。今帰ったところです。怖いなあ。見てたんですか」
口調は軽いが、所長の言葉が緊張を帯びている。
それに気づいて僕は、虫の知らせのようなものを感じてギクリとした。
「田村? 知りませんねえ。ここしばらくは見てないですよ。あいつなにかやったんですか」
所長はそう言いながら、電話機を持ち上げてスルスルとケーブルを引きずりながら窓際に向かった。
「え? ですから見ませんって。本当です。匿うって、そんな、松浦さん」
所長はブラインドを上げて、窓をそっとすかせた。
気持ちのよい風が、アルコールや血の匂いの充満した室内に入り込んでくる。竿竹売りの声が聞える。