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【師匠シリーズ】怪物 「転」

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51 :怪物   ◆oJUBn2VTGE:2008/07/21(月) 01:29:45 ID:qlom6ToI0
もう一つ重要なことがある。
「怖い夢」を見ていたという漠然とした認識があった子もいれば、そんな認識がない子もいる。
そして認識があった子の中でも、昨日の木曜日から夢を覚えている子もいれば、今朝初めて覚えていたという子もいるし、そしてまだ「なんか怖い夢を見たけど忘れちゃった」という子もいるのだ。
この個人差が、あるいは霊感と呼ばれるものの差なのかも知れない。
けれど何故か単純にそう思えないのだ。
その”霊感”が影響しているのも間違いないだろう。
でも、ここにはなにか別の要素があるように思えてならない。
私は鞄から、折り畳んで突っ込んでおいた市内の地図を取り出す。
そして一昨日から起こっている様々な怪現象の出現ポイントを地図上にオレンジ色のマーカーで落としていく。
昨日一日にも色々と起こっていたらしい。
これまでの休み時間に恥も外聞もなく掻き集めた情報だけでもかなりの数の異変が確認できる。
風もない緑道公園の上空を、大きな毛布がふわふわとゆっくり飛んでいたかと思うと急に落下して川に落ちたという事件。
資格試験のための予備校で、講師のマイクが原因不明の唸り声を拾ってしまい授業にならなかったという事件。
住宅街の電信柱が、誰も気づかない内に引き抜かれ、その場でコンクリート塀に立てかけられていたという事件。
こんな奇妙な出来事が頻発しているというのだ。
なかにはただの思い違いや、誰かのイタズラが混じっているかも知れない。
でもひとつひとつに取材をして確認していく余裕はない。
私はとにかくそうした情報があった場所を地図に書き入れ続けた。
「出来た」
顔をノートから離し、俯瞰して見る。
点在するオレンジ色。
一見なんの法則もないように見えるそれを慎重に指で追う。
一番右端、つまり東の端にある点にシャーペンの芯を立て、その左斜め上にある点まで線を引く。
そのままスムーズに伸ばすと次の点がある。
紙を滑るシャーペンの音。

53 :怪物   ◆oJUBn2VTGE:2008/07/21(月) 01:32:14 ID:qlom6ToI0
そうして地図上の一番外側のオレンジ色を結んでいくと、そこには少しいびつな格好の「円」が現れた。
他のオレンジ色はすべてその内側にある。
想像が現実になっていくことにゾクゾクする。
次に私は家から持って来た同級生の住所録を鞄から取り出す。
まさかと思いながらも昨日立てた仮説に役立つかも知れないと用意したのだが、さっそく使う場面が来た。
初めて開く住所録を片手に、今日聞いた「怖い夢」を見ていたという子の家がある辺りを、ひとつひとつ蛍光ペンで塗っていく。
木曜日に見た子。金曜日に見た子。そしてまだ内容を思い出せない子。
それぞれ赤、青、緑の3つの色を使って塗り分ける。
それらの色とオレンジ色との関連性は見つけられない。
接近しているのもあれば、全く離れているものもある。
オレンジの円の外側に位置しているもさえある。
けれど赤、青、緑には明らかに相関性があった。
赤が最も円の中心に近く、青、緑の順にそこから離れていっている。
早い時期に夢を思い出せた人ほど、円の中心に近い場所に住んでいるのだ。
ふぅ、と息をついてペンを置く。
昨日、ポルターガイスト現象についての本を読みながら私は考えていた。
もし仮に、街中で起きた怪現象がそれぞれ個別の現象でないとしたら。
もし仮に、この怪現象の焦点となっているのがたった一人の人間だとしたら。
もし仮に、通常、閉鎖的な家屋の中でしか影響を及ぼさないはずのポルターガイスト現象が、壁を越えて屋外までその力を及ぼしているのだとしたら。
そしてもし仮に、ポルターガイスト現象の正体が、RSPK、反復性偶発性念力による無意識の自己顕示性と暴力性の発露だとしたならば……
とんでもない力だ。
そら恐ろしくなるような。
市内全域のほぼ半分をその影響下に置いてしまっているなんて。
寒気が頭の芯にまで這い上がってくる。
『エキドナを探せ』
間崎京子の声が脳裏を掠める。

54 :怪物   ◆oJUBn2VTGE:2008/07/21(月) 01:35:43 ID:qlom6ToI0
怪現象を怪物になぞらえたあの女は、非常階段で話をした昨日のあの時点で、今の私と同じ推論に達していたのだろうか。
(まさかあいつが)と思ったが、住所録に載っている間崎京子の住所は市内の外れにあり、オレンジの円の外側に位置している。
違うな。あいつは違う。
なにより「怖い夢」との整合性が取れない。
恐らく、想像に想像を、いや妄想を重ねているが、「怖い夢」を見ている主体こそがエキドナなのだろう。
彼女が見ている夢が目に見えない霧のように夜の街に漏れ出て、それを眠っている私たちの脳のどこかがキャッチする。
そしてまるで自分のことのように、悪夢としてそれが再生される。
その漏れ出る夢が急に強くなり、影響する半径を広げている。
そのタイミングは怪現象が街に噴出し始めたのとほぼ同じだ。
私は地図に目を落とし、赤、青、緑の順に外へ広がっていく点を見つめる。
夜毎に蓄積されていく身に覚えのない母親への憎悪。
そしてその悪意が、殺意に変わったとき、一体なにが起こるのか。
母親の首筋から吹き出す鮮血の記憶。
危険だ。
以前から漠然と感じていた不安などより、はるかに。
そして多分エキドナは小さな子どもだ。
ドアのチェーンを外すために背伸びをしているから。
彼女はなんらかの理由で母親を憎み、その状況を打破できないでいる。
そのストレスがポルターガイスト現象の原因となっている。
彼女?
そこまで考えて、ふと引っ掛かるものを感じた。
自然と浮かんだ三人称だったが、これはギリシャ神話に出てくる怪物エキドナが女だったからだろうか。
いや、私は”なった”から分かるんだと思う。
夢の中で、暗い部屋に一人で母親を待っている子どもは女の子だ。
その子は、今もそこにいるのかも知れない。


57 :怪物   ◆oJUBn2VTGE:2008/07/21(月) 01:38:06 ID:qlom6ToI0
(見つけたい)
そう思った。
見つけたとしても、救えるとは思わない。
私もただの高校生1年生にすぎないのだから。
(でも見つけたい)
イタズラにせよ、RSPKにせよ、ポルターガイスト現象の焦点になっているティーンエイジャーたちの心の叫びは、たぶん一つだ。
『ぼくを見て』『わたしに気づいて』
そんな声にならない声が世界には満ちている。
急に悲しい気持ちが胸にあふれてきて、思わず席を立った。
教室では、昼のお弁当を食べ終わったクラスメートたちがそれぞれの群れを作っておしゃべりに興じている。
誰も私を見ていない。
群れを避けるように一人でトイレに向かう。
分かっている。
クラスメートたちとの間に壁を作っているのは私自身だ。
でも誰もその内側に入れたくない。
一人でいる限り、誰にも裏切られない。
廊下を歩く上履きの音。
後ろからついて来ているもう一つの音に振り返る。
「高野さん」
高野志穂はその呼び掛けにビクリとして立ち止まった。
同じような光景を最近見た気がする。
軽いデジャヴ。
「なにか用?」
つっけんどんな口調で問うと、彼女は「いや、あ、別に」と言って口ごもってしまう。
それでも顔をスッと上げたかと思うと、「最近、少しおかしいよね」と言った。
おかしいとも。
クラスの連中のように噂話がしたいんなら、他を当たってくれ。
そんな意味の言葉を口にすると、彼女は手のひらをこちらに向けて振りながら言う。
「あ、そうじゃなくて、山中さんが。なんていうか。いつもはもっと、周りに興味がないっていうか。昨日もだけど、今日も他のコに話し掛けてたし」

58 :怪物   ◆oJUBn2VTGE:2008/07/21(月) 01:39:57 ID:qlom6ToI0
イラッとした。
そんなこと、こいつになんの関係があるんだ。
私の表情に苛立ちを読み取ったのか高野志穂は「ゴメン」と頭を下げ、それでも意を決したような顔で続けた。
「山中さん、なにか背負い込んでるように見えるから。もし手伝えることがあったら、手伝うよ」
そう言ったあと、彼女はもう一度「ゴメン」と頭を下げて、踵を返そうとした。
その瞬間、デジャヴの正体が急に分かった。
あのときも高野志穂は廊下で私に話し掛けてきた。
そして『私も見たよ。怖い夢。……山中さん。ちょっと占ってくれないかな』と言った。
あれはいつだった? クラスメートが「思い出せない怖い夢」について話しているのを初めて聞いた時だ。
水曜日? いや、水曜日は学校を抜け出して石の雨の現場を見た日だ。ということはその前。火曜日だ。
私の中で、微かに感じていた引っ掛かりが急に膨らんでいく。
高野志穂は占って欲しいと私に頼んだ。何を? 当然夢のことだ。
そして、その時点で彼女は私にトランプだかタロットだかで占ってもらうだけの”材料”を持っていたことになる。
「高野さん、お母さんを殺す夢を見た?」
高野志穂は驚いた顔をしたあと、コクリと頷く。
「火曜日の朝が初めて?」
彼女は少し首を捻り、思い出す素振りをしたあとで口を開いた。
「月曜日」
それを聞いた瞬間、私は唾を飲んだ。
みんなより、そして私より、3日も早い。
私が初めて夢を覚えていたのが木曜日の朝なのだから。
「来て」
と言って私は彼女の手を取り、教室に引き返した。

60 :怪物 「転」 ラスト   ◆oJUBn2VTGE:2008/07/21(月) 01:42:23 ID:qlom6ToI0
彼女は「え? え?」と戸惑いながらもついてくる。
教室の中に入り、私の机の中から市内の地図を取り出して広げる。
「あなたの家はどの辺?」
やけにカラフルになった地図を前にして高野志穂は少し躊躇する様子を見せたが、私の顔を伺ってから人差し指をそっと下ろす。
オレンジの点で出来たいびつな円のほぼ中心を指している。
円は怪現象の目撃ポイントで構成されているけれど、サンプルが少なすぎるために正確な円を作れていなかった。
所詮クラスメートの噂話だけで集めた情報なのだ。
たまたま知らなかっただけの怪現象がもし円周の外側に付近にあったとすると、それだけで円の形が変わり、その中心のズレてしまう。
中心にこそエキドナがいるはずなのに。
だがこれでその中心の位置がほぼ判明した。
高野志穂の月曜日というのは”早すぎる”。
だから彼女は中心から極めて近い地域に住んでいる。間違いない。
大雑把に引いた円周の線からも、ほとんど矛盾がない。
そこにあるのは、急激に「怖い夢」と怪現象が影響を拡大していく前の、小さな円だ。
スッと彼女の指先の下にボールペンで丸をつけた。
エキドナはそこにいる。
怪物たちの小さなマリアが。
今も暗い部屋にうずくまって。
私は微笑みを浮かべようとして、それに少し失敗して、それでもなんとか笑って、言葉を乗せた。
「助かった。……ありがとう」
高野志穂は、よく分からないままに礼を言われたことに不思議な顔をしながらも、嬉しそうに「うん」と言った。

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