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【師匠シリーズ】天使

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694 :天使   ◆oJUBn2VTGE:2008/04/30(水) 22:10:50 ID:NrJoj9WI0
「石川さん」
と呼ぶと、向こうでも私と認めたらしく笑顔でドアの所までやってきた。
「ちひろちゃん、どうしたの」
同じ中学だった子だ。
それほど親しかったわけでもないけれど、このさい縁にすがらせてもらおう。
「間崎さんはこのクラスだよね」
石川さんは一瞬表情を硬くした。
そして声を潜めて言う。
「そう。だけどさっき早退したよ」
肩を叩かれ、誘導されるままに廊下の隅に身を寄せた。
リノリウムの床がキュッキュッと鳴る。
「あのさ。島崎いずみさんのことだよね」
驚きながらも頷いた。
どうやら噂はこんな遠くの教室まで短時間に飛び火していたらしい。
石川さんの話によると、島崎いずみは本当に間崎京子の所へ時々来ていたらしい。
そして教室の一番奥の席でなにごとか語り合っていたそうだ。
間崎京子の所には彼女だけじゃなく、他にも数人の女子がまるで女王を慕うように出入りしていたとのことだった。
「間崎さんってさ、なんていうか人の心を見透かしてるみたいな冷たい目をするのよね。凄い美人だからそれが余計凄みがあるっていうか。怖いくらい。話してみても、時々意味わかんないこと言うし。クラスのみんなは彼女を警戒して避けてるって感じかな」
私の第一印象と同じだ。
彼女には気を許せない雰囲気がある。

695 :天使   ◆oJUBn2VTGE:2008/04/30(水) 22:12:17 ID:NrJoj9WI0
「こないだなんてさ、それこそ島崎さんと二人で向かい合ってさ。なんか机の上にトランプみたいなカードを並べてるの。なんかね、『土』って字の形に。気持ち悪かった」
なんだろう。
間崎京子がよくしているという占いの一種だろうか。
「島崎さんはなにをしにきていたんだろう」
石川さんは首を振って、「わかんない」と言った。
「ただね、その時間崎さんがなにかを言って、島崎さんが泣いてたみたい」
そんなことがあったから石川さんは、島崎さんが自殺未遂したという話を聞いて間崎京子にカマをかけてみたのだそうだ。
「どうして島崎さんが自殺なんかしたんだろうね。間崎さん知らない?」と。
「どう答えたんだ?」
知らず知らずにトーンが高くなってしまう。
「それが……」
石川さんは首を捻りながら、思い出すように言った。
「たしか、オリンピック精神ね、みたいなことを言ってた」
オリンピック精神?
とっさに意味が分からない。
なるほど、こういう突飛なことを言うから気味悪がられているのか。
ドアの方から「七瀬ぇ~」という声がして、その呼びかけに応えてから石川さんは「じゃ、またね」と言って教室に戻っていった。
残された私はしばらくその場で考え込んでいた。
『土』の形に並べられたカード。
自殺未遂をした島崎いずみと、その彼女が慕っていたという間崎京子。
そして”オリンピック精神”という言葉。

696 :天使   ◆oJUBn2VTGE:2008/04/30(水) 22:15:53 ID:NrJoj9WI0
それぞれのパーツがバラバラに飛び回り、考えがまとまらない。
休み時間の終わりを告げるチャイムが鳴り、背中を押されるように自分の教室へ足を向ける。
席に戻るとヨーコが「どこ行ってたの」と囁いてくる。
「ん、ちょっと」と、別に隠す必要もない気がしたが、なんとなくはぐらかした。
自分でも気づかないうちに、この一連の出来事からなにか危険な匂いを感じ取っていたのかも知れない。
「奥! どこ見てる」という教師の声にヨーコは舌を出して授業を受ける姿勢に戻った。
その現代国語の時間中、私はノートをとることも忘れて考えていた。
占いをするという間崎京子の所へ、クラスで肩身の狭い思いをしていた島崎いずみが行ってなにをしていたのか。
恐らく、自分の立場、居場所に関する悩み事の相談だろう。
そしてそれを受けて、間崎京子がしたことは『土』の形にトランプのようなカードを並べること…… トランプではないのだ。
トランプのような見た目で、かつ印刷されている内容が違うもの。
そして占いに使うとなれば、あれしかない。
タロットカードだ。
そこまで考えて、何故すぐに気づかなかったのかと自分のバカさ加減を悔やんだ。
タロットカードは質問に対し、出たカードのパターンによって回答をする古典的な占いだ。
例外もあるが、大抵は22枚の大アルカナと呼ばれるカードのみか、もしくはそれに56枚の小アルカナと呼ばれるカードを加えた78枚のデックで行う。
そのデックから質問に対する回答のためにカードを選ぶ方法だが、これが様々あって、ある意味タロットカードの奥深さを表す醍醐味と言える。

697 :天使   ◆oJUBn2VTGE:2008/04/30(水) 22:19:04 ID:NrJoj9WI0
その選び方のことをカードを並べる展開法、『スプレッド』と言い、それぞれ並べる枚数も違えば並べ方によるカードの意味も違ってくる。
そしてそのスプレッドのなかで、『土』の形と結びつくものがあった。(ケルト十字か……)
オーソドックスなスプレッドで、10枚のカードを並べるのだが、最後まで並べると『十|』という十字架の右隣に縦棒を置いたような形になるのだ。
それは時計回りに90度倒すとそのまま『土』という漢字に見える。
私は授業が終わるとすぐに教室を出て、もう一度間崎京子の教室へ向かった。
タロットカードならば自分もよく知っている。
そこからなにかヒントがつかめるのではないかと思ったのだ。
「石川さん」
昼休みのお弁当のために机を並び替えようとしていた石川さんは、驚いた顔でこちらを見た。
それでも迷惑そうなそぶりも見せずに、仲間たちを置いて教室から出てきてくれた。
「タロットカード」という言葉を出してもピンとこなかった彼女に、なんとかその時のことを思い出して欲しいと畳み掛ける。
「え~と、確か太陽のカードがあったかな。それからあとは、あれ、剣が刺さって倒れちゃってる人のカード。う~ん、あとは覚えてない。そんなマジマジ見てたわけじゃないし」
剣が刺さった男?!
私は息をのんだ。
「それ、『土』のどの部分にあった? それからどっちの方向にむいてた? 剣の柄は間崎さんから見てどっちだった?」


698 :天使   ◆oJUBn2VTGE:2008/04/30(水) 22:23:08 ID:NrJoj9WI0
石川さんは暫く考えたあと、確か……と前置きしてから答えた。
「端っこだったから、『土』の最後の止めの部分かな。柄の向きは、あんまり自信ないけど私の方に向いてたと思うから、間崎さんから見たら剣の先が正面になるのかな」
石川さんはそれがどうしたのと怪訝そうな顔で私を見つめる。
剣が刺さった男は、小アルカナの剣の10。
そして間崎京子に切っ先が向いていたということは”正位置”。
最悪のカードだ。
個人的には『塔』の正位置よりも不吉な感じのするカードだった。
そして『土』の止めの部分ということは、ケルト十字における「最終結果」を表すカード。
私は心臓が高鳴りはじめたのを感じていた。
剣の10が暗示するものは、《破滅》《決定的な敗北》《希望の喪失》《さらなる苦しみ》……
間崎京子はその最終結果を島崎いずみに飾ることなく告げたのだろう。
そして彼女は泣いた。
悩み事に対する答えとして、この仕打ちはあんまりだった。
それが良いとこ取りばかりをしない、占いのあるべき姿だとしても。
ましてそれが、島崎いずみ自身の運命だったとしても。
私は誰に向けるべきなのかも分からない波立つような怒りが身の内に湧いて来るのを感じていた。
私の様子を不審げに見ていた石川さんが、「もう教室に戻るけど」と言うのを制して、これが最後だからと、『太陽』のカードの位置を聞いた。
「確か、真ん中のへん。ごめん、ホント忘れた。え? 向き? 太陽に向きなんてあるの?」

699 :天使   ◆oJUBn2VTGE:2008/04/30(水) 22:26:28 ID:NrJoj9WI0
聞き出せたのはそこまでだった。
礼を言って、教室の前から立ち去る。
彼女はきっとこれから昼ごはんを一緒に食べる仲間たちと私の噂話をするのだろう。
なんか、気持ち悪いよね。
占いとかしてる人って。
石川さんも占いばかりしていた中学時代の私に、後ろ指をさしていた一人だったはずだ。
胸の中に渦巻く怒りと微かな棘の痛みが私の心を揺さぶり、平常な精神でいられなくした。
私は教室に戻らず、昼ごはんも食べないまま校舎裏の秘密の場所で時間が過ぎるのを待った。
結局数行読んだだけで捨てたあのラブレターには校内で見かけたという私の容姿のことばかり並んでいた。
差出人もこんな私の本性を知れば出すのを止めただろうか。
煙草の吸殻が何本足元に落ちても、誰も来なかった。
風が遠くの喧騒を運んで来る。
すこしずつ、身体の中に硬い殻が形成されるようなイメージ。
誰も傷つけない。
誰からも傷つけられない。
空は高かったけれど、まがい物のような青だった。
4日後、あの日早退して以来休んでいた高野志穂がようやく登校してきた。
青白い顔をして、緊張気味に唇を固く引き結んだまま誰とも挨拶を交わそうとしない。
気がついていなかっただけで、あるいは彼女はいつもそうだったのかも知れない。
周りのクラスメートたちは、遠巻きに、そして腫れ物に触るように接していた。
彼女たちにとって、島崎いずみと高野志穂は区別のない同じ存在なのだろう。
島崎いずみはまだ学校に来ない。
退院したという噂は聞いたが、今も家に閉じこもっているのだろうか。

700 :天使   ◆oJUBn2VTGE:2008/04/30(水) 22:28:29 ID:NrJoj9WI0
学校はまったく自殺未遂のことに触れようとしない。
私たちがしている噂話を漏れ聞いていないはずはないのに。
あるいは学校との関わりが確認されない限り、無視を決め込んでいるのかも知れない。
けれど私はどうしてもこのままにはしておけなかった。
高野志穂に話しかけたくてうずうずしていた。
その気持ちを見透かされたのか、ヨーコが眉を寄せて私を見る。
「ちょっとちひろ。なんか嗅ぎまわってるみたいだけど、やめときなよ。こんなことに関わらない方がいいよ」
面と向かってそう言われると、確かにそうだという良識が私の中で頷く。
この数日で、かなりのことが分かっていた。
同じ中学で、二人とも苛めを受けていたこと。
そして今の学校での、そしてクラスでの立場。
これ以上何を知っても不快なだけだ。
私自身クラスで浮いている身であり、その私がなにか出来ることなどないし、なにより面倒くさい、どうでもいいという投げやりな気持ちの方が強かった。
休み時間にも俯いて机の上に広げたノートをじっと見ている高野志穂の姿に、好奇心以外の気持ちが湧かない自分に気づく。
彼女はしきりに顔の絆創膏を気にして触っている。
このあいだよりまた増えていた。
その様子を見ていて、オリンピック精神という言葉が一瞬頭をよぎる。
これだけは意味が分からない。
この一連の出来事にそぐわない響きだ。
間崎京子は一体なにを思ってそんなことを言ったのか。
あれから何度かあの教室を覗いたが、彼女はすでに早退した後か休みかのどちらかで、結局会えなかった。
もともと休みがちだったというが、これはどういうことなのか。
透けるような色白で、スラリと伸びた細すぎる身体に病弱そうな雰囲気は感じ取ったが……
ともあれ、オリンピック精神と聞けば「参加することに意義がある」とかいう陳腐なフレーズしか浮かばない。
それが自殺未遂にどう繋がるのだろう。

701 :天使   ◆oJUBn2VTGE:2008/04/30(水) 22:31:38 ID:NrJoj9WI0
高野志穂が在籍しているというバレー部となにか関係があるのだろうか。
そう言えば、島崎いずみの方はいわゆる帰宅部で、中学時代からなんのクラブ活動もしていなかったらしい。
毎日の放課後、バレー部の練習のために学校に残る高野志穂と別れ、寂しそうに一人で帰る姿をいつも目撃されている。
「オリンピック精神」
小さく口にしても、真実に迫るようなインスピレーションはなにも湧いてこない。
自殺未遂にはそぐわない、健康的なイメージばかりが浮かんでは消える。
そう言えば、間崎京子はなにかクラブ活動をしているのだろうか。
そう思った時、横からヨーコに小突かれた。
「ちょっと、ちひろ。重症ね。もうそんなこと忘れてパーッといきましょう。今日、放課後、私と遊ぶ、OK?」
ヨーコはすっかりいつもの調子だった。
苦笑して、頷いた。
背中に高野志穂の怯えたような視線を微かに感じながら。
「ねこがフェンスでふにゃふにゃふにゃ~」
というヨーコのでたらめな歌を聴きながら空き地の金網のそばを歩く。
「トムキャットのフェンスって、良い曲だよ。でもカラオケに入ってないんだよね」
くるりと振り向いたかと思うと、そう訴える。
ヨーコはいつも唐突だ。
一緒にいると疲れることもあるが、いつも楽しげな彼女を見ているとこちらも元気づけられる。
「そうそう、最近オープンしたおしゃれな喫茶店が近くにあるんだけど行かない?」
連れられるまま5分ほど歩くと、古着屋やレコードショップなどカラフルな外観の店が立ち並ぶ通りに目的の喫茶店が現れた。
さすがに真新しく清潔感のある店先だ。

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