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【師匠シリーズ】エレベーター

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202 :エレベーター  ◆oJUBn2VTGE:2008/02/11(月) 23:56:58 ID:sx6grxVr0
「知らない住人とさ、エレベーターに乗り合わせたら凄く息が詰まるよ。デパートのエレベーターならそれほどでもないのに」
顔を上げると、日が落ちて薄闇が降りてきたマンションの中へ、顔も見えない誰かの後ろ姿が吸い込まれていくところだった。
キイキイという音だけが響く。
匿名だ。何もかもが匿名だ。
匿名のままこの巨大な構造物の中を無数の人々が影のように蠢いている。
そうして、小一時間無為にブランコを漕いでいた俺たちだったが、あたりがすっかり暗くなり小腹も空いてきたのでもう帰ろうと腰を浮かしかけた時だった。
PHSに着信があり、出てみると俺にくだんの「目に見えないジョーカー」の忠告をした人からだった。
俺のオカルト道の師匠だ。
明後日行く予定の心霊スポットについての確認の電話だったが、俺はついでとばかり今居る場所とそのマンションのエレベーターについての噂を知らないかと聞いてみた。
「知らない」
そんなに期待した訳ではないが、地元民でもないのにやたらとこういう話を仕入れている彼ならばひょっとして、と思ったのだ。
やっぱりね、というニュアンスの言葉で切ろうとしたのが気に障ったのか、詳しく話せという。
そこで俺は、友人の体験したいくつかの例や、今日あったことなどを手短に告げた。
師匠は少しの間押し黙ったあと、「そのエレベーターのところで待ってて」と言って電話を一方的に切ってしまった。
何か分かったのだろうか?
電灯に照らされたマンションの入り口へ歩く。
「何? 誰?」と訊く友人に、「サークルの先輩」とだけ説明して、かわす。
彼が何者かなんて、俺だって知りたいのだ。

205 :エレベーター  ◆oJUBn2VTGE:2008/02/12(火) 00:05:31 ID:FukvotX90
コツンと靴の音が響く。
エレベーターの前に立つと不思議な感じがした。
マンションという匿名の箱の中のさらに匿名の空間。
今閉じているこの扉の向こうに誰がいるのか俺は知らない。
階数表示の光だけだ流れ、人の動きを想像する。
そこには本当に人がいるのか俺には分からない。
いや、分からなくなった。
顔の無い幻影が彷徨うイメージが一人歩きしはじめた。
PHSの着信音に我に返る。
等間隔に伸びる天井の電灯が通路を照らしている。
「お待たせ。色々書いてある表示盤は外にある? なかったら中に入って」
言われるまま、友人を促してエレベーターの中に入る。
「操作盤の中か、近くになんか色々書いてるシールかプレートがあるだろう。メーカー名はなんて書いてある?」
閉じそうになった扉を手でガードして、”開”ボタンを友人に押していてもらう。
「えーと、外国製っぽいです。どれがメーカー名だろ……」
どうやらこれらしいという文字を見つけて読み上げる。
師匠は電話口で笑いを堪えているような音を立てた。
「OK。じゃあもう一人の友だちに3階に行ってもらって」
師匠はいくつか指示を飛ばしてから、電話を切った。
俺たちは何が起こるんだろうという不安な気持ちで、それでも言うとおりにする。
1階に俺。3階に友人という布陣でそれぞれエレベーターの前の立った。
そして1階からエレベーターの中に乗り込んだ俺は、指示された通り、中の操作盤で5階と”閉”のボタンを2本の指で同時に押した。
それから通話中にしていたPHSで友人に「押した。そっちも押して」と言う。
打ち合わせ通り、友人も3階で下向き矢印のボタンを押したはずだ。
ほどなくして扉が閉まり始める。
向こうの壁の模様がやっぱり何かの顔に見えた。
シミュラクラ現象、シミュラクラ現象と、最近知ったばかりの心理学用語をお経のように頭の中で唱える。


206 :エレベーター  ◆oJUBn2VTGE:2008/02/12(火) 00:06:56 ID:FukvotX90
ゆったりと箱が上昇する感覚があり、すぐに3階で停止するはずと身構える。
しかし箱は3階では止まらず、5階のランプがついたところで静止し、扉が開いた。
夜風が侵入してくる。
外には誰もいなかった。
足を踏み出し、呆けたままの俺の残して背後で扉が閉じた。
階段を駆け上ってきた友人が、軽く息を切らせて通路の端から飛び出てくる。
「何だ今の。なんで通り過ぎるんだ」
「そっちこそ、ちゃんと3階でボタン押した?」
「押した。矢印のランプの点灯してたし」
まるきり友人が体験してきた怪現象の再現だ。
師匠から着信。
「ナンですかコレ」
声が上ずる俺に、師匠はバカバカしい、というような口調で「急行モード」と言った。
「外国製のエレベーターの中にはあるんだよ。こういう裏コマンドが」
このメーカーの物は”閉”ボタンと目的階ボタンを同時押しすることで、その後どこの階で呼び出しボタンが押されてもすべてキャンセルされるのだそうだ。
現在の階数表示を見上げると5階のままだ。
この扉の向こうにまだ箱はある。
友人が3階で押した呼び出しボタンは無視されているのだ。
「ということは……」
「そう、そのマンションの連中はそれを知ってて普段から使ってるってこと」
そう言ってから、最後に「明後日遅れんなよ」と付け加えて師匠は電話を切った。
俺は今日あったことを思い浮かべる。
荷物を友人の部屋に置いて4階から下に降りようとした時、上の方の階から箱が下りてきたのに、4階を素通りして1階まで行って止まった。
あの時、一緒にいた主婦は舌打ちをしていた。
あれは急行モードを使った誰かに舌打ちをしていたのだ。

208 :エレベーター ラスト  ◆oJUBn2VTGE:2008/02/12(火) 00:10:59 ID:FukvotX90
友人が先日、その主婦と乗り合わせた時、その時も彼女は舌打ちをしたという。
それは他人が一緒に乗ったことで急行モードが使えなかったことに対するイラ立ちだったのだろうか。
友人が体験したことを一つ一つ検証しても、すべてこの急行モードの存在で説明がつくようだ。
あっけなく解決してしまった「怪現象」の正体に俺たちは拍子抜けして立ち尽くしていた。
目に見えない扉の向こうに怯えていたのが馬鹿らしくなってくる。
あの子どもたちも知っていたのだろうか。
道理で話に乗ってこないはずだ。
きっと親から秘密にするように言われているに違いない。
これ以上急行モードを知る人が増えないように。
そうだ。
自分だけ知っていればいいんだ。
他人が使う急行モードは迷惑なだけなのだから。
「オレ、やっぱり怖いよ」
友人がぽつりと言った。
他人を待たせても自分が便利ならそれでいいと思うその心理に、俺も背筋が寒くなる思いがした。
きっとそれは匿名だから。
エレベーターの前で待ちぼうけを食わされる人が匿名だからだ。
誰だか知らない人を待たせる悪意。
誰だが知らない人に苛立つ悪意。
そんなささやかな悪意がこのマンションに充満して、それが俺たちの心をどうしようもなく暗く沈ませるのだった。
友人は2回生にあがる時、そのマンションから2階建てのアパートに引っ越した。
それまでの間、彼は階段しか使わなかったそうだ。

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