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【師匠シリーズ】心霊写真2

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106 :心霊写真2  ◆oJUBn2VTGE:2013/03/02(土) 00:12:34.86 ID:v75nDQty0
『老人』が中央なのは当然として、その左右につくのが大尉である岩川と早田。ここまでは分かる。
しかし彼ら二人よりも早く大尉に昇進し、メンバーの精神的支柱でもあった正岡哲夫がこんな左の隅に座っているなんてありえないことだった。彼が、その場に本当にいたのならば。
「この左隅の人物は本当にその正岡哲夫なのか」
「少なくとも資料に残る正岡大尉の写真に極めて似ています」
松浦は研究本の頁を開いてこちらに見せた。
そこに出ている正岡の顔は、確かに目の前の写真の人物と瓜二つだった。
「仲間だったという証言があり、現にこれだけ似ているのです。正岡大尉ではなく、別人である可能性は低いでしょう」
師匠は小さく唸った。そして「その、正岡の死亡時期と岩川たちの大尉昇進時期の信憑性は?」と、さらに確認する。
「弁護士先生がその齟齬に気づきましてね、それが事実ならばこの写真の持つ意味が根底から崩れてしまう。最優先で裏を取りましたよ。
いずれも軍の記録にはっきりと残っています。結論として、正岡の死亡は38年6月。岩川、早田の大尉昇進は同年8月で間違いありません」
「だったらこいつは」と言いながら師匠は写真の顔のあたりを小突いた。「その幽霊ってわけかい」
「それを調べるのが、私の依頼する、あなたの仕事です」
心霊写真の鑑定をしろというのか。これほど大変な事件に関わることに、そんな胡散臭いことを絡めていいのか、という至極当然の思いが湧いた。
しかし、死んでいて、もういないはずの男が写っているなんていう怪しい写真が、この歴史的スキャンダルの唯一の証拠写真だなんて、その噛み合わない感じがおかしくて僕は落ちつかなかった。
松浦と師匠は、お互いの視線を正面から受け止めあい、しばらくその瞳の奥のものを読み解こうとするかのようにじっと動かないでいた。
やがて師匠は力を抜いたように笑い、「ま、いいけど。ちょっと時間が欲しい」
「どのくらい」
「二日」
「だめだ」
師匠は松浦を睨む。
「じゃあ明日にはなんとか」
「だめだ」

107 :心霊写真2  ◆oJUBn2VTGE:2013/03/02(土) 00:15:37.54 ID:v75nDQty0
松浦がそう言い切った後、三十秒ほどの沈黙ののちに、師匠が「今夜中に」と言った。
松浦は「いいでしょう」と頷き、「それは複写の複写です。今夜まで預けますが、余計なことを考えると、ためにはならないことを申し添えておきます」とごくあたりまえの口調で付け加えた。
しかし、その言葉は、彼の使う若い衆などの脅し言葉などよりよほど真に迫る危険さを秘めていた。
「ああ、それと」
立ち上がりかけた松浦はもう一度腰を落とし、懐から封筒を取り出した。その中から数枚の写真が出てくる。
「私は、再現可能性というやつを重視するのでね。あなたの『鑑定』の説得力も重要ですが、同じことを同じように再現する証明方法も大切なものです。この写真、いずれも心霊写真と言われているものですが、それらについても真贋について『鑑定』願いますよ」
松浦が師匠に提示した写真は、全部で四枚。
海辺で家族連れが撮ったと思しき記念写真には、立っている男の子の両膝から先が写っていない。
カップルがアイスクリームを手にピースをしている写真には、女性の方の肩に誰のものとも知れない手が乗っかっている。
家の前で取られた写真では、母親と男の子が写っているその後ろ、家の窓に薄笑いを浮かべている不気味な男が薄っすらと見えている。
飲み会の席での一場面を写したものには、盛り上がる人々の後ろにもやのようなものが現れ、そのもやがやはり人の顔のように見えた。
「急遽つてを辿ってかき集めたのでね、どれも本物かどうか私にも分かりません。しかし、それが撮られた背景はすべて把握しています。適当なことを言ってもバレますよ」
「メインと合わせて全部で五枚か。それで報酬が五倍かよ。偉そうに言ってたわりに、計算どおりじゃないか」
師匠の軽口に、松浦も応じる。
「あなたにはさらにその倍を、と言ったはずです。信用できないなら、いま手付け金を」
懐に手を入れかけた松浦を、師匠が制する。
「金は要らないと言ったはずだ。わたしの望みは、とっととこの茶番劇が終わって、ヤクザのいない平穏な日常が戻ってくることだけだ」

108 :心霊写真2  ◆oJUBn2VTGE:2013/03/02(土) 00:19:17.02 ID:v75nDQty0
「俺は、金を要らないという人間は信じない。ここまで知った人間をただで解放すると思うか。依頼は果たせ。それを果たすことを、金も取らず、どうやって俺に信用させる」
松浦の口調と、その背負う空気が変わった。
返答次第では、ただではすまない。それが分かる。
異様な緊張感の中、師匠がうっそりと口を開いた。
「わたしには、これしかないんだ。そんな人間のプライドを、お前は笑うか?」
とても澄んだ目で、表情で、師匠はそう言ったのだ。
松浦は一瞬、うろたえたような、そんな風に見えた。だが、すぐに無表情に戻り、いいだろう、と呟いた。
そして名刺を水平に飛ばすようにして投げ、キャッチした師匠に「今夜九時までに連絡を入れろ」と言い置いて立ち上がった。
そしてドアから出て行く時に、なにか言おうとして立ち止まりこちらを振り向いたあと、そして結局なにも言わずに向き直るとそのまま去って行った。
やがて階下にエンジンの重低音が響き、その音もすぐにどこかへ行ってしまった。
僕はようやく深い息を一つついた。
ぐったりと疲れている。ただ聞いていただけなのに。硬直し、止まっていた空気がようやく流れ出したような気がする。
「なんなんですか!」
僕はそう喚いた。
「消えた大逆事件だのなんだの、わけのわからないことばっかり言って、挙句が心霊写真ですか。なんの茶番だって言うんです!」
「まあ落ち着け」
師匠は手にした写真のコピーに目を落としたまま、まだ身動きをしない。
「所長の留守中に、勝手にこんな依頼を引き受けて、どうなっても知りませんよ」
「うるさいな。ちょっと静かにしろ」
「だいたい、これが心霊写真ですか。こんなにはっきり写ってるじゃないですか。これは人間ですよ、普通の。それが正岡なんとかだってんなら、死んだ時期か、撮影時期か、どっちかが間違ってるんですよ」
「その可能性が低いから、この写真の信憑性が疑われてるんだ」
「心霊写真だからって言うんですか。これは世紀の大スキャンダルを暴く貴重な写真ですが、信憑性に疑問があります。なぜなら心霊写真だからです。ってわけですか、馬鹿馬鹿しい。
いったい信憑性ってなんなんですかね。だいたい、あの松浦とかいうヤクザ、なんでこんな大それたヤマに、こんなインチキ臭い興信所を巻き込もうとしてるんですか」


109 :心霊写真2  ◆oJUBn2VTGE:2013/03/02(土) 00:22:47.52 ID:v75nDQty0
「静かにしろ」
師匠は喚き散らす僕に目もくれず、松浦の残していった『心霊写真』だという四枚の写真の方に手を伸ばす。
「あいつは、見えてるよ」
一枚一枚、丁寧に眺めながら師匠はぼそりと言った。
「え? なにがですか」
「霊の話をしてると、寄って来るって話、昨日したろ」
した。確かに、松浦の前で師匠はそう言った。その直後、松浦は師匠と同じように窓の外に顔を向けたのだ。
僕が子どものころならば、「バカが見る、ブタのケツ」とでも言って、その臆病振りを小馬鹿にするところだ。
しかし師匠は驚くようなことを言った。
「あれ、通ってたんだよ。窓の外に」
「は?」
「浮遊霊の類かな。髪がぼさぼさに伸びた女だか男だか分かんない気持ち悪いのが。そういう話に惹かれてだと思うけど、すうっ、とな。だからそう言ったんだけど」
僕は唖然とした。そんなもの、全然気づいていなかった。ただの冗談だとしか。
「あいつは、見えてたよ。わたしが話を振るよりも一瞬早く、そっちに顔を向けてた」
そんな。
しかし妙に符合するものがある。あの、師匠と松浦が二人して窓の外を見た後、驚いたような表情で真っ直ぐに向き合ってお互いをしばらく見詰め合っていた。
あの瞬間、口には出さずとも、互いに認め合ったということか。
胸の奥がチクリと痛くなった。
僕には、見えていなかった。
師匠が四枚のL判写真を机の上でトントンと整え、また一枚目から丹念に眺めていく。
幽霊を信じるヤクザ。
それを笑いたい。役に立たない自分の代わりに。
幽霊を信じるなら、人の恨みを買う、そんな家業から足を洗えばいいのに。馬鹿なやつだ。
それを笑いたい。
笑いたかった。
静かに時間が過ぎた。
十分ほど経っただろうか。ふいに事務所の電話が鳴った。

110 :心霊写真2  ◆oJUBn2VTGE:2013/03/02(土) 00:27:02.63 ID:v75nDQty0
ドキリとした。電話の音はなぜこんなに人を不安にさせるのか。
「はい、小川調査事務所」
師匠が電話に出る。しかし、会話は続かなかった。
「もしもし? もしもーし。小川調査事務所ですが」
師匠はもしもし、と繰り返している。電話が遠いのだろうか。僕は思わずそばに近寄って、師匠の持つ受話器に耳をくっつける。
「もしもし? 聞えないから、切りますよ。いいですか……」
師匠はそう言ってから、たっぷり十秒待って、口を開いた。
「田村か」
電話の向こうで、笑う気配。
「田村だな。どういうつもりだ」
電話を掛けてきたのは、田村なのか。松浦が石田組を挙げて捜索しているにも関わらず逃げおおせている張本人の。
「心配しなくても、石田組のやつらはいない。押し掛けて来たけど、もう帰ったよ。全く、お前のせいでこっちはいい迷惑だ。どう仕舞いをつけるつもりなんだ」
師匠が田村を非難しながら、空いている方の手で着ているジャケットの内側を探っている。そしてなにか紙のようなものを取り出した。
「こんなやばいもの、預けやがって」
僕は本当に驚いた。目を疑うというやつだ。
師匠が懐から取り出したのは、写真だった。それも、色褪せてはいるが、複写される前の、消えた大逆事件のメンバーたちが『老人』を囲む写真。
和服姿の初老の男の顔に、なんの歪みも、汚れもない正真正銘の、現物。眉間と頬に深い皺の刻まれた厳しい顔が、すべてを見下すようにわずかに顎を上げてみせている。
なぜ。なぜここにオリジナルが。
その言葉しか頭に浮かばなかった。だが、すぐにその答えも見つかる。
あの時だ。礼も言わずに帰るのか、と師匠が言った後、田村がよろけるようにして肩をぶつけ、去って行ったあの時。あの一瞬に、田村は隠し持っていた写真を師匠の服のどこかに滑り込ませたのだ。
師匠はそれに気づいていながら、ヤクザたちの尋問にもすっ呆けて押し通していたというのか。
「どうしてなんだよ」
師匠が写真を手にしたまま、問い掛ける。その写真の裏側に、鉛筆で走り書きがしてあるのに気づいた。

111 :心霊写真2  ◆oJUBn2VTGE:2013/03/02(土) 00:29:09.69 ID:v75nDQty0
老人
そう書いてあった。師匠の字ではない。
そうか。また、ふに落ちるものを感じた。師匠が昨日の松浦との会話の中で、『老人』の名前を出した時、なぜそれを知っている、と問い詰められ、田村がうわごとでそう言ったと答えたのだが、
僕の記憶している限り、田村は意識を失うことはなかったはずだった。痛みと疲れで息をするのがやっと、という状態だったが、それでも油断なく周囲に意識を張り巡らせていた。
師匠は『老人』の名を、田村から聞いたのではなく、写真の裏側に、まるでその写真の主題であるかのように書かれた文字から知ったのだ。そしてその『老人』とはなんなのか、危険を承知で松浦にカマをかけた。
『…………逃げ切れる自信がなかったからだ』
田村の声だ。確かに受話器の向こう側にいるのは、昨日小川調査事務所にふらりと現れて、そして去って行ったあの男だった。
『やつらに捕まっても、写真が手元になければ、俺の命を保障する、有効な取引材料になる』
「そのせいでわたしたちを巻き込んだのか」
『……悪いとは思っている。しかし背に腹は代えられない、ってやつでな』
「病院には行ったのか? 傷はどうだ」
『気にするな。どうってことはない』
「よく逃げ切れたな。捕まったって聞いたぞ」
『奇跡的にな』
「誰か刺しでもして振り切ったのか」
『本職相手に、そんなこと出来るわけがないだろう』
師匠はそこでなにか少し考えるような間を空けた。そうして確かめるようにゆっくりと問い掛ける。
「あの電話、お前か」
あの電話?
一瞬何のことか分からなかったが、ふいに閃くものがあった。小川調査事務所に掛かってきた、田村を見つけた、という電話だ。
あの時は、老けた顔のヤクザが電話を取ったのだが、あの電話のおかげで小川調査事務所からマークが外れたのだった。
もしあのままなら、ひょっとすると拷問まがいの本格的な取調べをされ、師匠がその時持っていた本物の写真も発見されていたかも知れない。

112 :心霊写真2  ◆oJUBn2VTGE:2013/03/02(土) 01:01:14.53 ID:v75nDQty0
そして結果的に田村は捕まっていない。そう思うと、あの電話にはなにか作為的なものを感じるのは確かだった。
『…………』
電話口で十秒ほどの沈黙があった。やがて湿ったような音が聞えてくる。
『何のことか分からないな』
師匠は舌打ちをする。
「まあ、どっちだろうと良いんだがな。なぜわたしが、やつらの脅しに屈してこの写真を渡してしまわないと思ったんだ」
『…………俺と同じ匂いを感じたからだ』
「なんだそれは」
くくく、と電話口で笑う声がする。
『ヤクザが嫌いだろう』
「それだけかよ」
『いや。好奇心、猫を殺す、ってな。お前も、俺も、そういうタイプなのさ』
「近頃は、克己心だって猫を殺すらしいぞ。お前、こんな自分の身に余るネタを握ってどうしようってんだ」
『それは俺の勝手だ』
「あっそ。だったら、この写真、やつらにくれてやりはしないまでも、灰皿の上で火をつけりゃ、あっという間にケムになるぞ。どこに隠れてるのか知らないが、お前が走って消しに来たって間に合わない」
見えないだろうに、師匠は所長愛用の灰皿を手元に引き寄せ、ライターの火をつける真似をした。
『そんなことをすれば、近代日本史の闇の一つが、永遠に失われる』
「大袈裟だな。ただの写真だろ。とにかく、どうケリをつけるんだよ」
師匠がそう言うと、相手は黙り込んだ。
僕は唾を飲み込む音を聞かれないように、少し離れた後、また受話器に耳をつける。
『…………駅前にロッカーがある。その……54番に、その写真を……いや……』
そこでまた黙った。
聞き漏らさないように、僕はメモ帳とペンを手探りで手元に引き寄せる。だが田村はそこで会話を止めた。
『また連絡する』
「おい、ちょっと待てよ。おい」

113 :心霊写真2 ラスト  ◆oJUBn2VTGE:2013/03/02(土) 01:02:51.00 ID:v75nDQty0
電話は切れた。
僕と師匠は顔を見合わせる。
切りやがった。どういうつもりなんだ。そう文句を垂れる僕の憤りを軽く聞き流しながら、師匠はなにかしたり顔で頷いている。
「びびってるねえ。疑心暗鬼ってやつだな」
「田村がですか」
「そうだよ。さっきは駅のロッカーを使って、写真の受け渡しの指示をしようとしたんだ。だけど、それを取りにノコノコ出てきたところを、石田組のやつらに待ち伏せでもされたらイチコロだからな。
当然わたしなんか信用できなのさ。だけど、石田組のやつらが危惧してるみたいに、他の石田組と対立してるヤクザどものところへ逃げ込むことも出来ないでいる。結局、疑心暗鬼に陥って、今は誰も信用できず、どこか誰も知らない場所で息を潜めてるんだよ。
さっきここへ電話して来たのだって、勇気が要っただろうに」
師匠が大袈裟なポーズで哀れんでみせている。
「あの感じじゃあ、しばらくは田村からも連絡はないな」
「どうするんですか」
「決まってるだろう。写真の、謎を解くだけだ」
師匠は全部で五枚の写真をまとめ、松浦が残していった封筒に入れた。

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