【師匠シリーズ】怪物 「起」

654 :怪物  「起」承転結   ◆oJUBn2VTGE :2008/07/06(日) 21:18:08 ID:JJl4aZ230
京介さんから聞いた話だ。
怖い夢を見ていた気がする。
薄っすらと目を開けて、シーツの白さにまた目を閉じる。
鳥の鳴き声が聞こえない。
息を吐いてから、ベッドから体を起こす。
静かな朝だ。
どんな夢だっただろうと思い出しながら記憶を辿ろうとする。
すると「スズメは魂を見ることができる」という話がふと頭に浮かんだ。
どこかの国の伝承で、スズメは生まれてくる前の人間の魂を見ることができるという。
朝、スズメがさえずるのはその生まれてくる魂に反応しているのだと。
その魂がやってくる場所が空っぽになっていると、魂を持たない子どもが生まれて来る。
そんな子どもが生まれる朝にはスズメはさえずらない。
だから、スズメの声の聞こえない朝は不吉さの象徴だ。
カーテンを開けると2階の窓から見える家並みはいつもと変わらない姿で、慌しい一日の始まりの息吹がそこかしこに満ちている。
そう言えば今日は何曜日だっただろう。
目を閉じて、一秒数えたら、他愛もなくありふれた土曜日の朝でありますように。
その日、つまり憂鬱なる月曜日。
学校への通学路の途中、道行く人々の群れの中でふと足を止めた。
視覚でも、聴覚でも、嗅覚でもなく、まだどれにも分かれない未分化の感覚が、街の微かな違和感をとらえた気がした。
私にぶつかりそうになったサラリーマンが舌打ちをしながら袖を掠めていく。
色とりどりのたくさんの靴が、それぞれのステップで私を追い越していく。
その雑踏の中で私は、ギギギギギ……という古い家具が軋むような音を聞いた気がした。
蠢き続ける人間の群れの中で身を固くする。


655 :怪物   ◆oJUBn2VTGE:2008/07/06(日) 21:21:13 ID:JJl4aZ230
夏が一瞬で終わったような肌寒さを感じた気がした。
アスファルトから立ち上る、降りもしない雨の匂いを嗅いだ気がした。
けれどそのどれもが幻だということもまた同時に感じた。
なにか本質的なものがそれらのヴェールの向こうに潜んでいるような、得体の知れない嫌悪感が身体にまとわりついてくる。
道端のゴミ捨て場に集まっていたカラスが鳴いた。
一羽が鳴くと他のカラスたちにも伝播するように鳴き声が波のように広がる。
そばを通る何人かの人間がそちらを見た。
その声は求愛でも、縄張りを主張するものでもなく、ただ”何かを警戒せよ”という緊迫した響きを持っている気がした。
けれど誰もそれに必要以上の関心を示さず、足を止める人はいない。
私もまた形にならないどこか遠くにあるような不安感を胸に抱きながら、それを振り払い、学校への道を急ぐのだった。
何かがこの街に起こりつつある。
はっきりそう感じたのは次の日、火曜日の学校の昼休みだった。
「わたし、昨日怖い夢見た~」
昼のお弁当を早々に食べ終わり、どこか涼しいところで昼寝でもしようかと立ち上がりかけた時にそんな言葉を耳にした。
教室の真ん中あたりで机を4つ並べてお昼ご飯を食べているグループだった。
その言葉に反応したのは、なにか理由があったわけではない。
いわばカンだ。
けれどその子の次の言葉を聞いた瞬間、私の中で何かがカチリと音を立てた。
「でもなんか~、どんな夢だったか忘れちゃった」
その音は鍵穴が立てる音なのか、それとも時計の針が綺麗な数字を指した音なのか。
私はドッドッドッ……と少しずつ早くなる鼓動をじっと聴いていた。

656 :怪物   ◆oJUBn2VTGE:2008/07/06(日) 21:25:29 ID:JJl4aZ230
「なんで忘れたのに怖い夢って分かんのよ」
「そういや、そっか~」
他愛のない会話が続き、彼女たちの話題は何の引っ掛かりもなく見る間に変わっていった。
昨日・怖い・夢を・見た・どんな・夢か・忘れた・けどその言葉を、私は今朝も聞いた。
確かに聞いた。
既視感ではない。
あれは歩いて登校する時の、通勤ラッシュでごった返す人の群れの中だった。
誰が話していたのか、顔も見ていない。
ただその時、私は思ったのだ。
(そういえば私もだな)
今、まるで同じ言葉を耳にして私の中の動物的本能が不吉なものを察知した。
立ち上がり、教室を出る。
外の空気が吸いたい。
廊下を上履きが叩く音が二重に聞こえた。
誰かがついてくる懐かしい音。
でも私の行く後をいつもついて来ていた子は今、学校を休んでいる。
近々転校するのだと人づてに聞いた。
小さな針が、胸の内側をつつく感じ。
「山中さん」
という声に振り向くと、目立たない顔立ちの小柄な子が立っている。
高野志保という名前のクラスメイトだ。
少し前にある事件で関わってから妙に懐かれてしまっていた。
良い気分ではない。
私は出来るだけ一人でいたい。
「あの……私も見たよ。昨日。怖い夢。占いとか得意なんだよね。山中さん。ちょっと占ってくれないかな」
私は立ち止まり、顔を突き出した。
「急いでるんだ。また今度ね」
「あ、うん。ごめん」
踵を返してその場を立ち去る。
ああ。嫌なヤツだ。

657 :怪物   ◆oJUBn2VTGE:2008/07/06(日) 21:31:22 ID:JJl4aZ230
軽い自己嫌悪に苛まれながら私は急いだ。
どこに?
どこか、人のいない処に。
その日の夜、私は暇つぶしに妹の部屋にあったローカル情報誌を拝借し、自分の部屋に寝転がって読んでいた。
テーブルの上のラジオからは知らない洋楽が流れている。
その雑誌を適当に飛ばし読みしていると、星座占いのコーナーで手が止まった。
地元では有名な占い師が持っている頁だ。
行ったことはないけれど、街なかに占いの店も出しているらしい。
その情報誌は月刊なので、ひと月分の運勢が星座ごとに並んでいる。
星座ごとで、しかも一ヶ月通じての運勢だなんて、血液型占いと同じくらい胡散臭い。
とりあえず自分の星座を確認して、それからもう一つの星座を読む。
こんなところがどうしようもなく女子高生っぽくて自分でも嫌になる。
その後、適当に前後の星座の運勢を読んでいると、どれもあんまり良くない書かれ方をしているのに気がついた。
『じっとしているが吉』『外出は控えて』『大事なものを失う暗示?』『もう一度考えて』……
星座の名前のすぐ横に5つの星が並んでいて、そのうち黒い星の数が多いほど運勢が良いということらしいのだが、私の星座は星1つ。
ほかの星座も1つとか2つばかりで、3つというのが最高だった。
どういうことだろう。
天井を見ながら少し考える。
急にドアをノックする音が聞こえて、ドキッとした。
適当に返事をすると妹が廊下からニュッと顔を出し、いきなりこちらを指さした。
「やっぱりここだ。返してよ。まだ読んでないんだから」
雑誌をもぎ取られそうになるのを力ずくで押さえ込んで、「この占いのページって、いつもこんな星のアベレージ?」と聞く。

658 :怪物   ◆oJUBn2VTGE:2008/07/06(日) 21:36:01 ID:JJl4aZ230
妹はじっとそのページを見つめ、「いつもはそんな低くないよ」と答えた。
星3つとか、4つとかが普通とのことらしい。
「えー、なにこれ、やな感じ。この星占いのオバハン、なんか嫌なことでもあったんじゃない?」
妹はそんなことを言いながら、力を緩めた私の手から奪取した雑誌をまじまじと読み始めた。
「自分の部屋で読め」と追い出すと、なにか文句を言っていたが無視してベッドに寝転ぶ。
“嫌なことがあったから、腹いせで読者の運勢を悪く書いてみた”
やはりどこか違う気がする。
何故なら、悪くしないための警句ばかり並んでいたからだ。
ローカル誌か……
呟いて、それから目を閉じる。
いつの間にかウトウトしていたらしい。
ラジオの音に目が覚めた。
『……え? どんな夢だったかなぁ。忘れたけど。怖い夢だったってのだけは覚えてんだけどね。まあいいか。ははは。じゃあ、俺もお仲間だったということで、次のハガキね。え~と、うちのオカン最悪です、エロ本整理されました、っていきなりだなオイ』
ラジオに飛びついてボリュームを上げる。
けれどエロ本談義の次はこの夏コンサートでやって来る大物外人の話題で、その後も二度と夢の話は出なかった。
やがてコマーシャルが流れ始め、地元のカジュアルショップの名前が連呼されているのを聞きながら私は、この街で何かが起こりつつあるという正体不明の予感に、足元を揺らされているような恐怖を感じていた。
怖い夢を見ていた気がする。
目覚まし時計を止め、あくびを一つしてから身体をベッドの上に起こす。

659 :怪物   ◆oJUBn2VTGE:2008/07/06(日) 21:41:16 ID:JJl4aZ230
いつもはエンジンの掛かりが遅い私の頭が、今は急速に回転を始める。
思い出せ。
どんな夢だった?
暗いイメージ。嫌な。嫌なイメージ。怖いイメージ。
テーブルに置いてあったノートを広げ、ペンを持つ。
コツ、コツ、コツ、と叩いてからやがてガクリとその上に突っ伏す。
駄目だ。
忘れてしまった。
やけに静かな朝だ。
イライラする。リズムがない。
リズムさえあれば思い出せたのに。
スズメだ。スズメはどうして鳴かないんだ。
いきなりドアをノックする音が聞こえた。
ドキッとする。するより早く、胸の中に、サッと赤黒い暗幕が掛かった気がした。
「煩いな、いま起きるよ!」
自分でも思わぬ大きな声が出た。
その向こうで、わずかに開いたドアから母親の驚いた顔が覗いていた。
その日の朝ご飯どき、母親に乱暴な言葉遣いを説教されて一層不機嫌になった私は、学校でも朝からムカムカして気分が悪かった。
こちらに話しかけたそうな高野志保の遠慮がちな視線にもイライラさせられた。
水曜日の2時間目は美術だ。
さっそくエスケープした私は、人の来ない校舎裏に直行した。
煙草でも吸わないと、やってられない。
深く息を吐いて、白い煙が青い空に溶けていくのを見ているとようやく気分が落ち着いてくる。
昨日から今朝にかけて起こったことを一つ一つ順番に考えてみた。

661 :怪物   ◆oJUBn2VTGE:2008/07/06(日) 21:45:25 ID:JJl4aZ230
いや、始まりは昨日ではない。
怖い夢を見たという漠然とした記憶は、かなり前から始まっていた。
この夏が始まるころ、いやあるいはもっと前から、緩やかにそれは私の日常を侵食し、そしてこの街の中に染み込んでいたのかも知れない。
誰にもその意味を気づかれないままに……
3本目の煙草を箱から出した時だった。
突然キーンという耳鳴りに襲われた。まるで、周囲の高度が劇的に変わったかのようだった。
(まずい。なにか起こる)
そう直感して、とっさに姿勢を低くする。全身を恐怖が貫いた。
けれどいつまで待っても何も起こらなかった。
恐る恐る身体を起こして、周囲を見回す。
地面にも、校舎の壁にも異変はない。
空を見ても、さっきとなにも変わらない。
入道雲が高くそびえているばかりだ。
胸はまだドキドキしている。
そういえば耳鳴りがしたあの瞬間、どこか遠くで雷のような音が鳴ったような気がする。
目を閉じて耳を澄ましてみたが、今はもう何も聞こえない。
耳鳴りもいつの間にかおさまっていた。
「なんなんだ」
自分に問いかけて、それから出しかけた煙草を箱に戻す。
授業に戻ろうかと考えて、やっぱりやめることにした。
さっきの耳鳴りがなにか反復性のもののような気がして、とっさに逃げ場のない教室には戻りたくなかったのだ。
次に学校から抜け出してみようかと思った。
それは素晴らしい思いつきに感じられて、いてもたってもいられなくなり、学校の敷地から出るために塀をよじ登ることさえ苦にならなかった。
誰にも見つからず抜け出すことに成功した私は、川の方に行ってみるか、それとも図書館に足を伸ばすか思案した。

662 :怪物   ◆oJUBn2VTGE:2008/07/06(日) 21:47:10 ID:JJl4aZ230
真っ昼間に制服だと目立つな、と思いながら歩いていると、遠くからサイレンの音が聞こえてきた。
救急車の音だ。
そう思った瞬間、駆け出していた。
それはさっき耳鳴りがした瞬間に雷のような音が鳴った方角に向かっているような気がしたからだ。
その時にはどこから聞こえたのか分からなかったのに。
救急車のサイレンにキョロキョロとしている通行人を追い抜き、大通りを通り過ぎて、路地裏に入っていく。
10分ほども走っただろうか。
ざわざわとした人の気配が強くなり、角を曲がった時にその光景が飛び込んできた。
商業地から住宅地に少し入ったあたりの、寂れた2階建ての建物が並ぶ一角に救急車の赤いライトがくるくると回っている。
周囲には割れたガラスが散乱し、何人かの人が頭や腕を押さえて道路に座り込んでいた。
野次馬がその周りをウロウロしている。
地面には血の跡がポツポツと落ちている。
けれどそれ以上に私の目を惹くものが地面に落ちていた。
石だ。
パチンコ玉くらいのものから、子どもの握りこぶし大のものまで大小様々な石が周囲に散らばっている。
「落ちてきたって」「雹が?」「石だろ、石」「雹じゃないの」「空から落ちてきたんだって」
そんな言葉が辺りを飛び交っている。
雹という単語を聞いて、思わず手に取ってみたがやはりそれは石だった。
どこにでもあるただの石だ。
公園や校庭に転がっていそうな。
空を見上げたが、電線が一つ横切っているだけであとは飛行機雲一つない。

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