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【師匠シリーズ】死滅回遊

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193 :死滅回遊  ◆oJUBn2VTGE:2013/03/17(日) 04:10:50.36 ID:YaDNqfZs0
師匠はそこで、言葉を止めた。
まだなにか続けたかったようだが、川の向こうの気配に身体を緊張させた。
ひた、ひた
暗い川面を、なにかが歩いて来る。
かつてはムラとムラを、クニとクニを分けていた広い川だ。歩いて渡れるような水深ではない。まして、まったく平然とまるで歩道を歩くように水面を渡ってくるなんて。
得体の知れない気配が、ゆっくりとこちらに向かって来る。それも、さっきまでのか細い存在感ではなく、じわじわとこちらを圧迫するような、にじり寄って来るような……
「霊道も同じだ。死滅回遊と」
師匠が、目の前の気配から目を逸らさず、押し殺した声で続ける。
「見たことがあるんだ。ほんのさっきまで、取るに足りない、消滅を待つだけだった霊が、急に膨張するところを。やつらは種(たね)だ。いつか、まったく関係のない土地で、恐ろしい適合を果たすこともある」
ひた、ひた
人だ。人影だ。真っ暗な水の流れる川の上を人影が歩いて来る。男か女かも分からない。ただ、僕の心臓を押しのけようとするような圧力を、前方から感じる。そしてそれは刻一刻と強くなっていく。
「ひっ」
サラリーマンが呻くような声を上げ、自転車に飛び乗ったかと思うとすぐさま逃げ出した。
僕らの後ろを、来た時の倍のスピードで風が駆け抜けていった。
「川ってのは、境だ。サトとサトの。ムラとムラの。境の向こうは異界だ。そこからやって来るものは、変化と多様性とそして幸いとをもたらすまれびとか、あるいは魔か。
鬼は外、福は内ってな。こういうサトとサトの境には得体の知れない異物の侵入を防ぐための、守り神があるものだがな。一昨年だったか、護岸工事の時、古い塚を壊しちまったんだよ。
かわりに、そっちの土手の隅に方に小さい地蔵を据えたみたいだけどな。役割が違うんだよ。役割が。だからこういうことになってしまう」

194 :死滅回遊 ラスト ◆oJUBn2VTGE:2013/03/17(日) 04:13:04.70 ID:YaDNqfZs0
師匠の声がかすかに震えている。
僕はどうしようもなく恐ろしくなり、師匠の手を握った。
「行きましょう」
この場を離れなくてはならない。早く。すぐに。
人影はもう川の半分を越えて近づいて来ている。
しかし師匠は熱に浮かされたように続ける。
「境を越えてやって来る招かれざる魔、異物のうち、災いをもたらすヒトの霊のことを何て言うか知ってるか」
そう言って師匠は僕の方を見た。その顔には薄っすらと汗がにじんでいるように見えた。
「悪霊だ」
師匠がそう言った瞬間、堤防の右手側にいたもう一つの人影が、動いた。なにかその手元に、遠くの街灯の明かりがギラリと反射したように見えた。
その動きに気づいた師匠がすぐさま振り向き、「やめろ」と短く叫んだ。
「一体じゃない」
堤防の人影は、ピタリと動きを止めた。
僕も思わず川の方を見る。
全身に硬直が走った。
川を渡って来るそのなにかの後ろに、同じような影がいるのに気づいたのだ。
それも一つではない。二つ、三つ、四つ、五つ……
「逃げましょう」
僕は必死に、師匠の腕をつかんだ。
六つ、七つ、八つ、九つ……
無理やり師匠の手を引っ張り、堤防から引き剥がした。
そして止めてあった車の方へ足を踏み出す。
師匠もようやく我に返ったように、「分かった」と言ったが、それでもまた立ち止まり、水面を歩く悪霊の群を呆然とした目で眺めた。
「いったい、なにが起こってんだ。この街で」
そう呟いて。

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