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【師匠シリーズ】心霊写真5

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231 :心霊写真5 ◆oJUBn2VTGE:2013/03/22(金) 22:22:03.08 ID:En49cf2N0
「それにこだわる理由も分かる。この男が、あんたの父親だからだ。だけどくだんの立光会の先代じゃない。顔つきがまるで違う。あんたは立光会の先代の愛人の息子だが、先代の実の子ではなかった。
そうだろう。あんたの実の父は、薄ら笑いを浮かべているこの男だ。言ってやるよ。こいつは霊じゃない。ここにいたんだ。
あんたら母子と一緒のフレームに入ろうとせず、ただ離れた場所から薄ら笑いを浮かべている。そういう男だ」
師匠は自棄を起こしたように捲くし立てると、さあ矢でも鉄砲でも持って来い、とばかりに開き直って、腕組みをしながら椅子の背もたれにふんぞり返った。生きた心地がしない状態で僕は手に汗を握っていた。
松浦はまだなにも口にせず、写真をじっと見ている。男の上半身が薄っすらと見えている窓のあたりを。
「そうか……」
ようやく開いた口からは、そんな静かな言葉だけがこぼれた。そうしてそっと写真を仕舞う。
師匠はばつが悪そうに、頭を掻いている。
立光会の先代の顔つきなんて、昨日の今日まで知らなかったはずだ。西署の刑事に会いに行ったのはそのためか。ヤクザ嫌いの師匠が、ヤクザの世界の事情を調べようとすれば、警察しかないのだろう。
松浦はなんの詮索もせず、この件を終わりにした。
『あんたの後ろにあるのは虚無だ』
僕はこの男の持つ虚ろな冷たさが、師匠の言う虚無が、どこから来るのか、おぼろげながら分かった気がした。
松浦が腰を浮かしかけた時、師匠が声を掛けた。
「待てよ。まだ話は終わってない」
「もうなにも話すことはない」
そう言えば、最初に師匠は青年将校たちの写真を指して、この写真には秘密がある、と言っていた。思わせぶりだったが、そのことなのだろうか。
しかし、僕にももう、そっちの写真にはあまり価値がないとしか思えなかった。
「聞け。聞いてくれ。重要な話だ」
師匠が身を乗り出す。
「頼む」
その懇願に、松浦は一瞬逡巡したように見えたが、やがてソファーに座りなおした

232 :心霊写真5 ◆oJUBn2VTGE:2013/03/22(金) 22:25:53.14 ID:En49cf2N0
「写真を」
師匠にそう請われて、松浦は一度仕舞った写真を取り出そうとする。しかし師匠は「そっちじゃない。『老人』の方の写真だ」と言った。
そうして、テーブルの上に写真と、その複写が並んだ。複写の方は中央部分が黒く潰れていて、『老人』の顔が見えない。
「これがなにか」
師匠は考えを整理するようにしばし視線を落とし、慎重に口を開いた。
「わたしの知り合いに、ある霊能者がいてな」
そうして名前や詳細を出さずに、アキちゃんのことを話し始めた。僕らの目の前で起きた、写真の人物の目が閉じるという、あの集団催眠なのか集団幻覚なのか分からない不思議な力のことも。
そうして、写真の原本の方を使って、そのシーンを再現する。写真の上に手をかざし、手のひらをくるくると回しているのだが、蝋燭の明かりもないこんな明るい場所ではやけに滑稽に見えた。
松浦の口元に冷笑が浮かんだのを見て、「笑わず聞いてくれ」と師匠は言う。
「『閉じない』『どうして』そう言ったんだ、その霊能者は。確かに正岡大尉の目は閉じていなかった。だからわたしは、それが生きている人間ではないからではないかと思ったんだ。
でもよくよく考えるとおかしいんだ。他の写真でも目を閉じた人間と、閉じていない人間がいる。飲み会の写真なら、一人のおっさんは目を閉じていたけど、他は閉じていない。
それ自体にはなにもおかしいことはないはずだ。『老人』たちの写真なら、一人は目を開いていて、他は閉じている。今はもう死んでいる人もいるし、生きている人もいる。それだけのことだ。
目を閉じない、なんて言って怯える必要はない。確かに古い写真だが、いつごろのものだとか、大逆事件に関わる写真だなんていう背景は一切話していない。ましてこの後彼らは処刑されたなんて話は。
なのになぜ、一人でも目を閉じない人間がいると、おかしいんだ? 現に青年将校たちの年齢を考えると、今生きていたら八十歳くらいだ。一人くらい目を開けていてもなにもおかしくない」
師匠はそこで言葉を切り、
『閉じない』『どうして』
と繰り返した。

233 :心霊写真5 ◆oJUBn2VTGE:2013/03/22(金) 22:34:18.74 ID:En49cf2N0
なにが言いたいのか分からず、僕は困惑していた。やっと松浦たちヤクザとの縁も切れ、この写真にまつわるやっかいごとが終わりかけていたのに、なにを師匠は言おうとしてるのだろう。
スッ、と師匠の指が写真に向かう。そしてそれは『老人』の顔の上で止まった。
「閉じなかったのは、こいつだ」
ゾクリとした。
なぜか分からないけれど、この二日間で、最大の寒気が前触れもなくふいにやって来た。心臓が、今初めて動き出したかのようにバクバクと音を立て始める。
「正岡にばかり目をやっていて、わたしも気づかなかった。だけどその霊能者だけは見ていた。写真の上から手を離した時、この『老人』だけは、一度閉じた目をもう一度薄っすらと開いたんだ」
寺から帰りかけたところで、いきなり引き返してアキちゃんのところへ走ったのは、そのためか。
『閉じない』『どうして』という、アキちゃんのもらした言葉の齟齬に気づき、その真意の確認のためだった。そして、アキちゃんが見たものとは……
「半眼だ。言われなくては分からないくらい、薄っすらと。それが何度手順を繰り返しても、その度に閉じた目をわずかに開けたそうだ。まるで薄目を開けて、写真の中からこちらを覗いているみたいに……」
そんな現象は初めてだったから、怖くなったそうだ。
師匠はそう言って右の拳を縦にして口元に当て、睨みつけるように写真を見下ろす。
「死んだ人間は目を閉じる。生きている人間は目を開けたまま。では、一度閉じて、薄目を開けるやつは?」
ぶつぶつと言いながら、師匠はリュックサックを手元に引き寄せ、中身を探る。
「そっちのコピー。複写してる時に、途中で田村に写真を奪われたから、真ん中が黒く潰れてるってやつ」
テーブルの方を見ないで師匠は続ける。
「本当に、そうなのかな」
「なんのことです。なにが言いたい」
松浦が怪訝な顔で問い掛ける。
「どうして写真を渡さなかったのかと訊いたな。田村から無理やり押し付けられた写真なのに、あんたたちがやって来た時にどうして渡さなかったのか、と。
正直言うと、昨日、一度目は迷ってた。小川所長に迷惑が掛かるなら、渡してしまおうかとも思った。けど、なにか第六感みたいなのが働いてな。黙ってたんだ。


234 :心霊写真5 ◆oJUBn2VTGE:2013/03/22(金) 22:38:22.09 ID:En49cf2N0
そして次の日、二度目にあんたらが来た時には、もう渡すつもりはなかった。一度目と、二度目の違いがどうして生まれたのか」
ごそごそとやっていた手の動きが止まる。
ゆっくりとリュックサックから半透明なクリアファイルが出てくる。中になにか入っている。
「初日、つまり昨日の夜、コピーをな。取ってみたんだ。持ち歩くにも、あんたたちとやりとりするにも、あった方が便利だと思って。そしたら、こうだ」
クリアファイルから、写真のコピーが出て来た。だがそれを見た瞬間、僕の身体には鳥肌が立った。
コピー用紙の中央が真っ黒に潰れている。『老人』の顔を中心に。まるで同じだった。松浦が持って来たものと。
「まさかそれが」
松浦の目が、クリアファイルに注がれる。クリアファイルの中にはまだ用紙が入っていた。
「なんだこれは、と思ってな。いろんな所でコピーをとったよ。コンビニを回ったり、文具屋を回ったり。そのすべてがこれだ」
テーブルの上に、コピー用紙がばら撒かれる。
目を疑った。すべてだ。すべてまったく同様に、『老人』の顔を中心にして真っ黒く潰れている。いや、よく見るとその黒い部分は、すべて微妙に形が違う。生物に、個体ごとの差異があるように。
「複写を途中で止められたから起きた焼きミスなんかじゃないんだ。これは。まともじゃない。もっと恐ろしいものだ」
松浦も食い入るようにコピー用紙を次々手に取っている。オリジナルからコピーされた写真のすべてから、『老人』の顔が消されている。
「消された大逆事件とやらでお縄になった青年将校たちが、どうして北一輝の名前を、つまり『老人』角南大悟の名前を割らなかったか、考えたことがあるか」
松浦がコピーから目を離さず、答えなかったので師匠は続ける。
「どういう思想を植えつけられたのか知らないが、首謀者の名を明かさなかったのには二つの理由が考えられる。
一つは、首謀者への畏敬から、罪が及ぶのを防ぐため。そしてもう一つが、彼らの計画が、そして思想が、まだ生きる望みがあったためだ。
首謀者が無事で、かつそのまま軍に知られなければ、自分たちの失敗の後でもまだ思想は達成できる。その捨石になるためだ」
だがこいつは。
と師匠は、原本の方の『老人』の顔を見つめる。

235 :心霊写真5 ◆oJUBn2VTGE:2013/03/22(金) 22:42:12.51 ID:En49cf2N0
「こいつは、そんな大逆事件などなにもなかったかのように、戦後は商売を広げ、角南家を大きくする。政財界にも手を伸ばし、フィクサーとも呼ばれる存在になる。
思想はどこにいった? 青年将校たちを決起させたイデオロギーは? 論理は? そんなものが本当にあったのか? 青年将校を駆り立てた言葉は、もう誰も知らない。こいつは…………」
化け物だ。
師匠は吐き捨てるように言った。
あの団子鼻のヤクザに言った言葉と同じだったが、その重さは全く違っていた。
「わたしが念写だと思ったのにはそういうわけもあった。こいつにとっては、ただあるべき姿に修正しただけだ。自分の描いた地図の通りにだ。
岩川大尉が死んでいれば岩川が。もう一人のなんとかって大尉が死んでいれば、そいつがここに現れていただろう。亡霊のように。そう思えばなぜかしっくり来るんだ」
写真の中の『老人』は、当時まだ五十代だと言うのに、眉間と頬には深い皺が刻まれ、すべてを知り尽くした賢人のような威厳が備わっていた。
だがその威厳は、尊大さを併せ持ち、わずかに上げた顎が目に映るすべてを見下しているかのように見えた。
「腹を刺された田村。その揉み合いになった時に怪我をしたというあんたのところの若い衆。歯抜けの茶髪野郎にボコボコにされたこいつ。お返しにボコボコにされた茶髪野郎……
この写真に関わった人間が昨日今日の二日間でかなりの怪我を負っている。他にもいるんじゃないか」
そう振られ、松浦はハッと気づいたような顔をして「弁護士が」と言いかけた。そのまま口をつぐむ。
「なんだ、弁護士先生もどうにかなったのか。面白いな。深く関わった人間で無事なのはわたしとあんたくらいじゃないか。こいつはよっぽど強い守護霊を持ってないと対抗できないらしい」
ははは、と師匠は笑ったが、松浦はその冗談を笑いもせず射るようにスッと目を細めた。
師匠はばつが悪そうに視線を逸らすと、テーブルの上に散乱したコピー用紙を片付け始める。
「こいつは燃やすよ。あんたも、そのオリジナルをどうするつもりか知らないが、手放した方がいい。
今は握りつぶすつもりだと言っても、あんたらの稼業は明日はどっちに向くか分からないんだろう。だからと言ってずっと持っているのはまずい」

236 :心霊写真5 ◆oJUBn2VTGE:2013/03/22(金) 23:10:58.74 ID:En49cf2N0
実にまずい。
師匠はそう繰り返したが、忠告は聞かれる様子はなかった。松浦は写真を懐に仕舞い、今度こそ腰を浮かせる。
「無視かよ。幽霊やら怨霊やらという生易しいものじゃないぞ。こいつは」
「では、なんですか」
師匠は言葉に詰まった。
「分からない。死んでいるのに、死んでいない。死してなお、その思想が生きている、とかそういう抽象的な話じゃない。なんらかの存在として、この世にある。そんな気がする。
半眼に薄っすら開かれた目。今も死の淵の向こうから、この世を覗いている」
御霊(ごりょう)……
ふと、その言葉が頭に浮かび、僕はぼそりと口にする。師匠と松浦がこちらに顔を向けたので、「いや、その」と手を振った。
師匠の言う怨霊という言葉から、歴史上の凄まじい祟り神であった、菅原道真や崇徳上皇、そして平将門などのことがふいに連想されたのだ。
世に怨念を撒き散らした彼らはまた、諡号をされ、神として祀り上げられることで鎮められた。だがその鎮魂は、恐怖に蓋をしたものであり、彼らの怨念がいつまた世に溢れ出すか分からないという畏怖の上に成り立っている。
「御霊か」
師匠はそう呟いて考え込んだ。
松浦は、ふ、と笑い、スーツのズボンに出来たわずかな皺を手で払った。
「お嬢さん、お話が出来て楽しかった。約束の報酬は、この事務所の正規の料金分でも受け取ってくれないのでしょうね」
「わたしが欲しいのは、ヤクザのいない日常だ。もう二度と顔を見せないでくれ」
最後まで師匠は口調を改めなかった。
松浦は顔色を変えることもなく、ただ「さようなら」と言って僕らに背を向けた。ドアノブに手を触れかけた時、じっと見ていた師匠が声を上げる。
「なあ、一つだけ教えてくれ」
「……なんです」
松浦は上半身を捻って顔を半分こちらに向けた。
「本家立光会の先代の落し種だって噂。わざわざ広めてるのは、あんたか?」
挑発的なその言葉に、松浦はなにも答えなかった。ただじっと師匠の方を見た後で、全く別のことを言った。

237 :心霊写真5 ◆oJUBn2VTGE:2013/03/22(金) 23:14:08.30 ID:En49cf2N0
「私が見ている世界は、あなたの見ている世界と似ているだろうか」
また、どこかで。
独り言のようにそう口にしてドアを開けた。その後ろ姿が消えて行くのを、僕と師匠は静かに見送った。

松浦が去った後、夜九時半になる前に僕らは小川調査事務所を出た。なんだか疲れ果てていて、今所長が帰って来てしまったら逐一何があったか説明するような元気はなかったのだ。
何ごともなかったかのように事務所を片付け、慌しく雑居ビルを出ると一階の喫茶店ボストンの入り口に、カクテルグラスの絵のプレートが掛けられているのが見えた。
髭のマスターが脱サラして始めたこの店は、昼間は喫茶店で、夜はバーになる。そのガラス戸から漏れる淡い光を見ていると、なんだか飲みたい気分になったので、そっと師匠にジェスチャーを送る。
さすがにこのボストンでは小川所長に見つかる可能性があったので、別の店に行くつもりだったが、師匠は背負ったリュックサックの肩口の捩れを直しながら「用があるから」とそっけなく言った。
「僕も行きます」
嫌な予感がした。この人はまだなにかする気なのか。そんな予感が。
いや、正直に言う。黒谷に、夏雄に会わせたくなかった。少なくとも二人きりでは。今はだめだ。
「勝手にしろ」
歩き出した師匠を追う。打撲を受けた場所がきしみ、痛みが走る。だから今はだめだ。
深入りするな、と言われた。だから今はだめだ。
なのに助けられた。だから今はだめだ。
無力感が込み上げて来た。
だから今は。
「結構歩くぞ」
振り返って言う師匠に、「大丈夫です」と痛みを隠す。
歩きながら師匠は松浦のことを少し話した。西署の刑事に聞いたことを。

238 :心霊写真5 ◆oJUBn2VTGE:2013/03/22(金) 23:18:27.76 ID:En49cf2N0
「あいつは若いころ、日ごろからいがみ合ってた親戚筋の若い衆と本格的にやりあったことがあった。攫って監禁してぶちのめしたらしいんだが、最終的に殺しはしなかったんだ。
腕を一本もぎとっただけだった。だけど、そのもぎとるまでに腕の付け根を縛ってな。血を止めて腐らせたんだ。その腕に蛆の卵を埋めたらしい。孵化しなかったら、殺すって宣言して。
その相手の男は自分の腕の肉を喰い破って蛆の幼虫が顔を出すのをひたすら願っていた。まるで薬物中毒者が見るような悪夢を」
「男はどうなったんです」
「助けられた時にはおかしくなっていたらしい。残ったもう一本も、もぎ取ってくれと喚いていたそうだ」
蛆が出てくるからだ。そう思ったに違いない。
松浦の蛇のような冷たい顔を思い出して、背中におぞ気が走る。そんな人間に。そんな人間と分かっていながら、師匠は怯みながらも決して引かなかった。
どうすればそんな師匠のようになれるのか。
僕はそのことを考えながら歩いた。繁華街を離れ、住宅街へと進む。路上に明かりは少ない。時々ぽつりと立っている街灯が、リュックサックを背負った背中を浮かび上がらせる。
やがて古びたアパートの前で止まる。見覚えのないアパートだ。
師匠は一階の右端の部屋のドアをノックした。返答はない。しかし格子の嵌った小さな窓からは明かりが漏れている。
少し強く叩く。時間が過ぎる。
ドアがほんの少し開く。師匠はすぐに半歩分離れる。
「誰だ」
見たことのない男の顔が半分だけ覗いた。警戒した表情。師匠はにこりと笑って言った。
「松浦に電話してくれ。探偵が、田村と話をしたがっていると」
男はギョッとした顔をした。そこへ間髪入れず畳み込む。
「小川調査事務所の浦井だ。松浦と田村から聞いているんじゃないか。心配するな。石田組の人間じゃないよ。もちろん他の組でもない。こんなかわいいヤクザがいるか?」
師匠の軽口に、男は慌てたように「待て、少し待て」と言ってドアを閉めた。
混乱している様子だった。

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