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【師匠シリーズ】トランプ 前編

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898 :トランプ 前編  ◆oJUBn2VTGE:2012/02/25(土) 23:48:34.64 ID:KKcRHKWO0
もっとも、このボストンは昼は喫茶店だが、夜になると酒と簡単なツマミを出すバーに変わるのだ。そちらは多少客が入っているらしい。
謎を解いてしまった僕は、その女の子からの電話が掛かって来るまで手持ち無沙汰になってしまった。
仕方なくカウンターに頬杖をつきながら、目の前で白熱するババ抜き勝負を見るともなしに見ていた。
タイマンなので、自分が持っていないカードは必ず相手が持っている。ようするにババ以外を引けばペアが成立するのだ。おかげで見る見る両者の手札は減っていったが、だんだんとババを引く確率が上がってきた。
ひかりさんが「あ~」と言ってくやしそうに引いてしまったババを自分の手札に入れ、入念にシャッフルを繰り返す。
お互い手札が残り四、五枚、というところで店の電話が鳴った。
マスターがカードを伏せて電話に出る。
「はい。喫茶ボストン」
「……」
電話の相手はしばらく何も喋らなかった。
思わずそちらに耳を寄せる。
僕はその無言の中に、なにか警戒をしているような空気を感じ取っていた。
やがてボソボソという声が漏れ、マスターが奇妙な表情を浮かべた。そして首をかしげながら、僕の方を見てこう言った。
「浦井さんはいますかって。女の子から」
浦井さん?
僕は思わず聞き返した。マスターは頷きながら受話器をこちらに差し出す。
浦井と言うと、加奈子さんの名字ではないか。
これはどういうことだ。
東西南北と1から13の数字に対応した漢字を合わせた名前で呼んで来るのではなかったのだろうか。
まったく関係のない電話かとも思ったが、タイミングが合い過ぎている。電話をして来たのが女の子であること。そしてここにいない人物の名前を呼んだこと。
それなのにどうしてそれが暗号表に出てくる名前じゃないんだ。

899 :トランプ 前編  ◆oJUBn2VTGE:2012/02/25(土) 23:50:05.55 ID:KKcRHKWO0
これではなんと答えていいのか分からない。
受け取ったものの、送話口を手のひらで塞いだまま僕は途方に暮れた。
もしかすると、その師匠になにかあったのかも知れない。考えもまとまらないまま、恐る恐る受話器を耳に当てる。
「はい」
すると女の子の声が聞えて来た。
『……あ、浦井さんですか。私が選んだカードはなんですか?』
無邪気な声。
マジックだ!
僕が予想した通りのマジック。女の子は、電話口に出たのが予知能力者か、あるいは透視能力者だと思っている。
なのにどうして、『浦井』なんだ。どうして。
手元の紙に目を落とす。なにか見落としていたのだろうか。
次第に高まっていく鼓動を抑えながら、目を皿のようにするがなにも見つからない。
『もしもし?』
女の子の声が不審そうな声色を帯びたのが分かった。
早くなにか答えないといけない。
ああ、ちょっとまってね、だんだん見えてきたよ、もう少し。などと言って間を持たせた方がいいのだろうか。しかし予知能力者だか透視能力者だか知らないが、どんな触れ込みで紹介されたのか分からない現状で、余計なことは言いたくなかった。
どうしよう。どうしたらいい。
師匠は僕に『頼んだぞ』と言った。どうすればその師匠の期待に応えられるのか。
うろたえて僕は喫茶店の中を見回す。狭い店内だ。マスターの趣味で帆船の模型がいくつか飾られている。
そのマスターはひかりさんと一緒に僕のことを見ている。カウンターにババ抜きのカードは伏せられたままだ。
四枚と五枚。ひかりさんの方が一枚多い。ああ。考えがまとまらない。
余計なことばかり考えている。奇数の方にババがあるのだろう。つまりひかりさんが今ババを持っている状態だ。どうしよう。どうしよう。あてずっぽうでも何か答えた方がいいのだろうか。ひかりさんが今ババを…… ババ……?

901 :トランプ 前編  ◆oJUBn2VTGE:2012/02/26(日) 01:18:17.84 ID:qCTJ1d4N0
その時、僕の脳裏に直感がやって来た。
ゆっくりと、電話の向こうの顔も知らない女の子に返事をする。
「きみが選んだカードは、ジョーカー。ジョーカーだよ」
電話口の向こうから息を飲んだような気配がした。
「それじゃあ」
僕はそう言って電話を切った。
ひかりさんが自分の手札からジョーカーを取り出して、不思議そうにそれを見ている。
僕はホッとして力が抜けた。思わず笑いが込み上げて来る。
「ジョーカーですよ。ジョーカー。あの人、ジョーカーを抜き忘れたんです。それを女の子に引かれたものだから、苦し紛れに暗号表に出てこない自分の名前を教えたんですよ」
「ああ」
とマスターは大袈裟に手のひらを打って頷いた。
「とっさに馬場さん、という名前にしなかったのはさすがに露骨過ぎたからですかね」
僕はひかりさんの手の中のジョーカーを指さした。
カードの中では道化師の恰好をした男が滑稽なポーズを取っている。
ひかりさんはそのカードを手札に戻し、軽く切り混ぜた。そしてマスターに向かって裏面を広げ、「かかってこい」と言う。
再開されたババ抜きを尻目に、僕は自分でコップに水を注いで息をついた。
さあ、新聞のスクラップの整理に戻ろうかな。と考える。もう少しサボっていたい気もするが、師匠の方の用事はこれで終わりだろう。
あの大量の新聞記事のことを思うと少し憂鬱になった。
もともと日付ごとに小川所長の興味を引いたローカル記事がきちんと並べられてファイリングされており、その日になにがあったかを調べるには都合が良かったのだが、ある特定の事件を遡って調べるには向いていなかった。
そこで今ある記事をすべてをコピーして、内容の種類ごとに分類したうえで、さらにそれを日付ごとに整理して別々のファイルに閉じる、という作業を命じられたのだ。
殺人、傷害、窃盗、詐欺、事故、火事、イベント、政治、行政などといった大まかなインデックスを小川さんが作ったので、それに合う記事を僕が片っ端から並べていくのだ。

902 :トランプ 前編 ラスト  ◆oJUBn2VTGE:2012/02/26(日) 01:19:03.11 ID:qCTJ1d4N0
しかしなかには分類が難しい記事もあり、単純に『その他』に放り込めればいいのだが、例えば強盗殺人のあと放火した、なんていう複合的な記事はどこに入れていいのか分からない。
小川さんに訊くと、少し考えた後で「それぞれの分類のとこにコピーして閉じといて」と言う。
余計に仕事が増えた。ファイルの数も倍になるかと思いきや、倍ではきかないようだ。
時給さえちゃんともらえればいいのだが、あまり客の訪れない事務所や、小川さんのだらしないスーツの着こなし方、そしていつもの半分ふざけたような態度を思い出すにつけ、バイトを三人も使うような甲斐性があるとは思えなかった。
今のところ、バイト代は雀の涙にせよちゃんと月末にもらっているが、いつ遅配になるかわからない。
その事務所を通して依頼のある心霊現象に関する事件は、師匠のライフワークとも言える仕事であり、水を得た魚のようにいきいきと動く彼女を見ているだけで僕は幸せな気持ちになれた。
しかしそうした依頼で助手を勤める以外では、あまりこの零細興信所に深入りしない方がいいかも知れないと思い始めていた。
さあ、憂鬱な作業に戻ろうかと腰を浮かしかけた時だった。
カウンターに奥に戻されていた黒電話がふいに鳴り始めた。
「はい。喫茶ボストン」
マスターがいつもの調子で電話に出ると、「ああ」と言って僕に受話器を向ける。
「加奈子ちゃんから」
なんだろう、と思いながら電話に出ると、明るい声が聞こえてきた。
『悪かったな。ミスっちゃって。ジョーカーのことをすっかり忘れてたよ。しかし、とっさに良く気づいたな。助かったよ、ありがとう』
「貸しですよ、貸し」
加奈子さんは、生意気な、と言って電話の向こうで笑っている。
「ていうか、仕事とか言って何を遊んでたんですか?」
『いや、遊んでたわけじゃないぞ。あれも立派な仕事で……』
『浦井さんはいますか』
え?
師匠が電話の向こうで何か言い訳をしている。
しかし、その声に重なるように、別の声が聞こえたのだ。

続き→トランプ 後編(pixiv)

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