【師匠シリーズ】M.C.D.

368 :M.C.D.  ◆oJUBn2VTGE:2012/01/02(月) 23:52:32.68 ID:93PkLSJW0
いや、違う。違うと思う。あまりに鮮明な音だからだ。
ダーク……
ざわめきの中にそんな悲鳴が聞こえる。のけぞって耳を塞いでいる人もいた。
ダーク。
すぐ隣の人が呻いた。
なんだ、いったい。
僕は師匠の方を見た。周囲のタテ乗りが凍りついたように止まり、その人の壁に身体を半分挟まれたまま身動き出来なくなっているようだ。
ステージの方に目をやると、ボーカルがきょとんとした顔をしてマイクを口から離した。その瞬間、ぞわっとするような得体の知れない声がホール中に響いた。
日本語だった。今度は音が割れ、内容はよく聞き取れなかった。
恐慌が。
起ころうとしていた。それだけは分かる。
恐怖に腹の底が冷えた。辺り一面から悲鳴が上がる。わけの分からないままとっさにその場を引こうとする。
同じようになにが起こっているのか分からないらしい女性が、隣の連れらしい男の袖を引いている。その男は両手を突き出して喚いた。
その男や他の周囲の人間の悲鳴を解読すると、その内容はこうだ。
レベルダークのボーカルの声が聴こえる。数ヶ月前に泥酔して自動車を運転し、事故を起こして死んだはずの男の声が……
レベルダークというバンドはこのライブハウスのかつての常連で、M.C.D.とも何度か対バンをしていたらしい。だが、確かにそのボーカルは死に、とっくに解散してしまっていると言うのだ。
いつの間にか曲は止まっている。ステージの上のメンバーたちは戸惑ったように自分たちの周りを見回している。
また聴こえた。
マイクは驚いたボーカルの手から床に落ちている。なのに歌が聴こえる。
悲鳴が連鎖していく。
まずい。
背筋に冷たいものが走る。この状態でパニックになれば無事では済まない。
師匠の服の背中のあたりを掴んで、挟まれた人の壁から引き抜こうとする。早く逃げないと危険だ。焦って指先から布地が抜ける。また掴もうとする。
その時だ。
ドラムセットに座っていた男が急に立ち上がり、ステージから飛び降りた。

369 :M.C.D. ラスト  ◆oJUBn2VTGE:2012/01/02(月) 23:54:48.35 ID:93PkLSJW0
凄い形相で、最前列にいた観客に向かってなにごとか叫ぶ。その剣幕にたじろいでその周辺の人壁が割れた。
ドラムの男は鉄柵を越え、そこへ飛び込んでいった。そして人々の群を掻き分けながら斜めに進み、壁際にたどり着いた。僕から見て、右手前方だ。
その壁際に張り付くように、一人の男性の姿があった。その横顔には見覚えがあった。
二曲目の冒頭、あの違和感を感じた時の顔。一人だけステージではなく客席の方を向いていたあの蒼白い顔だ。
その顔が一瞬、怯えたように歪む。
しかし次の瞬間、その顔があった場所に黒い突風のようなものが叩きつけられた。破壊的な音がして、天井の照明が揺れた。
ドラムの男が殴ったのだ。蒼白い顔を。いや、殴ったのは壁だ。顔は消えている。
消えた?
壁際にいた人間が一人、消えてしまった。
いや、人間ではなかったのか。
立ち尽くす僕の目の前で、人の群が逆流を始めた。われ先にとみんな出口へ向かって逃げて行く。その中でもみくちゃにされながら、僕はなんとかその場に留まろうとする。なにが起こったのか。それが知りたくて。
嵐のような時間が過ぎ、気がつくと僕の目の前には師匠の背中があった。
もう人の壁はない。
師匠はゆっくりと、前方の壁際に進む。
「夏雄」
そう呼びかけながら。
ドラムの男は、自分の右拳を見つめている。拳の先から肘の辺りまで血が滴っている。壁にはその破壊の痕跡として大きな穴が残されている。凄まじい光景だった。
男は拳から目を離し、師匠を見てにやりと笑う。見上げるような長身だ。シャツ一枚身に着けていない上半身には鍛え抜かれた筋肉が張り付いて、蒸気のような汗が立ち上っている。
そいつが師匠にチケットを渡した男だ。
それが分かった。
心臓が冷たく高ぶる。どうしようもなく。
こいつに、勝たなくてはならない。
僕にはそれが分かったのだった。

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