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【師匠シリーズ】刀

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345 :刀  ◆oJUBn2VTGE:2009/10/02(金) 22:49:13 ID:o7OYvvFV0
庭と言うより庭園とでも言うべき景色を見ながら石畳の上を歩いて玄関にたどり着くと、ガラガラと戸が開いて和服姿の老人が出迎えてくれた。
「倉持です」
痩身から引き締まった表情の顔が伸びている。七十年配だと聞いていたが矍鑠とした姿はもう少し若く見えた。
「どうぞ、お上がりください」
値踏みするように師匠を見つめながら右手を流す。
僕は緊張したが師匠は平然と靴を脱いで倉持氏の後をついて行った。
涼しげな音をさせる板張りの廊下を進み、僕らは庭に面した広い和室に通された。
「いまお茶を」と倉持氏が消え、ほどなくして戻って来たときにはお盆の上に高級そうな和菓子も一緒に乗せられていた。
主人と客がそれぞれに居住まいを正し、もう一度名乗りあった。
僕もおずおずと名刺を差し出す。
「坂本さん」
まだその響きに慣れない。偽名を使うのは所長に無理やりあてがわれたからだが、いつもこの嘘が見抜かれないかと不安になる。
僕の将来に対する配慮らしいが、そんなやっかいごとに巻き込まれる可能性を恐れるならそもそもこんな師匠みたいな人について回りはしないのだが……
「僕の方は助手というか、あの、ただの付き添いです」
口調が気に入らなかったのか師匠が「堂々としてろ」と目で発破をかけながら僕の足を小突いた。
「さっそくですが、ご依頼の品をお見せいただきたい」
契約に関するやりとりを終えて、師匠はそう切り出した。
「ええ、いま」
倉持氏は両手をついて立ち上がった。
二人だけになった部屋で僕は師匠に声をひそめて話しかけた。
「なにか感じますか」
静かな日本家屋は外の蒸し暑さが心なしか緩和されたような空間で、少しづつ汗が引いていくのが心地よかった。
師匠は畳から壁、そして天井の四隅へと首を巡らせた後で「なにも」と言った。

347 :刀  ◆oJUBn2VTGE:2009/10/02(金) 23:01:12 ID:o7OYvvFV0
僕も同感だった。心霊現象の気配などなにも感じない。どうやら倉持氏の思い込みの可能性が高いようだ。
ということは、自分の所有する蒐集物の中に人を斬った刀があって欲しいという彼の願望がいかに強いかということを暗に示している気がして、少し気が重くなった。
先だっての勉強会で金銭の多寡を超えたその付加価値の存在を認識してしまったことが彼の精神に与えた影響は大きいと思わざるを得ない。
そしてそれはこの依頼の難易度にも関わる問題だった。
もし刀を見ても師匠がなにも感じ取れなければ、その通り告げて終わるというものではないかも知れない。
だからあの倉持氏のいかめしい表情のことを思うとどうしても気が重くなるのだった。
「お待たせしました」
その当人が戻って来て座につく。想像に反してその手は空だった。
そんな僕らの視線に反応して軽く笑みを浮かべる。
「ご鑑定いただくものは別室に用意してあります」
その前に、と倉持氏は含みを持たせるように少し間を置いた。
「ご評判を伺って相談した次第ではありますが、こうしたことは私も初めてですし、テレビなどで霊能者の方を拝見することがありますが、なかなかどうして皆さんそれぞれにやり方も違えば仰ることも違いますのでね、なんと申しましょうか、ま、私もそうした方にお会いする機会もなく、いったいぜんたいどういうものなのだろうと、こう思う所もございまして」
師匠の顔が曇った。
回りくどい言い方だが、ようするに証拠を見せろと言っているのだ。人を斬った刀かどうか人知を超えた力で鑑定するのというのだから、それが何の能力もない人間に適当なホラを言われたのではたまらないということか。
自分から頼みに来ておきながら、したたかなものだ。
どうするのかと思って見ていると師匠は軽く息を吐いて「いいでしょう」と言った。
「私は死者の霊と交感することができます。ですから、もし人を斬り殺した刀があればそこにこびり付く死者の霊を見ることができるでしょう。……たとえばあなたの背中に今も寄り添う奥様のように」

348 :刀  ◆oJUBn2VTGE:2009/10/02(金) 23:03:40 ID:o7OYvvFV0
空気が変わった。倉持氏の顔が緊張で震える。
「どうしてやもめだと?」
「見えるからですよ。そして奥様は私に様々なことを教えてくれます。あなたは先代から続く食料品の卸業で立派な家を建てられた。今では息子さんに会社を譲られ、悠々自適に暮らして趣味を楽しまれている。隣に並んでいるのがその息子さん夫婦の家ですね」
コールドリーディングだ!
僕は興奮した。
たぶん奥さんの霊が見えるというのは嘘だ。さっきこの家になにも感じないと言ったばかりだから。
ということは師匠は実際に目にしたものや、相手との会話から情報を引き出しているに違いない。
インチキ霊能力者と同じ手口を使っているのだ。そうして信用を勝ち取ろうとしている。
なんて人だ。
僕は畏敬と呆れるような思いが入り混じったモヤモヤした気持ちのまま、その師匠がどこで情報を得たのかと目を皿のようにして倉持氏の身に着けているものや部屋の間取、家具などを探った。
そしてこれまでのやりとりを思い浮かべる。
そう言えば倉持氏自身がお茶を運んで来たことなどは今現在独り身であることを示唆しているようにも見えるが、たまたま奥さんが外出中であったり、病院に入院中であったりというケースだって考えられる。
僕にはまったく想像がつかない。どうやって師匠はここまで推理できたのか。
「息子夫婦は確かに隣に住んでおりますが、今も息子のやっている食料品の卸の屋号は私の名字と同じです。広いようで狭い街です。聞き覚えがあったのではないですか」
倉持氏は震える声で、それでも頑張っている。
「いえ、残念ながら。それと奥様はあなたのご病気を心配されていますね。……心臓ではないですか。倒れたこともおありのようだ」
「む」
倉持氏は息が詰まったような声を漏らした。


351 :刀  ◆oJUBn2VTGE:2009/10/02(金) 23:08:08 ID:o7OYvvFV0
「これ以上は今回の依頼内容からは逸脱しますので、別の機会に願いたい所ですが。信じる信じないはお任せします」
師匠はふっ、と力を抜いた表情を見せて続けた
「奥様はとてもお綺麗な方ですね。みさこさん、とおっしゃる」
張り詰めた空気が破れ、倉持氏は「失礼」と言って胸元を押さえたまま部屋を出て行った。
僕も驚いていた。気持ちが悪いものを見る目で師匠を見てしまう。
「どうしてわかるんです」
恐る恐る訊いてみると、師匠は涼しい顔をして言い放った。
「知ってたから」
そんなはずはない。依頼人の名前も今日聞いたばかりだ。それも師匠自身は約束をすっぽかしたせいで今の今までその倉持氏とやりとりもしていない。
これは僕の知らない師匠の霊能力なのではないかと、寒気のする思いを味わっていると鼻で笑うような言葉が降って来た。
「あのな。こういう霊能力を期待してるような依頼人と会う時は、会う前から情報収集するのがセオリーだよ」
会う前から? そんなバカな。師匠は僕とずっと一緒にいたじゃないか。僕にはそんな情報、入っていない。
横から試されているような目で見られていると、ハッと気付いた。
そうだ。事務所から出る時、師匠だけ引き返して行った。あの時だ。
お金の無心をしにいったと単純に思っていたが、もしその所長との交渉が一瞬で終わっていたとしたら、僕が下でウエイトレスと立ち話をするだけの空白の時間ができることになる。
「今回の依頼って、私の噂を聞いて名指しで来たって言ってたよね。自分で言うのもなんだけど、私なんか全然有名じゃないし。そんな噂をするのなんて、前に依頼を受けた人に決まっている。その中で日本刀趣味の七十過ぎの爺さんと交友関係がありそうな人なんて数が限られるよ。というか、もうだいたいそんな噂を広めてるの、あの婆さんに決まってんだけど」

352 :刀  ◆oJUBn2VTGE:2009/10/02(金) 23:11:18 ID:o7OYvvFV0
師匠は具体的な名前を一人出した。以前、心霊現象の関わるある事件を解決してからやたら気に入られてしまい、感謝と親切心のつもりで様々な場所で頼みもしないのに宣伝をしてくれているのだそうだ。
「事務所から電話して、その婆さんからできるだけ聞き出した」
つまらなそうに言う。
コールドリーディングじゃなかった。
同じようにエセ霊能力者が良く使う技術で、もっと直接的かつ身も蓋もない裏技。ホットリーディングだったのだ。
そしてその情報を元に、死者の霊との交信を演じて見せたわけか。
凄いと思うと同時に、なんだかやり口が手馴れていて気持ちが悪かった。
この人、その道でもやっていけるんじゃないかと思ってしまう。
「失礼しました」
襖が開いて、また倉持氏が戻って来た。薬でも飲んできたのか、多少青ざめてはいるものの落ち着いた様子だった。
「大変ご無礼を申しました。どうかお気を悪くなさらずに」
僕らよりよりはるかに年長者である老人が頭を下げるのを見て、なんだか後ろめたい気になったが、おどおどしているわけにもいかない。
なるべく無表情を心がけた。
「では、刀を見ても?」
「は、はい。こちらです」
案内を受けて部屋を出、廊下を抜けて別の部屋へ入った。
さっきと同じような造りの和室だが、三、四畳分は優に広い。そして室内には刀掛台がいくつも並べられており、そのどれにも存在感のある日本刀が飾られていた。
数えると大小あわせて十本。ちょっとした光景だ。
「すぐ戻ります」
倉持氏はなにかに気付いたような顔をして部屋から出て行った。
残された僕らはその場に立ったまま刀剣の立ち並ぶ様を眺める。
「なあ、あれ、間違ってるよ」
師匠がおかしそうに指をさすので、なんだろうと思ったがその先には黒漆の一本掛の台に飾られた一振りがある。

354 :刀  ◆oJUBn2VTGE:2009/10/02(金) 23:16:02 ID:o7OYvvFV0
背が反っており、腹にあたる部分が下向きになっている。他の六本はすべて逆に腹を上向きに出っ張らせている。
一つだけ掛け方が異なっているので、間違っていると思ったらしい。
「あれはタチですよ」
小声で注意する。
「え?」
「太刀です。打刀より古い型の武器です。馬に乗って戦うことを前提に作られたもので、刃を下にした状態で腰に吊り下げて使います。『佩く』って聞いたことあるでしょう? いわゆる刀の方は刃を上にして腰に差します。だから台に掛ける時もそれにあわせてるんです」
「なんで刀は刃が上なの」
「戦さの時だけじゃなくて、武士が普段から持ち歩くものになっていったからですよ」
「持ち歩くとなんで刃が上なの」
「下だと刀身の重みで刃が鞘の内側にあたって痛むからです」
へえ。という顔をして師匠はしきりに頷いている。
実は適当に言ったのだが、たぶん当たらずとも遠からずのはずだ。
それにしても、と僕は少し身体を引いた。
当然、それらは茎(なかご)を抜いた状態、つまり裸で並べてあると思っていたからだ。鑑定と言う言葉のイメージがそうさせたのだが、しかし確かによく考えてみると霊能力で鑑定するのだから、柄の内側に隠れている銘など確認する必要はない。
むしろ余計な先入観を与え、鑑定の信憑性を疑う結果になるだけだろう。
この依頼人はなかなかにしたたかな人物だ。
師匠がその太刀に近づこうとした時に倉持氏が戻って来た。手に布を持っている。
そう言えば今日は蒸し暑さのせいで手も汗ばんでいた。
ということは鞘から抜かせてはくれるようだ。
布を受け取り、汗を拭く。師匠もそれにならう。
「抜いても?」と顔を向けると、老人は無言で頷いた。
僕は左端の黒く落ち着いた拵えが印象的な一振りを手に取った。
そして鞘を持つ左手を腰に引きつけ、右手で柄を握ると棟を鞘の中で滑らせながら真っ直ぐに抜いた。

355 :刀  ◆oJUBn2VTGE:2009/10/02(金) 23:20:39 ID:o7OYvvFV0
刀身を見て、すぐに白いもやの様な線に気付いた。持ち手から斜めに上がっている。
水影だ、と思った。
二度焼きした時に出る線だ。二度焼きは再刃と呼ばれ、その刀の持っていた本来の価値を大きく損なうものだ。
がっかりしかけたが、よく見ると再刃特有の刃紋の濁りもなく美しい形を保っている。水影がそのまま映りにつながっているところを見ると、これは逆にそうした趣向なのだと気付かされた。
姿からすると堀川物かも知れない。だとすると案外これは値が張る。
持つ手が少し緊張した。
その隣では師匠が別の刀を手に取り、同じく鞘から抜こうとしている。しかし危うげな手つきで、しかも胸の前で刀を横にして左右に力を入れて引き抜こうとしていた。
僕は思わず首を振って注意する。
自分の左手の鞘をもう一度腰にあてて、さっきの僕と同じように抜けというジェスチャーをした。
刀身を晒している時は喋らないのがマナーだということは雰囲気で察してくれたらしい。
師匠は無言のまま見よう見まねで腰から引き抜いた。
唾がつくと錆の原因にもなるので、刀剣を鑑賞する時には会話は慎むのが普通だ。そのために懐紙を咥える習慣さえあったのだ。
刃を上にして抜くのも鞘の内側に擦らないようにするためだ。横にして左右に抜くと、刃を鞘に押し付ける形になり、鞘も痛めるし刃にも「ひけ」という傷がつくことがある。
こんなに素人とは思わなかったのでドキドキしながら師匠の動きを注視していたが、その手に現れた刀身に思わず目が行った。
あまりに滑らかな肌、そして刃紋。
現代刀だ。
木製の漆台も二本掛けで、大小が揃っている。残された脇差の拵えも全く同じ意匠で、しかも鍔に見覚えのある家紋があしらわれている。
さっきの部屋にあった桐の箪笥にあった家紋と同じだ。倉持家の家紋なのだろう。
ということは注文打ちに違いない。
ここで僕の頭は回転を早めた。
まずいな。

357 :刀  ◆oJUBn2VTGE:2009/10/02(金) 23:24:41 ID:o7OYvvFV0
師匠はこのあとどうするつもりなのだろう。
もしなんの霊感も働かない場合、正直にそれを依頼人に告げるだろうか。依頼人は自分のコレクションの中に人を斬った刀があることを望んでいるのだから、そんな結論にあっさりと納得するだろうか。
安くない料金を興信所に払い、その代償としてお金に代えられない付加価値を見出す、というのが倉持氏の目的なのだろうから、逆にそんな刀はないというお墨付きを得た結果になると、これは酷い意趣返しだ。
もし倉持氏がそんなことを想定もしていないような短絡的な人物だったなら、面倒なことになりそうだ。
だから、いっそ師匠は霊視まがいのホットリーディングで見せたようなプロ意識と言うか、割り切った考え方をして「どうせわかりっこないから」と出まかせを言う可能性があるのだ。
たとえば、「この刀はかつて人の生き血を吸っています」と。
その発言がもし今持っているその現代刀に対して飛び出してしまうと実にまずいことになる。
そんなワケないからだ。
けれど師匠はそれを知らない。その刀が最近打たれたものだということを。
せめて家紋に気付いてくれ、と祈りながら師匠を横目で見ていると、首を振りながら難しい顔をした。
(違う)
そう言っているようだ。
僕は手の内の刀を一通り鑑賞したあとで鞘に収めた。師匠もそれにならう。
「これらはすべてご自分で?」
師匠の問い掛けに倉持氏は頷いた。
「ええ。若いころからの道楽で、自分で買い集めたものです」
期待するような目を向けてくる。
それから僕らはそれぞれすべての刀剣を抜いた。もちろん一振りだけある太刀も。
どれも高そうなものばかりだった。しかし新刀、新々刀、現代刀と、どれも時代や体配が異なり、あまり蒐集物にこだわりは感じられない。
銘が見てみたかったが、とりあえずここは師匠に任せることにする。
「拝見しました」

358 :刀  ◆oJUBn2VTGE:2009/10/02(金) 23:28:22 ID:o7OYvvFV0
座布団の上に居住まいを正し、依頼人に正対する。
「ありません」
きっぱりした口調に倉持氏の顔が強張る。
「ないと」
「はい」
窓ガラス越しに庭の白い砂の照り返しが射し込み、師匠の横顔を照らしている。
背筋を伸ばして前を見据えるその前髪をわずかに開けた窓から吹いてくる風が揺らす。
「少なくとも、人を斬り殺したような痕跡は見つかりません。殺された人間の怨念や情念は全く感じない。以前人を刺した包丁を見たことがありますが、何年経ってもそこに残る怨念は消えていませんでした。もっとも刀のそれははるかに古いものでしょうから、消えてしまうものなのかも知れませんが。いずれにしても私には見ることができませんでした」
お役に立てず、残念です。
師匠は軽く頭を下げた。
倉持氏はなにかを言おうとして口を開きかけたが、すぐにつぐんだ。あまりにはっきりとした否定に、反論をすべきか迷っているようにも見えた。
信じたくなかったらそれでいい。別の霊能力者を探して同じことを頼めばいいだけだ。
ただ、誓ってもいいが、まず自分で霊能力者を名乗るような人間なら、今僕らがなにも感じられなかったこの刀の中の一振りを無責任に指差すに違いない。
そんなことで満足するならどうぞ御自由に、というところだ。
「そう、ですか。しかし……そんな……では……」
師匠の視線から目を逸らし、倉持氏はぼそぼそと歯切れ悪く放心といったていで呟いている。
見つからなかったからと言って、規定の料金を負けてやるわけにもいかない。その分多少の愚痴はじっと聞いてあげるしかないだろうと覚悟していた。
しかし依頼人は妙に落ち着かなげな様子をしていたかと思うと、その表情に不穏な翳りが覗き始めた。
落胆しているのかと思って見ていたが、その目の色に浮かぶものはそれとは少し違うように感じられた。
なんだろう。師匠も怪訝な顔をしてじっと目の前の和服姿の老人を見つめている。

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