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【師匠シリーズ】引き出し

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137 :引き出し やりなおしorz ◆oJUBn2VTGE :2009/02/22(日) 22:55:25 ID:vbLvaS0Q0
大学三回生の夏だった。
早々にその年の大学における全講義不受講を決めてしまった俺は、バイトのない日には暇を持て余していた。特に意味もなく広辞苑を一ページ目から半分くらいまで読破してしまったほどだ。全部をやりとげないあたりがまた俺らしい。
ともかくそんな屈折した毎日に悶々としていたある日、知り合いから呼び出しを受けた。
かつて、都市伝説などを語らう地元の噂系フォーラムに出入りしていた時に出会った、音響というハンドルネームの少女だ。
このあいだまで別の名前でネット上にいたらしいが、「音響」時代を知る俺と二年振りに再会してからなにか思う所があったらしく、またそのハンドルネームを名乗っているようだった。
いったい何の用だと訝しく思う気持ちもあったが、黙って座っていると周囲の男どもがチラチラ視線を向けてくる程度には可愛らしい容姿をしている彼女なので、悪い気はしない。
ただその視線の半分はゴシック調で固めたそのファッションに向けられる好奇の目であったかもしれないのだが。
指定されたカレー屋で待ち合わせ、少し遅れてやってきた彼女ととりとめもない話をする。
カレー屋陰謀論という頭の痛くなりそうな理論を淡々と語る彼女に、「カレーを食べた後に犯罪を犯す人が多いというのは、単なる蓋然性の問題。それだけ食される機会の多い料理だということ」と反論すると、「蓋然性ってなに」と聞いてくる。
「蓋然性ってのはつまり、ネジにたとえるなら、その絶対量からしてバギーちゃんのかけらというよりはポセイドンの部品なんじゃないかなってことだ」と言うと、「バギーちゃんってだれ」と返される。
「ドラえもんの大長編って見たことない?」と聞くと、「ない」
そこで会話が終わった。
歳は確か俺の四つ下のはずだ。これもジェネレーションギャップなのか。

140 :引き出し ◆oJUBn2VTGE:2009/02/22(日) 23:01:49 ID:vbLvaS0Q0
俺もリアルタイムではないが、普通ドラえもんの映画版はビデオや漫画で見ているのものだと思い込んでいた。
なかなか本題に入らない。イライラしてくる。
そう言えば、いまさらのようだが、この女は信用ならない。過去に、騙されて恐ろしい目にあったことが一度ならずあったからだ。
デートしよう、などというメールの文面は、こんにちは程度の意味に取るべきだろう。
心理的な壁を作ろうと、少し身を引いた時だった。急に音響が立ち上がり、「こっちこっち」と入り口に向かって手を振った。
黒い。
俺には理解できない黒いファッションに身を包んだ十六、七歳と思しき少女がやってきた。音響と同質の格好だが、もっと黒い。
そしてあろうことか髪は銀色。薄っすらパープルの口紅。そしてエメラルドグリーンのカラーコンタクト。
少女は重そうなスカートを翻して俺の前の席についた。
「るりちゃん。なんかこむづかしい字を書く」
少女は紹介に軽く頭を下げてから、その音響に顔を寄せてひそひそと耳打ちをする。
「王は留まり、王は離れる、って」
音響は頷きながらそう言った。
頭の中で字を思い浮かべる。『瑠璃』か。
それが本名なのかナントカネームなのかわからないが、とりあえずこちらも会釈せざるを得ない。
「で、なにこれ」
俺の言葉に音響があっけらかんと言う。
「紹介するって言ったでしょ」
頭を抱えそうになる。
あれか、ともだちを紹介するってやつ。確かにそんな話をした覚えがあるが、俺は別の世界の人間とつきあう自信はない。なにより俺には今、特定の相手がいる。

142 :引き出し ◆oJUBn2VTGE:2009/02/22(日) 23:06:05 ID:vbLvaS0Q0
困惑した顔を隠さない俺に、瑠璃ちゃんとやらは目をぱちぱちと瞬いて、哀しそうな表情を見せた。
もっともそれが怒っている顔だと言われたらそうとも見えてしまうだけの、微妙な変化に過ぎなかったのであるが。
「紹介するって言ったの忘れた? メチャ可愛くて困ってるともだち」
ちょっと待った。
修飾語が一つ増えてる。紹介されるのは確か、「メチャ可愛いともだち」だったはずだ。
「困りごとの相談がある?」
黒いのが二人して頷く。
きた。
こんなことだろうと思った。音響は俺のオカルト道の師匠並みに、あやしいものへ首を突っ込みたがるフシがある。そしてその尻拭いをこれまでに二度してしまったのが運の尽きで、どうやら懐かれてしまったのかも知れない。
「ちゃんと言ったでしょ。可愛くてメチャ困ってるともだち紹介するって」
修飾語の順番が変わった。
猛烈に嫌な予感がする。
注文したカレーが来たので、とりあえず食べることにした。
これが本格的というやつなのか、やたら具が少なく複雑なスパイスの風味が鼻に来る。
俺は目の前で黙々とカレーを食べている二人の少女を窺う。あんな服どこで売っているのだろうか。それに、服に合わせた化粧をしているようだが、外に出るたびにこれではさぞや時間が掛かることだろう。
瑠璃と名乗る少女が、ふいにスプーンを持つ右手を止めて「迷惑ですか」という目で問いかけて来た。
はっきり「そうだ」と言えないあたり、自分で自分が嫌いになる。
それにしても、その黒ずくめの服装に白い肌、銀色の髪に緑の目と揃うとまるで人形のようだ。音響の方がまだしもファッションの枠の中で留まっている気がする。

143 :引き出し ◆oJUBn2VTGE:2009/02/22(日) 23:08:52 ID:vbLvaS0Q0
その不思議な色の瞳を見ていて、ふいに思い出す単語があった。
『緑の目の令嬢』
なんだっけこれは。頭の中で数回繰り返す。みどりのめのれいじょう。
そうだ思い出した。モーリス・ルブランの小説、ルパンシリーズの一編だ。
怪盗アルセーヌ・ルパンが緑の目の少女に出会い、彼女の受け継ぐ莫大な遺産をめぐる事件に関わっていく話で、確か湖の底に隠された古代ローマの遺跡なんかが出てきた記憶がある。
そう言えば昔読んだ時には、頭の中で勝手に緑の目の少女のビジュアルに孫の方の『カリオストロの城』に出てくるヒロイン、クラリス姫を嵌め込んでいた。
その少女は、名前を何といっただろう。忘れてしまった。結構好きだったのに。
カレーをスプーンで掬い、スープのように啜ることしばし。
思い出した。
「オーレリーか」
ボソリと口をついて出てしまった。
音響がそれを聞いて、驚いた顔をする。
「どうして知ってるの」
その驚き様にこっちの方が驚く。
「俺がルパン読んでちゃ悪いのか」
「別に悪くはないけど」
なんなんだ、こいつ。ドラえもんの大長編は見てないくせに、ルパンシリーズは読んでるのか。確かに、別に悪くはないが。なんだか釈然としない感じだけが残った。
「で、なにがあった」
食べ終わって、水に手を伸ばす。音響が瑠璃を肘で小突く。瑠璃が音響の耳元に唇をよせてボソボソと話す。やがて音響がこちらを向く。
「瑠璃ちゃんは低血圧なのよ。で、朝起きた時にしばらく動けないんだって。その目が覚めてボーっとしてる時に、部屋で変なことが起きるんだって」
また続きを音響に耳打ちする。


145 :引き出し ◆oJUBn2VTGE:2009/02/22(日) 23:11:58 ID:vbLvaS0Q0
「瑠璃ちゃんのベッドのそばに小さいタンスがあって、中に下着とか小物とかが入ってるんだけど、その引き出しのひとつが開いてるのね。夜寝る前には全部閉まってたはずなのに」
この「初対面の人には声を聞かせません」とでもいいたげなキャラ作りに、だんだんと苛立ってきた。格好といい、自分が普通じゃないことをそんなにアピールしたいのか。
俺の苛立ちを気にもせず、音響の通訳は続く。俺はどっちの顔を見ながら聞いていればいいのか迷いながら、交互に視線を向けた。
「あれっ? 変だなって思ってると、その開いた引き出しから何かがチラッと動くのが見えて、そこに意識を集中しているとゆっくりじわじわ、なにか白いものが中から出てくるのよ。すぐに人間の手だってことはわかるんだけど、もちろん誰かが中に隠れちゃえるような引き出しじゃないし、指が見えて・手のひらが見えて・手首が見えて・腕が見えて・肘が無くて・ズルズルありえないくらい伸びて。でも動けなくて。目が逸らせなくて。怖くて。それからその手が何かを掴んでまたズルズル引き出しに戻っていって、ズルって全部隠れて見えなくなったらやっと起きられるの」
デジャヴを感じた。
何故だろう。ゾクゾクした。この話は、まるで金縛中に起きるバッドトリップのようだ。もしくはただの夢か。
「それ、起きられるようになるまでは、ほんとに動けないのか? それから起きられるようになるのって、急に? そこで、開けてたはずの目が、もう一度開いたような感覚がない?」
音響が通訳する。動けないというよりは、動きたくないって感じの十倍濃縮版。起きるのは急に。そんな感覚ない。
「動きたくない」という感覚は、金縛りのパターンからは外れるようだ。金縛りはたいていの場合「動きたい」はずだ。それに入眠時幻覚の類にしても、朝の目覚めの時におこるというのはよくわからない。そんなこともあるのだろうか。覚醒時幻覚とでもいうのか?

149 :引き出し ◆oJUBn2VTGE:2009/02/22(日) 23:16:34 ID:vbLvaS0Q0
低血圧というのがそもそもあまりイメージがわかない。
それにその「手」はなんだ。
「動けるようになってから、引き出しを見たらどうなってる?」
「開いたまま。中を覗いてみても何もない。下着とか靴下とかだけ」
「その手が掴んでタンスの中に引きずり込んだものって、なに?」
「わからない。覚えてない。多分、それを見ている時には知ってたはずなのに、消えた時には思い出せなくなってる」
なるほど。何が無くなったかも分からないわけだ。つまり、この出来事は何も消えたものがなくても成立する。
ふと、以前読んだ本のことを思い出した。そこには、夢は不要な短期記憶を脳の引き出しの奥深くに沈めて、頭の中を整理している最中に再生されるフィルムの断片なのだと書いてあった。
断片の中には脳を活性化させる強い記憶もあり、それらを合成し理解しうるものに再構築されたものがレム睡眠時に上映されているもので、そこからカットされた断片は脳の記憶野を圧迫しないように「忘れられていく」のだと。
それが本当のことかは知らない。ただ俺は「引き出しの手」になにか寓意的なものを感じざるを得なかった。
「もしかして、その手が掴んでいったものって、自分にとって要らないものだったんじゃない?」
二人でボソボソと相談でもするように耳打ちしあってから、瑠璃は首を左右に振る。
「大切なものだったかも知れない。それさえ分からない。ベッドから体を起こして、自分の部屋を見回したら、何か大事なものを無くしてしまったような気がして、とっても悲しくなる」
今聞いているこの話が単純に彼女たちの嘘ではないとしたら、気持ちの悪い話だ。ますますゾクゾクしてくる。嫌いではない。この感覚は。
「それが何度も続けて起こるのか」

151 :引き出し ◆oJUBn2VTGE:2009/02/22(日) 23:20:34 ID:vbLvaS0Q0
「一ヶ月くらい前から。二、三日にいっぺん。あ、でも最近は毎日かも、だって」
俺は少し考えた。カンカンと、使わなかったスプーンの柄で机を叩く。
「本当に何かが部屋から消えているのか、知る方法がある」
二人の少女がこちらをじっと見ている。
スプーンで目の前を払う真似をして、続けた。
「その部屋から、ベッドと引き出し以外、全部外に出す」
少しして、息を吸う音がかすかに聞こえた。
「そうすれば、もし手が出てきて、『何か』を掴んで引き出しに消えていったと感じたなら、その喪失感は錯覚だ、ということになる」
何も部屋になかったことは確認済みなのだから。
俺は、上手いことを言ったつもりだった。我ながら良いアイデアだと思った。けれど、瑠璃が体験したというその不可解な出来事を夢、もしくはなんらかの幻覚だと半ば決め付けていた俺と、そうではない彼女自身との間には大きな発想の隔たりがあったのだ。
瑠璃はふるふると震えながら、音響の耳元に口を寄せる。
「そんなことをして、手がどこまでも伸びてきて、ベッドの上の私を掴んだら…・・・」
ゾクリとした。
空気が張り詰める。しまった。油断した。
経験上、過剰な怯えは本人と周囲の人間に良くない影響を及ぼす。中でも一番困るのは、泣かれること。
「ひどい」
と言って、音響が隣の少女をかばうような仕草をした。そして「どういうつもり」と冷たく言い放ち、俺を軽く睨む。
どういうつもりも何も、俺は協力的に解決策を提出したつもりだった。だがそれは、他人の悩みを真剣に考えないオトコ、という不本意なレッテルを相手方に貼らせただけだった。
また、負い目だ。

153 :引き出し ◆oJUBn2VTGE:2009/02/22(日) 23:25:24 ID:vbLvaS0Q0
この音響という少女には、いいように振り回されているような気がする。
「わかった。それはナシ」
肩を竦める。結局俺は気がつくと、その手の出てくるという引き出しのある寝室で現地調査することを約束させられていた。
その二日後だ。曜日は土曜。
俺は欠伸をしながら自転車をこいでいた。まだ夜も明けやらぬ早い時間。暗い空の、深みのある微妙な色彩に目を奪われながら、微かな肌寒さにシャツの裾を気にする。今日は暑くなるとニュースでやっていたはずなのに。
ガサガサと、妙にかさ張る手書きの地図を苦労して広げ、目的地を確かめる。
なんだ。もうすぐそこじゃないか。
そう思いながら角の塀を曲がると、薄闇の中に浮かび上がる小綺麗な白い三階建てのマンションが目に入った。
おいおい。高そうな所に住んでるじゃないか。高校生の身分で一人暮らしと聞いて、何様だ、と思ったがもしかすると親がかなりの金持ちなのかも知れない。
駐輪場に自転車を停め、階段を上る。向かうは三階の角部屋だ。実にけしからん。
指定されたドアの前に立つが、まだ音響の姿が見えない。ちょうど待ち合わせの時間なのに。
まだ周囲は暗く、朝のこんな早い時間に女性の部屋の前でうろうろしているのは実に気まずい。
辺りを気にしながら念のためにドアノブを捻ってみたが、やはり鍵が掛かっている。
音響を待つしかないようだ。その場でしゃがみこむ。
何故俺はこんなところでこんなことをしているのだろう。そう思いながら憂鬱な思いで額に指をあてる。
要は、寝起きにタンスの引き出しから手が出てくる幻覚を見るという緑の目の令嬢、瑠璃の、悩み解決のための現地調査だ。

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