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【師匠シリーズ】田舎 中編

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344田舎 中編  ◆oJUBn2VTGE ウニ2007/08/23(木) 00:53:50 ID:pA3eqjtb0
なにも足に触れるはずのない水深で、「なにか」に触ってしまったら……
そう思うと、いてもたってもいられず、水から出たくなる。
まして今、川の真ん中に誰のものともつかない土気色をした「手」が突き出ているのが見えている状況では、とても無理だ。
「手」に気がついた時にはかなりドキッとしたが、その脈絡のなさに自分でもどう反応していいのかわからない感じで、とりあえず深呼吸をした。
師匠たちの泳いでいる場所からさらに下流。
岩肌の斜面から覆いかぶさるような藪が突き出ていて、その影が落ちているあたり。
どう見ても人間の手に見えるそれが、二の腕から上を水面に出して、なにかを掴もうとするように手のひらを広げている。
師匠たちは気づいていない。
俺は眼鏡をそろそろとずらしてみる。
ぼやけていく視界の中で、その「手」だけが輪郭を保っていた。
ああ、やっぱりと、思う。
そこに質量を持って存在する物体であるなら、裸眼で見ると他の景色と同じようにぼやけるはずなのだ。
この世のものではないモノを見分ける方法として師匠に習ったのだったが、俺は夢から覚めるための技術として似たようなことをしていたので、わりと抵抗なく受け入れられた。
悪夢を見てしまうとほっぺたをつねって目を覚ます、なんていうやり方が効かなくなってきた中学生のころ、俺は「夢なんてしょせん、俺の脳味噌が作り出した世界だ」という醒めた思考のもとに、その脳味噌が処理しきれないことをしてやれば夢はそこで終わると考えた。

345田舎 中編  ◆oJUBn2VTGE ウニ2007/08/23(木) 00:55:48 ID:pA3eqjtb0
夢から覚めたいと思ったら、本を探すのだ。
もしくは新聞でもいい。
とにかく、俺が知るはずのないものを見ること。
そして、そこに書いてある情報量がページを構成するのに足りないことを確認し、「ざまあみろ脳味噌」と嗤う。
本質からして都合よくできている夢なのだから、「本を読もう」とすると、それなりに本っぽいつくりになっているかも知れない。
しかし、中身は無理なのだ。
世界を否定したくて文章を読んでいる俺と、世界を成り立たせるために一瞬で構築される文章、その二つを同時に行うには脳の処理速度が絶対に追いつかない。
そして、化けの皮が剥がれたように夢が壊れていく。
そうして目を覚ますのは俺の快感でもあった。
それと同じことが、この眼鏡をずらす手法にも言える。
仮に途方もなくリアルな生首の幻覚を見たとして、ああ、これは現実だろうかと考えたとき、眼鏡をずらしてみる。
すると、現実には存在しない生首だけは、ぼやけていく世界から取り残されたように、くっきりと浮かび上がってくる。
もし脳のなんらかの作用で、「眼鏡をずらしたら生首もぼやける」という潜在的な認識のもとに生首もぼやけて見えたとしても、それは「その距離であればこのくらいぼやける」という正確な姿を示さない。
必ず他の景色とは「ぼやけ具合」が食い違って見える。
それが一瞬で様々な処理をしなくてはならない脳味噌の限界なのだと思う。
だが、幻覚はまた、夢とも違う。
ああ、コイツは幻だと気づいたところで、消えてくれるものと消えないものとがあるのだ。
「うおっ」
という声があがり、CoCoさんとぶつかりそうになった師匠が立ち泳ぎに切り替える。

346田舎 中編  ◆oJUBn2VTGE ウニ2007/08/23(木) 01:04:08 ID:pA3eqjtb0
「川でバタフライするな」
そんなことを言いながらCoCoさんのほうへ水鉄砲を飛ばす。
そのすぐ背後には、水面から突き出た手。
思わず師匠に警告しようとした。
しかし、なにか危険なものであるなら、俺が気づいて師匠が気づかないなんてことがあるのだろうか。
ならばこれはただの幻なのだ。
俺の個人的な幻覚を、他人が怯える必要はない。
けれど、なぜ今そんなものが見えるのか……
薄ら寒いものが背中を這い上がってくる。
師匠はなにも気づかない様子で再び平泳ぎに戻り、「手」から離れて上流の方へやってくる。
俺は「手」から目を離せない。
肘も曲げず、まるで一本の葦のように流れに逆らってひとつ所に留まっている。
そこからなんらかの意思を感じようとして、じっと見つめる。
ふいにCoCoさんが川縁で声をあげた。
「これって、なんだろう」
そちらを見ると、水面からわずかに出っ張っている石にへばりつくように、白いものがある。
近寄って来た京介さんが無造作に指でつまむ。
それは水に濡れた紙のように見えた。
あっ、と思う間もなくその白いものが千切れて水に落ち、流されていった。
指に残ったものをしげしげと見ていた京介さんが、「紙だ」と言う。


350田舎 中編  ◆oJUBn2VTGE ウニ2007/08/23(木) 01:08:29 ID:pA3eqjtb0
「目がある」
そう続けて、残された部分にあるわずかな切れ込みを空にかざした。
たしかにそこには二つぽっかりと穴が開き、それまるで生き物の目を象っているように見えた。
「よくそんなの触れるな」
師匠がざぶざぶと川から上がりながら言う。
京介さんの視線が冷たく移り、何も返さずにその白い紙を水に投げた。
紙は沈みそうになりながらも流れに乗った。
全員の視線が自然とそこに向かう。
下流で、藪の影が落ちているあたりを通り過ぎるとき、あの「手」がもう見えないことに気がついた。
まるで溶けるように消えてしまっていた。
持参していたタオルで体を拭いて、俺たちは河原を出た。
冷たい川の水に浸かったことで、さっきまでのまとわりつくような熱い空気が嘘のように霧消して、涼しいくらいだった。
けれどそれも一瞬のことで、歩き始めるとすぐにまたじっとりと汗が浮き出てくる。
車に戻る前に寄り道をして、近くの商店でアイスを買った。
店のおばちゃんは見知らぬ若者たちを不審そうに見ながらも、棒アイスを4本出してくれた。
そういえば今日は平日なのだった。
まして若者の極端に少ない過疎の村だ。
小さい頃、何度かここでアイスを買っただけの俺の顔を覚えていないのも無理はなく、よそ者が来たという程度の認識しかなかっただろう。
開いてるのかどうかもよくわからない店が3、4軒並んでいるだけの、道端のささやかな一角だった。

354田舎 中編  ◆oJUBn2VTGE ウニ2007/08/23(木) 01:11:10 ID:pA3eqjtb0
食べながら帰ろうというみんなに、ちょっと待ってくださいと言いながら俺は店のおばちゃんに「この先の河原って、最近水難事故かなにか起きましたか」と聞いてみた。
おばちゃんは眉をひそめ、「最近はないねえ」とだけ言って次の言葉も待たず店の奥に引っ込んでいった。
ああ、俺もすっかりよそ者なのだなぁと、少し寂しくなった。
その後、アイスをかじりつつ元来た道を歩きながら師匠が言う。
「あの紙は幣だね」
たぶんそうだと答えた。
神様や悪霊を象った紙人形とでも言えばしっくりくるだろうか。
この村では、さまざまな儀式にその幣を使う。
「なんの幣だった?」
遠目に見ただけだし、目がふたつ開いてるというだけではさっぱりわからない。
なにより俺自身が詳しくない。
「川ミサキか、水神かな」
師匠はさらっとそう言う。
どこで調べたのか知らないが、俺より知っていそうな口ぶりだ。
日が翳り始めた道をだらだらと歩いていると、さっきの四つ辻に差し掛かった。
すると、まるでさっきの再現のように京介さんが短い声をあげて道に屈みこむ。
さすがに驚いて大丈夫ですかと様子を伺うと、手で押さえている右のふくらはぎから薄っすらと血が流れているのが目に入った。
CoCoさんがしゃがみこんで「なにかで切った?」と聞いている。
京介さんは首を横に振る。

357田舎 中編  ◆oJUBn2VTGE ウニ2007/08/23(木) 01:14:29 ID:pA3eqjtb0
切ったって、いったい何で?
俺は周囲を見渡したが、見通しもよく、なにもない道の上なのだ。
カマイタチ。
そんな単語が頭に浮かんだが、師匠が道の真ん中に両手をついて這いつくばっているのを見て、一瞬で消える。
目を輝かせて、まるでコンタクトレンズでも探すように土の上に視線を這わせている。
なにをしてるんですか。
その言葉を飲み込んだ。
周囲の空気が変わった気がしたからだ。
足元から、ゆらゆらと悪意が立ちのぼってくるような錯覚を覚えて、身を硬くする。
「おい、よせ」
京介さんは羽織っている上着のポケットから小さな絆創膏を取り出してふくらはぎに貼り、立ち上がりながらそう言った。
師匠はそれが聞こえなかったように地面を食い入る様に見つめ、独り言のように呟く。
「なにか、埋まっているな、ここに」
心臓に悪い言葉が俺の耳を撫でるように通り過ぎる。
京介さんが師匠に近づこうとしたとき、チリリンと耳障りな音がして自転車が通りがかった。
泥のついた作業着を着込んだ中年の男性が、不審そうな目つきでこちらを見ている。
同じ方角からは似たような格好をした数人が自転車で近づいてきている。
四つ辻の真ん中で這いつくばっていた師匠は、なにを思ったかピョンと勢いよく立ち上がると「腹減った。帰ろう」と言った。
俺は気まずい思いで道をあけて自転車たちをやり過ごす。
通り過ぎた後も、ちらちらと視線を感じた。

359田舎 中編  ◆oJUBn2VTGE ウニ2007/08/23(木) 01:17:58 ID:pA3eqjtb0
ヨソモノヨソモノ。
そんな声が聞こえた気がした。
それも含めて、俺は早くここを立ち去りたかった。
率先してもと来た道へ進んで行き、民家のそばに停めてあった車に乗り込む。
ようやく嫌な感じが収まった。
師匠は上機嫌でエンジンをかけ、ふたたび蛇行する山道を登り始める。
CoCoさんはなにを思ったか京介さんの絆創膏をつっつき、「痛いって」と怒られた。(ほんとうに傷口があるのか確かめた)
助手席に身を沈めながら、後部座席のやりとりにふとそんなことを思う。
ミラーにうつるCoCoさんの表情からはやはりなにも読み取れなかった。
伯父の家に帰ると、従兄妹のハツコさんが来ていた。
伯父夫婦の長女だ。
年が離れていたのであまり印象は残っていないが、今は同じ集落の家に嫁いでいるらしい。
「今日は応援」と言って小太りの体を機敏に動かしながら、伯母の炊事を手伝っている。
俺たちはというと、夕飯までの時間をそれぞれの部屋で過ごした。
ろくに泳いでいないのに俺はやたら疲れていて、ウトウトしっぱなしだった。
ほどなく茶の間に呼ばれ大所帯での食事が始まった。
近くの山で採れた山菜をふんだんに使った田舎料理は、実家の母が作るものより「お袋の味」がして、なんだか感傷的になる。
俺たち4人と伯父夫婦。
ハツコさんとその小さな子ども。
そして実にタイミングよく現れたユキオ。
9人で囲む食卓だった。
なにが凄いって、その人数で囲めるちゃぶ台があることだ。

361田舎 中編  ◆oJUBn2VTGE ウニ2007/08/23(木) 01:20:31 ID:pA3eqjtb0
「いまはもう、こんなでっかいのがいる時代じゃないけんどのう」
と伯父は苦笑した。
この家にはあと一人、ジッサンと呼ばれるお爺さんがいるのだが、寝たきりに近いらしく食卓には出てこない。
ジッサンと言っても俺の祖父にあたる人ではなく、祖母の兄らしい。
らしいというのは、会ったことがないからだ。
身寄りがなくなっていたところをこの家で引き取ったそうだ。
俺の足が遠のいてからのことだった。
「にゃあにゃあ」
ユキオがひそひそと口を寄せて来る。
「どっちが彼女なが」
これには彼なりの期待も含まれているのだろう。
京介さんCoCoさんも一般的には美人の部類に入るだろうから。
「どっちも違う」
そう言うと喜ぶかと思いきや、残念そうな様子で、
「両方あの兄さんのか」
と溜息をつくのだ。
「片方だけ」と言ってやると、「ふーん」と鼻で返事をしながら肉系ばかりを箸でかき集めていった。
その時、家の外に犬の遠吠えが響いた。
「あ、リュウの晩御飯忘れちょった」
そう言って伯母が腰をあげようとするとハツコさんが笑って先に立ち上がった。
俺はふと思い出して、伯父に祖母の葬式の時にリュウがいたかどうか聞いた。

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